迷いの中で~6~

 カチ…コチ…カチ…コチ…

 遠くから、掛け時計がリズムを刻む音が聞こえる。
 夢と現の間にある黒く塗りつぶされた闇の中で、さっきの自分と過去の自分が交差して、過去と今が目まぐるしく現れ、そして消えて――。

 感覚が曖昧になっていく。

 『いったい私ってば、何してるんだろ――?』

 ふと浮かんだ問いに、佐織はまぶたを開ける。
 そこにまず、天井の木目模様が飛び込んできて、そこから吊るされた和風の照明のまぶしさに佐織は思わず手をかざして、光を遮った。

 ポーン

 定時を告げる音が、佐織の居場所を―時を伝えてくれる。

 そうだった。
 自分はあれから泣きつかれて眠ってしまったのだ。

 畳をこする音がして、おばあちゃんがゆっくりと席を立つ気配が感じられた。

 コタツの反対側で行われていることなのに。横になっている自分には見えないはずなのに、びっくりするくらいにおばあちゃんの行動を言い当てられる。
 急須のふたを開け、ストーブまで向かって、やかんの中をちらっと覗いて、お湯を急須に注ぐ―。

 すべてが、まるで見ているかのように鮮明に浮かんでいる。

 そして―。
 湯のみにお茶をいれ、おばあちゃんは小さくつぶやいた。

 「お茶、入ったよ」

 佐織がおばあちゃんの行動を言い当てられたのと同じ。
 おばあちゃんも佐織の目覚めを見抜いていた。

 「…ん…。ありがとう」

 うつむき加減に、ごそごそと起きだして湯のみに口をつける。
 少し前に白湯を入れて温めてくれていたのだろうか。
 湯のみは中に入ったお茶は熱を奪われることなく、温かさを共にしていた。

 佐織を温めるために。
 気持ちの均衡を失った心をなだめるために。

 そう思ってはいるのだけれど…… まずい、また泣いてしまいそうだ。
 ……佐織はうつむいて、胸にいっぱいになった感情と一緒にお茶を一息に流し込んだ。

 淹れたてのお茶は思ったより熱くて、ちょっとむせ返ってしまったけれど。

 するとふいに、おばあちゃんは白いアルバムを開いて、先ほど選り分けた写真を順々に薄いセロファンの下に並べ始めた。

 「ね、おばあちゃん。これ、何の写真?」

 湯飲みを置いて、身を乗り出す。
 おばあちゃんは老眼鏡の向こうからちらりとこちらを見て、一瞬、ほっとしたようなうれしいような色を浮かべて、すぐに目線を手元に戻した。

 「老人会の旅行だよ。ほら、秋にあっただろう?」

 「そういえば…」

 「帰ってきてから少しばたばたしてしまって、ついつい写真屋さんに出しそびれてね。佐織ちゃんのお母さんが、京都旅行のぶんを持っていくというから、ついでに行って来てもらったんだよ」

 「ふうん…」

 逆さまのままで、写真を見ると…確かにそこには旅館の大広間でお料理を囲んだり、楽しげに温泉街を闊歩したり、仲良しのヨネさんとカラオケをデュエットしていたり――。

 佐織の知らない、たくさんのおばあちゃんの“顔”がそこにあった。今、目の前にいるおばあちゃんではなく、ただ、旅行をはしゃぐ少女のような顔のおばあちゃんが―。

 それになんだか寂しさを覚えて、佐織は目線をそらした。

 「いいなあ、おばあちゃん。楽しそう…」

 その真意を知ってか知らずか、おばあちゃんは柔和に目を細めた。

 「うん、楽しかったよ。みんな大事な友達だからね」

 「友達…かぁ…」

 思わず、ため息が漏れる。
 どんどん先を行ってしまうあずさの姿が、ふいに蘇ったのだ。

 京都駅の雑踏の中を遠ざかっていく、ちっちゃなフード付きの黒いコート。

 「ちょ、置いていかないでよ!」

 訴えるけれど、あずさはどんどん歩いていく。
 地元にいるときとは比べ物にならない速さで、まるで知らない、都会の人みたいに――。

 あのときは簡単に追いつけたけれど、実際にはどんどん離れていっているのではないのだろうか。
 こうしてどんどん距離があいて、そしていつか2人は――。

 「佐織ちゃん?」

 おばあちゃんの声に、現実へと舞い戻る。
 どうやら1人で考え込んでいたようだ。それもどんどん暗くなっていくオマケ付きで。
 向かい側に座るおばあちゃんが心配そうにするのも、無理もないよなーと思いつつ、佐織は口角を上げて無理におどけて見せた。

