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AnimeZ

059132

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新世紀エヴァンゲリオン

90年代初頭に爆発的にヒットした漫画・アニメで,今も続編が製作され続けている新世紀エヴァンゲリオン。
最近,劇場版の最初の作品のDVDをゲットしたので,観ていたら,90年代初頭ならではの事象が散見されたので,書き留めておきたい。

80年代後半から日本はバブルに向かって上昇を続けた。
モノが溢れ,金さえだせばなんでも手に入るようになった。
そしてバブルが崩壊し,巷に溢れたモノは,時代の瓦礫となった。
そこで,モノで満たされなかった「心」に感心が移り,精神世界がブームになった。
癒し,チャネリング,ニューエイジ,ユング心理学,そして新宗教,etc.
モノを手に入れたいという欲望は失せて,癒されたいという欲望が台頭してきたのである。
実際に商売で失敗した人たちの悔恨が,若者のモノに対する不信感として表出した時代だとも言えるだろう。

前時代の人たちに言わせると,90年代初頭あたりから,男が軟弱になっていったといわれるようになっていった。
新世紀エヴァンゲリオンの主人公碇 シンジ(いかり しんじ)が,あのように軟弱でエディプス・コンプレックスがあからさまなのは,まさに,その頃の男性ジェンダーの変化を象徴している。

精神的に癒されなくてはならない主人公シンジと,無機質の女性綾波レイが中心にいるところが,70年代や80年代では考えられなかった設定である。

80年代後半からバブルを過ぎて,90年代半ばまでに,青少年にとっての女性観も変化していった。
90年過ぎまでは,ボディコンで生々しい女性がもてはやされていたのだが,生身からサイボーグのような無機的な女性像へと,時代の好みが移っていったのである。
90年前後の潮流変化の象徴のひとつが,森高千里だと思う。
生身のミニスカートやボディコンから,メイド服,そして,フィギア,など,様々にメディアミックスされたモリタカは,当時の男の,女性観を変化させていった。
マジンガーZにおけるヒロイン像や,デビルマンにおける妖鳥シレーヌのような,敵であっても人間味溢れる生々しい色気を持つ女性像は,エヴァには出てこない。綾波レイのヌードが数回出てくるが,肉感的でありそうで,実は無感情,無表情で,無機質で,その色気は,いわば動くフィギアである。美少女フィギアが一般化していった時代のセンスだと言えるだろう。

映画においては,シーンの移り変わりは,まだ70年代,80年代を引きずっている。画面の移り変わり,シーンの展開,テンポ,リズムなどは,80年代っぽくて,転変が速く,退屈させない。マジンガーZやウルトラセブン,デビルマン,ガンダムなどで使われた手法の集大成でもある。これは,90年代以降の宮崎駿やスタジオ・ジブリのアニメのテンポとは異なる。
他方,描かれている山々や都会の鳥瞰図などは,宮崎駿のアニメにも多々見られる視点で,こういうパースペクティブは,マジンガーZやデビルマンでは描かれていなかった。70年代は,もっと,主人公主体の視点だった。

各シーンの絵や構図,設定には多くのヒネリがあって,精神性から物質まで,ありとあらゆる拘りが表現されている。わかる人にしかわからないような描写が多い。第3新東京市は,ユング心理学における自己の心理モデルそのものである。精神世界が流行した当時ならではの発想だろう。

登場人物の苗字が,第二次大戦の日本の軍艦の名前をもじってある。天城,葛城,綾波,伊吹,摩耶,日向,いずれも戦艦の名前から来ている。よほど詳しい軍艦マニアでなくては知らないようなマイナーな駆逐艦の名前までもが,登場人物の苗字に使われている。

個々の事物も徹底してマニアックな描写が取り入れられている。それまでのアニメでは,シーンの中で自動車や電車というと,漫画化された自動車であり電車であった。その事物が,ストーリーと直接関係がないとき,それはデフォルメされた一般概念として描かれていただけであった。
ところが,エヴァにおいては,冒頭の葛城が乗ってくるのは,アルピーヌ・ルノーA310である。色もご丁寧に,アルピーヌのレーシングカラー,フレンチブルーだ。ガソリンエンジンを電気モーターに換装してあるという設定である。単なる街の描写で,路上に白いコスモスポーツ(1970年代のスポーツカー)が駐車されていたりする。

また,鉄道も,90年当時の現役だった地下鉄やモノレール,さらには国鉄のDD51の三重連が出てくるなど,実物車両を描写している。

これらは,自動車エンスーや鉄道オタクでなくてはわからない絵である。70年代から80年代の,モノを見ていた時代の名残で,モノの描写に拘るところは80年代のセンスだろう。とにかく,オタク趣味のオンパレードである。

こういう,なんでもかんでも取り入れて,あらゆる心象にミートして,あらゆるニーズに対応するように製作して,違うフィールドとリンクしながらビジネスを展開しようと考える映画作りも,まさに90年前後のバブル時代の発想だ。当時急速に流行りだした,メディアミックスの発想である。
ついでに言っておくと,綾波レイの瞳が赤いのは,PCゲーム化したときに,当時のゲーム機器の粗い画像(ドット絵)で,赤目のキャラとして設定できるようにとの配慮で,アニメ段階から赤くしておいたという。

そして,物語の展開は,誰にでもわかりやすいように,論理性を有しているのである。その後,アニメに限らず,作者が表現して説明する論理性よりも,観察者が自身の感性で推測するようなストーリー展開が主流になっていった。

80年代前半からブレイクした村上春樹は,自身の小説が平易な文章で難解なストーリーであることに対して,「論理」ではなく「物語」としてテクストを理解するようにと言う。論理的に読解するのではなく,「物語を楽しむ」ことがなによりも重要なことだという。物語中の理解しがたい出来事や現象を,村上は「激しい隠喩」と言い,魂の深い部分の暗い領域を理解するためには,明るい領域の論理では不足だと言う。こういった発想が,アニメや映画にも影響を及ぼしていったのだろうか。90年代以降のアニメも,村上の言う「激しい隠喩」が多々含まれるようになっていったと思う。95年の攻殻機動隊や,90年代後半からの宮崎アニメはまさにそんな感じがする。

そう考えると,新世紀エヴァンゲリオンは,アニメでは,まだ,「激しい隠喩」が映画に多用される以前の方法である。隠喩でも暗喩でもなく,直接表現を多用しながら,不可思議さや疑問を呈するように設計されている。

10年以上を経て振り返ってみると,ひとつのアニメ作品だけを観ても,当時の世相と時代背景を現していて,興味深い。そして,当時観たら斬新な表現,新しいセンスに見えたものが,今から振り返ると,それ以前の流れを汲んでいることがよくわかる。

時代とともに,あらゆる事物が変化していくわけだが,後になって振り返り,その時代を代表する作品を観ると,その時代変化の潮流の断面が見えて面白い。

2008-12-08 01:46:50| ゲーム・アニメ・マンガ 通報する

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