すえぴーさんのコメントに寄せて

すえぴーさんのコメントに寄せて。

最近は大学に入りやすくなったので,○○大学という名に惑わされ,それがとりあえず「大学」であるから,という理由で進学する。理数系は不得意だから,というネガな理由で,文系や,近頃流行の文理融合型学部を選ぶことが多い。実際,私立大学の大半は,文系か,文理融合を謳うよくわからない名称の学部である。

その親御さんの世代は,戦後のベビーブームで,人口比での大学進学率はせいぜい2~3割程度であった。大学に入ることが最も難しかった世代である。(現在の大学進学率は同一年齢人口の5割。短大と専門学校進学を入れると,75%を超える。)

文部省の規制が厳しかった「昭和」の時代に大学認可を得たところは,組織が重厚長大型で,教授があらゆるイニシアティブを取るようにできている。そして,多くの私立大学には,国立大学の定年退職教授が天下るから,教授は中高年というよりも,かなり高年齢である。文系であろうとなかろうと,大学は建前的であろうと,研究志向の象牙の塔であり,時代変化に鈍感になるから,同じ授業を毎年繰り返すようになる傾向が強い。結果,学生は時代の最先端のことなど授業では学ばない。昭和型の大学の中にいると,時代変化が見えなくなるのだ。

重厚長大な組織では,人件費比率が高くなる。その分,教育設備に回る金額が低い。情報・国際・バイオなどと言った,今風の名前を冠している大学でも,実際のところ,設備更新はせいぜい5年おきである。文科省の補助金は,大切な国税が基であるから,「設備を5年間使用し続けるように」と言われるからだ。IT・コンピュータ関係の設備は,5年も経つと完璧な時代遅れになってしまうのだが。

年配の教授には,人間味溢れる年の功の偉大さもあるが,時代遅れの設備ではもちろん,その年の就職戦線に対するセンスなども,キャッチーになるわけない。就職や将来の職業と関係のない授業を延々聞かされている学生さんは,こと就職や将来の仕事の面だけで見れば,哀れ極まりない,ということになってしまう。

昭和の時代,戦後ずっとだが,日本では「大学では何も勉強しませんでした~」と豪語する社会人が多かった。つまり,大学は,「入試を競争するためのもの」であって,「勉強する場」ではなかったのである。
従って今,それがコンピュータゲームの学科であっても,「大学に入った」のであるから,卒業後,とりあえず就職できれば,その職が服飾や家電や酒類の量販店の店員であっても,喜ばしいことであるということになるのだろう。
「ダイガク」のコンピュータゲーム学科に進学して,「服飾量販チェーンの准社員として就職したと喜ぶ」という親御さんの感覚には驚くのだが,実は,それが日本の昭和の大学なのである。つまり,大学で何を専攻したとしても,それが職業に繋がらないことが,常識化して久しい。

それでも,昭和の時代は,大学進学ではそれなりに入試が機能していたから,とりあえず大学に行けば,「大卒」として,そこそこの企業に就職できたのである。
しかし今は,ダイガクを卒業しても,「大卒」としての就職など,実に少ない。流通業の店員さんや派遣労働者は,昔は「大卒」の就く仕事ではなかった筈だ。

上述の事象だけ見ても,日本の深刻な問題であるのだが,現在の状況を見ると,さらに浮き上がってくるものがある。

両親や祖父母の若かりし頃は,大学に行けなかった人が短大に,短大に行けなかった人が,専門学校に進学したのだった。今はかなり違う。学歴と社会層構成に捻じれた逆転が生じている。

① 偏差値トップクラス(同一年齢人口の2割弱)の若者が,必死で受験勉強に励み,トップ100大学に進学し,有名企業に就職する。この成績上層部は昔とあまり変わらない。

② 真面目に就職と人生を考えている若者が,すでに淘汰が終わって生き残っている,有力専門学校や名門女子短大に進学し,専門職に就く,あるいは良妻賢母を目指す(?)。彼らは,最初から,中堅以下の大学にNOと言っている。

③ あまり判断力のない若者が,「AO入試」という単なる営業活動に出かけて面談を受け,(行けば受かるのに)「合格した!」と親とともに喜んで,「ダイガク」に進学し,高い授業料を支払い,卒業後は,かつての中卒や高卒の仕事に従事する。

そして,③のダイガクの実に半数が定員割れとなっており,全私立大学の1/3が赤字決算を継続しており,さらに,今年後半になってから何十校もの大学が,デリバティブなどの資産運用に失敗して,甚大な含み損を出した。それらにも国税が補助金名目で流れ込んでいるのである。

麻生内閣による定額給付金は総額2兆円に上るのだが,一回限りである。
私立大学等経常費補助金は,毎年,3千3百億円。これは,ほとんどが人件費補助である。幼稚園から大学まで,私立学校に対する補助金総額は毎年4千5百億円になる。
そして,デリバティブで損金を出した大学が50校だとすると,一校につき20億から60億,(駒沢大学は150億),平均を最低の20億だとしても,それだけで,1千億を失っていることになる。
(本学も多少なりとも補助金をいただいているのだが,デリバティブに投資はしていないし,損金も出していない。教育設備優先で無駄な経費も浪費されていない。筆者の給料も安い【笑・怒】)

大学への補助金は,全国レベルで見ると,無駄が多いのは事実である。これを削減するためにも,政府は今,懸命になっている。国立大学への予算も,年々削減されていく方向にある。

これから,何が始まるのか。火を見るよりも明らかだ。
昭和のあの頃に,大学に行きたくとも合格せず,当時の短大や専門学校に進学した人たちの中には,「卒業した母校」が,すでに無い人が多々おられる。時代の役に立たなかった学校が多く淘汰されていったからだ。
今から10年後,卒業したダイガクがこの世に無いという人が多く出現する。
そして親の世代と同じように,「ダイガクでは何も勉強しませんでした~」,と言いながら,今度は,昭和のあの頃の,「中卒や高卒の仕事」に従事していることだろう。

「では,人々が支払った高い授業料と,そこに投入された国税は,なんだったのか」という議論が出てくるだろう。

昭和は,すでに終わり,20年の彼方に遠のいた。

戦後60年で官僚制が肥大化し,無駄な国税の使い方が大議論になっている。同様に,ダイガクも,肥大化しすぎているのである。市民の支払う税金も,その後にさらに支払う授業料も,社会的に役に立たないモノ・コト・ヒトに浪費されている。

大学神話が崩壊しただけではなく,日本の大学制度も教育制度も,すでに瓦解している。

哀れなのは,昭和や20世紀の残滓たる妄念に流されてしまう,一般市民ではないか。

若い人たちよ,IT・コンピュータを勉強しなさい。
そうすると,持って生まれた資質や能力で多少負けていても,十分,挽回できる。暗算が遅くても,暗記が不得意でも,そんなことはコンピュータが代理でやってくれる。ITの使いこなし方を学ぶだけでも,知性の発展になるのだ。
それだけではない。
IT・コンピュータは,すでに社会のインフラだから,これを勉強しておくと,飯を食っていける。就職できるのだ。
しっかりとした目的意識を持って勉強し,KCGを卒業したら,未来があるぞ。

昨年度に引き続き,自動車制御学科の今年の卒業生は,皆,この不況の真っただ中の自動車産業界であっても,自動車産業界のIT部門に就職が決まっている。生産台数を極端に縮小しているトヨタも,IT部門は採用を拡大しているのである。

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