カワサキZ1とZ2

Z

カワサキZ2の公式写真(カワサキ本社提供)

 カワサキZ2は,73年1月から試作車の製作が始まった。そして,Z1が72年型から73年型へと移行していくにしたがって,連動してZ2の細目も変化していく。Z2の試作車は73年1月生産なので,最初期のものは72年型Z1と共通するところが多い。

 48年3月のZ2初期型の発売時には,すでにZ1のフレーム番号は9000~10000番付近に到達していた。そういったことから,Z2のフレーム番号1番は,Z1の5000~6000番台あたりを生産していた頃ではないかと推測される。

 Z2最初期のロットは,シリンダーは1枚ガスケットのもので,ヘッドは砂型の,いわゆるなごりヘッド(ブローバイの跡が残っているもの)である。その一枚ガスケットシリンダーが装着されていたZ2は,フレーム番号1000番から1100番手前ぐらい(初年度登録 48年5月車まで)までであり, 排気量の刻印は段付き浮き大文字である。

 Z2はフレーム番号25番まで(と思われる)が試作機で,市販された26番以降と多少仕様が異なる。48年1月にZ2試作車25台程度製造されたが,それらには,無番マフラー,かまぼこフロントフォーク,シートは黒スポシートに センターバンド付き,28パイキャブなどのZ1最初期型(72年式)の部品が付いている。

 Z2最初期型のキャブレターはZ1初期同様 ドレンが真下の六角になっているタイプである。この初期型のキャブは仕向け地によって刻印が異なり,北米向けは147,ヨーロッパ向けは149,そしてZ2国内向けには202の番号が打ってある。

 いわゆる無番マフラーは,Z1の1番から6000番あたりまでで,小刻印マフラーはZ1の6000番あたりから9000番ぐらいまでに装着されている。それ以降は末尾36Sである。対してZ2においては,フレーム番号26番以降,50番台くらいまでが小刻印マフラーで,その後は末尾36Sになる。

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文中間違いや誤解があればご教授くださると幸甚です。

空冷 カワサキ Z1,Z2,Z1000R,のカスタム@京都コンピュータ学院自動車制御学科
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カワサキZ1とZ2

Z2

カワサキZ2のカタログから。コピーに,「ロイヤルマシン」 「ロードスター」とある。カワサキZ750-RSの「RS」はロードスターの意。

 輸出モデルである「カワサキZ1」の国内向けが「カワサキZ2」であり,Z1あってのZ2であるから,Z1が変更された後は,Z2も連動して変更されていった。しかし,運輸省認可型式がZ2と同一のままであったZ750Four(A4)は,フレーム番号がZ2Fでエンジン型式もZ2Eであることから,Z2と呼ばれることがあり,これが後年,「Z2とはどこまでを指すか」という,妙な議論を産むひとつの原因になった。

 主流のZ1(ズィーワン)が,Z900A4になってからは,もはやZ1と呼ばれないことを考えると,Z750Four(A4)はあくまでもナナハンフォアであってZ2ではないと言える。Z750A4,A5の運輸省認可型式は「Z2」だが,本家のZ1がすでにZ900となっている以上は,Z2という呼称には無理があると思われる。発売元としても,当時は二番手を連想させるZ2よりも,それ独自の価値観を醸し出すために,あえてZ750FourとPRしたのではないだろうか。当時のカワサキのカタログや広告にも,Z2という名称は使用されていない。広告やカタログにおいては,Z2,Z2AのことはZ750RS(RSはロードスターの略)と称されており,ロイヤルマシンとのコピーがある。対してZ750A4からZ750D1に至るまでは,すべてZ750Fourという名称で記述されている。

 時代背景と生産事情を考えあわせると,Z1とは,Z1,Z1A,Z1Bの三種類の型式(認可事項)であり,呼称であるとともに,Z2とは,その国内向けバージョンであるから,Z2,Z2Aである。総生産台数は,Z1が約80,000台,Z2が約16,000台くらいであろうか。
 
 そして,以上のように生産台数を見ると,一般に市販されたZの中では,Z750 D1が一番生産台数が少ないことに気付く。免許制度が変更された後は大型の販売台数が伸び悩んだのかもしれない。