 「な、なんでもない」

 「なら、いいけれど…。そうだ。さっきの質問に答えていなかったね」

 「質問?」

 なにそれ、とばかりにぽかんと口を開けている佐織に微笑んで、おばあちゃんが教えてくれた。

 「ほら、”どうして時間が進んでいってしまうの”とかいう…アレだよ」

 「ああ…」

 恥ずかしいような、切ないような―。
 複雑な気持ちの中で、合いかけた視線をそらしていると、それを気にすることなくおばあちゃんはまた1ページ、アルバムをめくった。

 「どうして時間が進むのか――そうだねえ。おばあちゃんには難しいことはわからないけれど、これまで生きてきて思うのはね……」

 「思うのは?」

 気合十分な孫に、落ち着いて、とばかりに手のひらを下に向けて。
 おばあちゃんはさらりと、こんなことを言った。

 「時間はね。誰かに出逢うために、進んでいるんだよ」 

 「出逢うために……?」

 「そう、出逢うために」

 見つめたおばあちゃんの眼差しはとても静かな色を浮かべていて、佐織は黙り込んでしまった。

 時が流れていく。
 
 壁掛け時計が時を刻み、ストーブの上にあるやかんがシュンシュンと鳴り響いている。たったそれだけの音が、あたたかく辺りを満たし、おだやかな流れを作っている。

 そんな沈黙がしばし続いた後で―。
 
  わずかに沈黙して、おばあちゃんはアルバムをまた1ページめくって、さっきと同じようにとてもさりげなく、まるで何でもないことのように尋ねた。

 「佐織ちゃんは、おばあちゃんがこの家に来たときのことを覚えているかい?」

 「…えっと」

 つぶやいて、考え込む。
 おばあちゃんがここに来たのは、今から10年前で―。
 そのとき、佐織は8歳。小学校生活にも慣れて、いろいろと楽しみも増えてきた時期だった。
 もちろん、おばあちゃんが我が家にやってくると聞いて、飛び上がるほど嬉しかったのも覚えている……けれど。

 でもその中で、おばあちゃんは何を話そうとしているのだろう。
 真意をはかりかねて、佐織は首をかしげた。

 するとおばあちゃんは、孫の様子を優しく見つめたあと、こんなことを話してくれた。

 「10年前。おじいちゃんが死んでしばらくして、区画整備で前の家を立ち退かないといけなくなってね。大きな道路を作れば、たくさんの人が便利に暮らせるんだろうけれど、でもやっぱり、不安でねえ…。どうしようもないとはわかっていても、いろんなことを悩んでいたよ」

 ふっと手を止めて、おばあちゃんはここではないどこか遠くへと視線を投げた。

 「新しい場所に馴染めるだろうか。友達はできるだろうか。うまくやっていけるだろうか…って。それはたくさん悩んでねえ。頭がゴチャゴチャになってしまっていたよ」

 「……」

 無言で話に聞き入る。
 なぜなら、おばあちゃんの紡ぎだす言葉1つ1つが、佐織の悩みに小石を投げかけているような気がしたから。

 おばあちゃんは佐織に何か―――大きなものを示してくれている気がしたから。たとえば、ターニングポイントのような何かを。

 「でもねえ。あるとき、思ったんだ。長い長い人生の中で出逢った人々、おじいちゃんやたくさんの家族、それからあずさちゃん、……そしてもうやすやすと会うことも出来なくなった友達…。あの人たちがいてくれたから、これまで生きてこれたんだなあって」

