本学創立者の命日は

毎年,本学創立者・初代学院長の命日は,創立者の号にちなんで閑堂忌として,教職員学生皆で墓参し,講演会を開催するなど何らかの行事を行っている。今年からは,もうすこし規模を拡大して,寺社仏閣や村のお祭りのような一日にしようということになった。それで教職員も学生さんも,皆でワイワイ楽しそうに騒いでいる。創立者は何よりも学生が好きだったから,あの世から嬉しそうに眺めてくださっていることだろう。

なんであろうと,この日は,教職員にとっては,本学建学の理念を思い起こし,教育哲学を再確認する日である。本学創立者たちが何故何を想って学校を創立したのか。様々な伝説や逸話が残っているが,時の流れに消えた記憶も多い。

数多の人々が集まってきては散じていき,そして学校はまだ残っていて,若い世代のひとたちが中心になって,元気に勉強し,遊んでいる。その光景は昔と似ているが,時は流れた。

日本最初のコンピュータ教育機関として創立されて以来,今年で46周年目である。1986年に創立者が没してから,早や23年の年月を経た。初代が創立し司った時代の,丁度2倍の年月を経たことになる。建学の理念や教育哲学は,それなりに生き残っているのだろうけれども,あの時代の影はもう薄い。

過去23年の間に,コンピュータは大型機からパソコンへ変遷し,そしてクラウドコンピューティングへと変貌しはじめている。情報処理の方法も基本は普遍だが,多くが様変わりした。今のコンピュータの進化をご覧になると,とても驚かれるかもしれないし,もしくは予見されていたかもしれない。

昨年,下記の文章を書いてから,早や一年。想えば,長い日々であったような気もするし,短かったような気もする。昨年,今年のこの今を予見できたことなど何かあったろうか。時間の経過に対する観念は,年年歳歳,速くなるばかりで,これから何倍の歳月を重ねていくのかわからないが,もっと速くなることだろう。自分自身は,これから始まる未来を,どのようにすれば,どれほど,予見できるのか。もっかの疑問ではある。

そういった思惟の中で,たったひとつ,最近,「!」と思ったことがある。「今までやってこれたのだから,これからもやっていくだろう」というのは,ほかならぬ自分の意思であるということだ。

創立者に合掌。歴代の先輩諸兄姉に,感謝。

ハレー彗星の去る歳

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