 その,空冷Zのカワサキ750モデルで,最も生産台数の少ないものを尊ばずに,サイドカバーをZ2に似せたニセモノ(今も発売されている)に取り替えて,Z2カラーに塗るという,逆転現象が生じているのは嘆かわしい。

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カワサキZ1とZ2

 カワサキZ1が世界で一斉を風靡していた一方,国内では「メーカー自主規制」という名の官僚による強要のような指導があった。「大排気量は危険だ」という理由で,国内では750cc以上は発売できなくなっていた。そして,Z1の国内仕様である,排気量750ccのモデル,「カワサキ750-RS」が開発・発売された。これが「カワサキZ1」に対して「カワサキZ2」と呼ばれたのである。
 Z2エンジンは,Z1エンジンを基本に,クランクがショートストローク化されており,シリンダー内径とピストンが異なる。ボアとストローク,クランク,キャブに至るまで入念に再検討されたことにより,結果として,本家Z1を上回るほどのバランスの良いオートバイになった。(月刊オートバイ05年3月号付録歴代名車カタログファイルVol.4.)
カワサキの国内向け750ccオートバイは,後にZ650のやや小ぶりなエンジンに取って代わるので,Z1という天下の名機を基礎にした750ccオートバイは,このZ2Eで始まる番号のエンジン一機種を搭載したものだけである。

 いつの時代も,官僚は現実社会を知らない。出力や性能は,排気量という単一の尺度で規制できるものではなく,チューニングの度合いや,車両全体としての性能によって,危険性の度合いは変わる。それを知らない馬鹿げた官僚指導の結果,Z2(ゼットツー,ゼッツー)という,特殊な国内向けモデルが誕生し,それが熟成を重ねたバランスの良いバイクとして生まれ,さらには,それらが故に,数々の伝説と神話が生まれることとなった。政府の馬鹿げた指導が,図らずも別の価値を創出したのである。
 世界を席巻したZ1のボアダウンバージョンであるZ2は,海外でのZ1人気を背景に,国内には大きな衝撃をもたらし,そして,ホンダのCB750とともに,日本独自の「ナナハン文化」を創っていった。「オートバイの最高峰,最上の価値は,ナナハン」という観念である。

カワサキZ2の型式等は以下の通りである。
⑤Z2(750-RS) 1973年1月より
・車台番号 
試作車 Z2F 00001~00025?(プロトタイプとして,20台程度が試作されたという。筆者の知人・友人が16番~19番などを確認している。また,2番のフレームを確認したという話もある。)
市販車 Z2F 00026~(運輸省認可型式はZ2)
・エンジン番号 Z2E 00001~
・総生産台数 3662台(カワサキの発表による最終番号は3699)定かではない。

⑥Z2A(750RS) 1974年-1975年
・車台番号 Z2から連番(運輸省認可型式はZ2)
・エンジン番号 Z2から連番
・総生産台数 下記文献等には6049台とあるが誤りであると思われる。正確には不明。Z2F-15900番台が確認されているので,12000台程度とも推測できる。また一説には,1万6千100番台でエンジン番号が+34番というのがあるという。

⑦Z750A4(Z750Four) 1976年
車台番号 Z2F-19582まで。始まりは不明(下記文献にはZ2F-18403~とあるが,筆者は1万6千6百番台のZ750A4を確認している。Z2から連番かどうかも定かではない。Z2Aから連番だと思われる。運輸省認可型式はZ2。)
エンジン番号 Z2から連番。
(総生産台数1万6千番あたりから始まったとすると約3200台かと推測できる)

⑧Z750A5(Z750Four) 1976年
車台番号 Z2F-19583 ~ 22400(A4から連番。運輸省認可型式はZ2)
エンジン番号 Z2から連番。
(総生産台数 2817台)

⑨KZ750 D1(Z750Four) 1977~78年
車台番号 KZ750D-000111~002300(運輸省認可型式はKZ750D)
エンジン番号 Z2から連番
(総生産台数 2189台)

⑩KZ750D2(Z750FX) 1979年(1月~8月)
車台番号 KZ750D-003901~(運輸省認可型式はKZ750D)
エンジン番号 Z2E024801~
(総生産台数 2185台)
*エンジンの外観はZ1000Mk.IIと同様だが,クランクケースは旧来のZ2とほぼ同じ。