 「…………」

 瞬間、心の中に波紋が広がる。
 投げかけられたそれをつかもうと、懸命に耳を傾ける。
 おばあちゃんはうなづいて、湯飲みを両手で抱えて指先を温めた。

 「出逢いはね、人を育ててくれるんだよ」

 「…あ」

 そうなんだ―。
 心の中で、自分が何かをつかんだ実感があった。

 自分の人生。
 それはお父さんやお母さん、実佐、あずさ、それからたくさんの友達との出逢い――そしてこれから、その延長線上にはきっと―。

 まだ見ぬ未来での人々との出逢いがあるのだ――。

 佐織が、自分の未来を決めた瞬間だった。

       ~次回”スタートライン~1~”につづく~

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迷いの中で~5~

 「あら?」

 いぶかしがるような声を耳にして、思わず顔を上げる。
 どうやら気付かないうちに、うつむき加減になっていたようだ。

 こんな明るくてにぎやかな雰囲気―、それも大好きなお買い物の最中に、自分ではどうしようもないことを考えて凹むだなんて。

 『なんて自分らしくない―――!』

 心の中でつぶやいて、ちょっと愕然として、唇のはしをきゅっと上げる。
瞬く間に気持ちは軽やか、いつものゴキゲン状態に戻った実佐は声のした方へと振り返った。

 「お母さん?」

 「あ、やっぱり実佐だった。ね、お父さん。私の言った通りだったでしょう?」

 弾むように手をたたいて、目を輝かせているお母さんの後ろで、ビニールの買い物袋を山ほど抱えたお父さんが苦笑いしていた。

 「本当。あんな遠くからよくわかったなあ…。しかも後姿で」

 それを聞いて、お母さんは得意げに胸を張る。

 「それはもう、親ですもの。5キロ先からでもわかる自信があるわ」

 「5キロって……」

 お父さんと実佐が声を重ねて、言葉を失う。
 何、5キロって。
 普通の日本人なら無理でしょう――とは思っていても、母の勘は侮れないわよって息をまいているお母さんに突っ込む勇気はないけれど。

 現に、今も。

 「ま、実佐もお母さんくらいのレベルになればわかるわよ」

 なんだか嬉しそうにしているし…。
 我が親ながら、計り知れない人だ。

 そうやって小さくため息を逃がしていると、お母さんがショーウィンドウを見て目を丸くした。

 「あら、珍しい。実佐がジーンズだなんて、どういう心境の変化。失恋でもしたの?」

 じっと顔をのぞきこむようにして、目線を合わせようとする。
 それを振り切るように顎を上げ、実佐は首を振った。

 「失恋って、何なのよ。女子高通ってる娘に向かって」

 赤面して否定する娘に、お母さんは頬杖をついて軽く首をかしげた。

 「あら。でも、最近はそういうのも流行っているって、サークル仲間に聞いたんだけれど。いろいろな漫画やDVDが出てるんでしょ。本当、エネルギッシュな時代になったものよね…」

 「え、えねるぎっしゅって……。いったいどこで、どんな知識を拾ってきてるのよ、お母さん……」

 恐るべし、大人世代―。
 日々、接しているお姉ちゃんならそうでもないかもしれないけれど、たまに会う娘にはちょっと刺激が強すぎる…というか。
 そうして頭の中を整理しつつ、曖昧な笑みを浮かべていると、

 「そう、そうなのね。お母さん、わかったわ」

 勝手に納得しかけているし―!
 これじゃあ、勝手に解釈して認識して悲嘆に暮れて、そのサークル仲間とやらに嘆いて回るかもしれない。

 「うちの娘がね、学校で失恋したみたいで…。母としてどうやって慰めていいかわからないの…」

 なんて涙を1粒、ぽろりと流しながら。

 そ、そ、そんなの困る。
 高校生活もあと1年ちょっとだというのに、町に戻ってそんな噂が浸透していたら。

 実佐は慌てて手を振って、語調を強めて否定した。

 「違うから! 失恋なんてしてないから!」

 「だって、実佐…」

 「まあまあ、いいじゃないか。2人とも」

 大きな手を広げて、割って入るお父さん。
 その微妙なタイミングが、実佐をさらに焦らせていく。

 「良くないわよ、お父さん。だって私、単にお姉ちゃんのこと考えてただけなのよ? これ、お姉ちゃんが好きそうなコーディネートだなーって思って、それで」

 一息に言い切って、すうっと深呼吸する。
 するとお母さんがポンと手を打った。

 「そっか、佐織。確かにこの服、あの子っぽいわね。ね、お父さんもそう思わない?」

 「そうかぁー?」

 首をひねる姿に、お母さんはニヤリと余裕たっぷりに腕組みした。

 「そうよ、親ですもの。私、自信があるわ。お父さんも私くらいのレベルになればわかるわよ」

 …いったい何のレベルなのよ、何の。
 第一、お父さんもお母さんも同じ親でしょうに…。

 そんなふうに脱力していると、お母さんはふと何か閃いたかのように目を見開いた。

 「そういえばあの子、どうしたのかしらね…最近」

 「どうしたって?」

 お父さんに尋ねられて、お母さんは目線をどこかに投げて記憶を手繰り寄せながら話し始めた。

 「どこかボーッとしたかと思ったら、変に赤くなったり慌てたりして。何て言うのかしら…。悩んでいるというか…考えている様子なのよ。そう、突然、京都から何かをお取り寄せしたりして」