⑪KZ750D3(Z750FX) 1979年10月~1980年4月
車台番号 KZ750D-006301~(運輸省認可型式はKZ750D)
エンジン番号 Z2E-27201~
(総生産台数 850台)
*Z750FXのD2と大差はないが,クランクケースが改良されており,Z1000Mk.IIと同じものになっている。つまり,エンジンはZ1000Mk.IIのボアダウン仕様である。外観では,ヘッドライト下にKAWASAKIのロゴの入ったオーナメントが付くといった程度。

 輸出モデルであるZ1は,Z1AとZ1Bと三種に分類されたが,国内向けZ2は最初のZ2とその後のZ2Aに分類された。(Z2Bという呼称は,マスコミやマニアなど一部の部外者によるもので,カワサキ社内ではZ2Bという分類はされなかったようである。)
Z750A4という命名は,輸出モデルがZ900A4となったことと連動しているのだが,運輸省認可上は,型式名は変わらず,フレーム番号はZ2Fになっている。従って,750ccモデルは,第三のグループがA4と命名されたという,妙な現象が生じた。

 輸出モデルの国内向けバージョンのZ2は,生産台数も少なかったので,輸出モデルであるZ1があくまでも主流であり,国内向けモデルであるZ2はいわば片手間に生産されていたのは明らかである。従って,輸出モデルの型式名が少々変更されても,国内向けにはよほどの違いが無い限り,即ち,運輸省の認可を得る必要の無い程度の変更ならば,同一型式で生産・販売されたのだろう。

参考;
別冊MOTORCYCLIST 1990年2月号 №138八重洲出版 1990年
Z1・Z2の神話–誕生の真実 全記録–スタジオ タック クリエイティブ2006年

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カワサキZ1とZ2

Z1

カワサキZ1のカタログから。有名な写真。

 高度経済成長期に世界中で絶大な好評を得た日本製大型オートバイ,「900Super Four」,通称カワサキZ1は,1972年に生産が開始された。型式等は以下の通りである。

①Z1(900Super Four) 1972~1973年
車台番号   
  試作車 Z1F-90001~900**(数十台がプロトタイプして試作され,各国のプレスに試乗されたという。5桁表示で9万番台はプロトタイプであり,市販車の9万番台は6桁表示となる。)
市販車 Z1F-000001~
エンジン番号 Z1E000001~(「Z1E」とその後の連番の間には-ハイフンは付かない)
総生産台数は約17000台と言われているが,正確には不明。筆者の友人が確認した最終番号はZ1F-016998である。

②Z1A(900Super Four) 1974年
車台番号 Z1F-020001~
エンジン番号 Z1E20001~

③Z1B(900Super Four) 1975年
車台番号 Z1F-047500~
エンジン番号 Z1E047500~

④Z(KZ)900A4(Z900) 1976年
車台番号 Z1F-085701~
エンジン番号 Z1E086001~

 以上が,排気量900ccでフレーム番号がZ1Fで始まる車両の種類である。総生産台数は,Z1,Z1A,Z1Bまででおよそ8万台程度と推測される。排気量900ccはZ(KZ)900A4(Z900)までで,その次のモデルチェンジで排気量が1000ccに拡大された。

 上述の①から④まで,900ccの各車の特徴は細目で異なるが,Z900A4(A4は,Z900の第四のグループとの意)になると,シートキャッチのレバーが無くなり,フロントブレーキがWディスク標準になった。そして,商品名がZ900(KZ900)となったことから,これは,Z1とは呼ばず,Z900と呼ぶのが一般的である。①②③がカワサキZ1である。

900ccのZ1は,モデルチェンジを重ね,驚異的なヒット作となった。後に,同じ900ccのKAWASAKI  GPZ900R ニンジャが大ヒットしたことと合わせて,900はカワサキのマジックナンバーだと言われるようになったのである。

参考;
別冊MOTORCYCLIST 1990年2月号 №138八重洲出版 1990年
Z1・Z2の神話–誕生の真実 全記録–スタジオ タック クリエイティブ2006年

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火の玉のオレンジが似合う季節。

秋Z2

カワサキZ2と京都の紅葉

 三連休二日目。昼過ぎから,天気が良かったので,愛車で出かけたら,渋滞。京都市内で,紅葉の季節と,桜の季節の休日は,外出してはいけないのを忘れていた。京大の裏通りで,写真を撮って帰ってきた。