 『お取り寄せ?』

 そのキーワードに、実佐の片眉がぴくっと上がる。
 何、その流行好きなOLさんが使っていそうな単語は。
 使用例は“昭和初期から続く名店××亭の、ベルギーワッフルをお取り寄せしました”というところだろうか。笑顔で高そうなお菓子の入った箱をこちらに向かって傾けて見せているイメージが浮かぶ。
 
 とにかく。

 これは、流行のりの字も疎いお姉ちゃんには全く…いや、絶対に係わり合いのなさそうな世界の言葉だ。

 でも…でも…、たとえばもしかして。

 初めて出かけた京都での旅が、お姉ちゃんを大きく変えてしまっていたとしたら。初めて訪れた地元以外の町、それも100万人都市の雰囲気に飲まれてしまったとしたら。

 『ありうる……かもしれない……?』

 あの純粋だったお姉ちゃんが、まさか流行に関して自分の先に行ってしまうとは―!
 衝撃のあまり、実佐はウィンドウを見上げて固まってしまった。

 「そ、そんなバカな……」

 なんて、絶句するすぐ横では、お父さんとお母さんがやりとりを続けている。
 けれど“あやふや”なお母さんの勘に基づく話は、やっぱり“あやふや”だったから、お父さんとしても大事に受け取ってもらえるはずもなく。

 「何かおかしいと思うのよ。不安定というか、落ち着きがないというか」

 「まあまあ。年頃なんだから、不安定だったり落ち着きがなかったりもするだろう。それに卒業したら、あずさちゃんとも離れ離れになるわけだし。あの子なりに考えるところもあると思うよ」

 「そうねえ…」

 お母さんは、記憶を辿りながらもイマイチ納得できないようで。
 それでもそろそろいい時間だったし、お腹もすいたしで、思考力の落ちた3人はお昼ご飯を食べにレストランゾーンへ移動することにした。

 この“あやふや”が、あとで我が家に大激震をもたらすことなんて、想像だにしないで―。

       ~次回”迷いの中で~6~”につづく~

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迷いの中で~4~

 そんなことが起こっているとは露知らず。

 腕にぶら下げた紙袋をガードしながら、器用に人ごみの中をすり抜けつつ――実佐は笑みをこぼした。

 「ふふふふふー…」

 頬はゆるみまくりで紅潮させて、唇はわずかに残った理性で一文字に結んで、なんとか笑うまい…ここは人通りの多い場所だから…って何度も何度も言い聞かせた上で――。

 けど、どうしても…どうしても抑えられなくて。
 それでついつい、笑ってしまったのだ。

 「ふふふふふー……」

 って。

 ――といっても、いつまでもニヤけながら歩き続けるのも…その、アレなので。

 「えっと」

 人の流れを避けて、比較的、静かなお店のショーウィンドウに身を寄せる。

 ズレ落ちたバッグを肩にもどすついでに、その外ポケットから携帯電話を抜き出し、二つ折りのそれを開いて。
 実佐は可愛らしい外国のキャラクターが微笑む待ち受け画面の隅に表示された、現在時刻を確認した。

 そろそろ、お昼過ぎ―。
 昼食ラッシュが過ぎるまで、あと少しといったところだろうか。

 「もうちょっと時間を潰すことにしますか…」

 予定を決め、まだ回っていなかったお店をピックアップしながら、携帯を折りたたむ。

 すると。

 「あ」

 携帯の下で揺れる、いくつものストラップたちの中で。

 女子高生らしく、流行りもの好きな実佐らしく、きらびやかで可愛いらしいキャラクターのものばかりの中で――なんだかミスマッチなそれを見つけて、実佐は懐かしむようにホッと息をついた。

 ゆるんだ付け根を何度も修繕したような、古い時計を象ったキーホルダー。それはかつて実佐が中学に入るときに、機械オンチの姉に半ば強引に携帯電話を持たせたとき。

 『お姉ちゃん、これだけちゃんとメールの仕方を教えたんだから。ちゃんと使ってよね。これ、約束のしるしだからね』

 と、お揃いでくくりつけたストラップだった。

 離れても、別々のところで暮らしても、私のこと忘れないでねって願いながらも、口に出せないままで。

 「ふぅ…」

 いったい何をやってるんだろう。
 こんなにぎやかな場所で、楽しみにしていたショッピングの時間に感傷に浸ったりして。

 気を取り直して、くるりと振り返ったショーウィンドウを見て、実佐は目を見開いた。

 「あ…」

 あまり流行りすたりのなさそうなセーターの上から、丈の短いダウンジャケットを纏い、下にはジーパンとスニーカー。

 今頃、家でのんびりしているはずのお姉ちゃんが、そこにいるみたい。もちろん、今、実佐の目の前で照明に照らされているのは間違いなくマネキン人形で、自分と血の繋がったあの人ではないのだけれど。