 カワサキZ2が筆者の長年の愛車で,カスタムしてから,もう10年近くになる。コスワース71mmのピストンで1045ccにボアアップし,FCR33パイを装着してある。マフラーはBito R&Dの美藤氏のチタン手曲げで,いわゆるお茶缶タイプのチタンサイレンサーが付いている。ホイールはビトーJBマグタンの最初期のロットだと思う。
 軽いホイールとしかるべきショックで,足回りをきちんと仕上げたら,渋滞の中でも,ワインディングでも,スイスイ~,ヒラリヒラリと走れるのが良い。それでいて,エンジンは空冷Z,である。このメロディとリズムは,これ独特の世界である。

(写真のカワサキZ2カスタムのオレンジ色の塗装を,通称「火の玉カラー」と言います。英語でファイアボールと呼ばれたことに由来。)

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休日の早朝,カワサキZ

Z2

昔,撮ってもらった写真。

 休日の早朝,カワサキZを駆って,京都の街を北上し,田畑の枯れ草の匂いに包まれながら大原を越えて,鯖街道に入る。目指すは小浜,日本海。

 京都は盆地なので,わずか数分で山中のワインディングに入る。山々に囲まれて青空を見上げると,空冷Zの咆哮が木霊する。

 東京でこれをやろうと思うと,箱根か軽井沢まで,二時間以上かけて遠出するしかない。自動車・バイク好きにとっては,東京は最悪の街で,昔東京に住んでいたときは,これがストレスだった。どこに行くにも渋滞しかなく,走るというよりノロノロ動くだけが大半で,夜中の首都高以外に「走る」ということがない。夜中の首都高はそれなりに楽しいが,山も空も野原もない。

 京都で高速道路を走りたくなったときは,名神,阪神,京都縦貫道,名神の南バイパスや大阪の環状線がある。それ以前に,市内に住んでいれば,10分~20分も走れば山である。山の中に木霊する空冷Zのエギゾーストノート。それは高速の遮音板やトンネル内で直接反射してくるものとは異なり,広がりがあって,自由を感じることができる。大空が自分のものになったように思える瞬間だ。

 自動車・バイク好きにとっては,京都は最高の地である。自動車やバイクが好きならば,京都に住みなさい,と強く推奨する。カフェレーサーの似合う街,京都。

———————-
 団塊世代の退職された方も,京都に一年,国内留学して,一緒に空冷Zを作りませんか?KCGには毎年,定年退職後入学される方がおられます。年齢差に関係なく,皆仲良く学生時代を送っています。

W1やW3,メグロ,ドカティベベル,トラ,ノートンなどのレストア講座も開講したいですね。

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YAMAHA SR500 フレームの塗装

SR

 ヤマハSR500はエンジンをバラさないので,進むのが早い。フレームも塗装が終わっている。結構綺麗に塗れている。

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KAWASAKI Z1RとPORSCHE 911 十字架を背負って

Z1R ポルシェ

有名なカワサキZ1Rのカタログの写真。

 ポルシェ911は,リアエンジン/リアドライブという,自動車工学的見地からすると,極めて運動性能の悪い,無理のある設計でこの世に生まれた。発売当初の911は,フロントが軽すぎるので,バンパーに11kgものウェイトを仕込んでいたほどである。爾来,ポルシェの技術進化は,リアエンジン/リアドライブという基本設計との闘いであった。

 空冷カワサキZのなかで,設計の甘さによって操縦安定性の悪いのがZ1Rだ。1972年のZ1,1973年のZ2の登場から5年後の1978年,カワサキZのデザインはそれまでの曲線的デザインから,突如として角型デザインへと変更された。後に,Z1000Mk.II,Z1000Rへと続く角型基調のデザイン,第二世代の空冷Z,通称角Zのグループである。

 角Zの尖兵はZ1Rで,直線基調のシャープなデザインは欧米で絶賛された。しかし,前輪を18インチ化して大型のカウルを装着したことにより,ハンドリングに問題が生じ,高速走行が不安定になった。それゆえ,リコール騒動まで起こったという。現地販売価格が高価であったこともあいまって,販売台数はさほど伸びず,総数約1万7千台に留まった。(後に前輪19インチ化され,エンジンが角ヘッドになったZ1R2を含めると総数20,069台)

 新発売当初から,リアエンジン/リアドライブというポルシェ911が,「十字架を背負って生まれてきた車」と称されるように,カワサキZ1Rは,まさに,「十字架を背負ったZ」であった。そのZ1Rの新発売時のカタログ写真が,ポルシェ911と並んだものであるのは,皮肉としか言いようが無い。

 しかし,そのように,個性が強い一台であるからこそ,歴史を超えて,多くの人々に愛されるのだろう。今なお空冷911が多くの人に愛されるように,Z1Rには,熱烈なファンが多い。

 かく言う筆者も,京都コンピュータ学院自動車制御学科 自動二輪特論Iで,学生さんたちとZ1Rをカスタムしている。フレームがやっと出来上がって,パーツ類のバフがけも済んでいる。後はエンジンの組立てと外装セットの塗装である。

 ポルシェ911はKCGと同い歳である。そして,来年,カワサキZ1Rは誕生より30年の歳月を迎える。歴史を超えて残ることの意味を考えさせられる。

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風で冷やす, ポルシェ911とZ2,ともに空冷

ポルシェとZ

黒谷さん(金戒光明寺)の前で 
–チューンド911とフルカスタムカワサキZ2–

 カワサキ空冷Zという概念範疇があるように,自動車には,空冷ポルシェという概念範疇がある。空冷のPorsche,すなわち空冷911だが,これを真のポルシェと称し,他はポルシェではない,とか,水冷化されたポルシェは水物だ,などというファナティックな論調もある。

 各人の勝手な論調や視座はさておき,空冷911に独特の魅力があるのは事実である。エンジンをリアアクスルの後ろに置くという,自動車工学的見地からすると,極めて運動性能の悪い車両が,ポルシェ本社の技術力と努力と,そして,ボディに対するオーバーパワーなエンジンのおかげで,とても面白い乗り物になっているからだ。

 このリアエンジンの911は,コーナーリングでアクセルを離すと,ノーズがインに入っていくオーバーステアになる。一般的なFFやFRのアンダーステアとは全く異なる挙動を示すのである。

 そして,空冷911のエンジンはバサバサという,金属的で戦闘的な迫力ある,独特の音を発するのだが,これが,攻撃的でポジティブな気分をかもしだすリズムになり,ドライバーを駆り立てる。(近年の水冷911は,空冷時代と似たような音を発するけれども,それは笛としてのマフラーで作成されているような,いわば「造られた音」である。)

 背後から聞こえるその音に駆り立てられながら,コーナー直前でフルブレーキング,前輪に荷重をかけながら,ノーズをアクセルオフでインに向けて,コーナーに突入する。テールを滑らせながら回転し,立ち上がりでは後輪のグリップを得て,軽いノーズを上げてコーナーを脱出していく。太鼓と銅鑼でジャーン!ってな調子だ。
 とにかく,走り方に独特のクセがある上に,音が人をその気にさせる。非常に個性が強い車なので,一度その魅力に取り付かれると,離れられなくなる。

 しかし,RRの宿命で,いったん滑り出すと,すべては一瞬のできごととなり,瞬間技で修正しなくてはならず,これはそれなりの反射神経が要求される。非常に難しい,一種の曲芸の達人技なので,911乗りは尊敬される(?)。
 
 空冷Z好きで,空冷911好きという人は多いらしい。最近,空冷911の中古車価格もこなれてきたから,一台,どうです?

 京都コンピュータ学院自動車制御学科では,ポルシェも研究対象にするのだと言い張っているのだが,あまり賛同は得られていない。どなたかポルシェ好きの人,入学して,授業開講のリクエストをして欲しいのですけど・・。15名,と思ってたら30名でした。30名,集まると開講できるんですけど・・・。皆でポルシェのレーサーを製作して,草レースにエントリーするなんて,楽しい授業だと思いませんか?

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カワサキZ1,Z2,Z1000Rのカスタム日記

アルミパーツ研磨

 皆で背中を丸めて座り込んで,必死でアルミパーツを研磨したり,マスキングをしているの図。皆,だんだんと要領を得てきたようで,楽しんでやっている。ほとんど磨きのプロと化した学生さんもいる。

 Zのエンジンはアルミで出来ているので,頑張って磨くととても綺麗になる。今,エンジンはピカピカ状態になりつつある。

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