 そして実佐は、いつも思っていた。

 お姉ちゃんって、こういうのは似合わないのに――と。

 もちろん、物事をずけずけ言い放つタイプの実佐は、折に触れてはその格好について苦言を呈し続けてきた。

 「どうしていつもジーパンばっかりなの?」

 とか、

 「スカートを1枚も持ってないって、どういうこと?」

 とか、

 「お姉ちゃんには絶対、女の子らしいのが似合うのに」

 とか―。

 数え上げればキリがない。
 それくらいちょくちょく、携帯メールでのやり取りや、たまに帰省したときなど――何度も何度も提案し続けてきたのだ。

 たとえばつい最近、卒業旅行で京都に行くというとき、

 “京都の女子はスカート率が、とんでもなく高いらしいよ”

 なんてメールしたりして。
 
 まあ、昨日のジーンズと力の抜けたトレーナー姿を見たら、それも無駄だったみたいだけれど。

 それでも実佐は信じているから。

 お姉ちゃんはきっと、スカートが似合うはず。
 彼女に合う装いにしたら、もっともっと可愛くなれる。
 
 だけど、お姉ちゃんは。 
 今のお姉ちゃんは前に進む可能性に目を向けることなく、やる前から諦めている。
 
 それが悔しいし、勿体無い。
 そう思うから、ついつい言ってしまうのだ。しつこくて、余計なお世話なのは重々承知の上で。

 だけど、肝心の本人はというと。

 「だって私、背が低いから。ジーンズの方が足が長く見えるような気がするから…」

 いつも同じ言い訳をして、決まってこう続ける。

 「実佐はスタイルいいし、キレイだし。私が似合わないぶん、いっぱいいっぱい可愛くすればいいよ」

 …どうしてなんだろう、勿体無い。
 
 まあ確かに、自分はお姉ちゃんよりもすらりと背が高いし、顔のパーツも基本形は似ているけど、少し離れたり細くなったりと大人っぽくなっているし、………こう言っては何だけれど、胸もあるけれど。

 自分でも結構、イケてる方だと思うけれど。

 と、実佐はショーウィンドウのガラスに映る自分に、一瞬だけ見惚れる。

 「うん。今日の私も素敵だわ」

 あごを上げて、目を細めてみたりして。
 服装もスタイルもそれなりに気を使って、常に自分の可能性を探っているのだから、当然なのだけれど。

 心の中でうんと自画自賛する。
 これでもかっていうくらいに賛美する。
 それも美を保つ秘訣の1つだと思うから。

 「えへへ」

 ウィンドウを見つめながら、実佐の意識は少しだけ調子に乗り始めた。

 これだけイケてるんだから、可愛いんだから。
 女子高を出たらきっとモテモテの大学生活が待っているに違いない。
ムカデと戦うことも、一目で蛇の種類を見分けてしまう知識と動体視力を頼りにされる日々ともまったく無縁な日々が。

 自然は嫌いではないけれど、まだまだ若いもの。
 実佐はそろそろ町の風に当たってみたいと、願い始めていた。

 町での生活。
 オシャレなカフェに行ったり、デザートバイキングに行ったり、お洋服を見て回ったり、やりたいことがいっぱい出来る毎日。

 そして、ひょんなことで出会う運命の人。
 たとえばどこかの街角で、出会いがしらにぶつかったりして、それがキッカケで人生が大きく変化しちゃったりして。

 でもって最終的には、その人と―――。

 「なんちゃってなんちゃってなんちゃってー!!」

 ウィンドウのガラスに“の”の字を書きながら、照れ笑いをする。

 女子高育ちであんまり異性に免疫のないから、たまに少し夢見てしまうのだ。

 「こほん」

 閑話休題とばかりに指を止めて、実佐はマネキンを見上げた。ウィンドウの向こうで、照明に照らされているマネキンは――たぶん、服によって姿を変えるわけで。そうなると印象も雰囲気もガラリと変わるわけで。
 
 そしたら…そしたら…――。

 「お姉ちゃんも変われる、んだよね……」

 目のはしを人々が流れていく。
その喧騒の中で実佐はしばし、寂しさとも悲しさともつかない表情でウィンドウを見つめ続けていた。

       ~次回”迷いの中で~5~”につづく~

 ↓神崎佐織のラフスケッチ~決定分~

 

神崎佐織ラフスケッチ決定分その3
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