あずたん、アワードに行く~5~

 見知らぬ土地に来ると、大なり小なり様々な出会いがある。
 
 それは例えば道に迷ったときに話しかけた誰かだったり、ふと取り落とした荷物を拾ってくれた誰かだったり、本当にさまざまで。そんな些細な出会いが、旅に程よいスパイスを与えてくれる――のだけれど。

 目の前の光景に全身の感覚を総動員しつつ、あずさは思った。

 『ちょっとコレは、程よいスパイスどころじゃないんじゃない?』

 そりゃあ確かに、あずさが入試に出かける数日前。
 佐織ちゃんは受験で知り合った“誰それ”も一緒に今日の発表会に行くって約束してるんだとか何とか…。だからあずさも、それじゃあちゃんと猫かぶらないと―――じゃない、ちゃんと無難な優等生モードでご挨拶しないとと思っていたわけだ。

 これまでとさほど変わらない、普通の出会いを重ねるだけと信じて疑っていなかったから。

 それが一体どうだろう、この数時間。
 予想は心地よく裏切られ続け、あずさは佐織の未来の学生生活に軽い羨望の気持ちすら抱いている。

 そんな具合だからあずさは、今やってきた巻き髪ちゃんにも自然と大きな期待をかけていた。

 「あっ、あんたは……!!」

 なんて、なつみさんのことを軽く睨んでいる彼女に―。

 対するなつみさんはというと、佐織ちゃんと取り換えっこできなかったジュースを飲み飲み、目だけ動かして視線を彼女に向けた。

 『はたして、巻き髪ちゃんの胸には何が渦巻いているのだろう? なつみさんとの過去は、因縁は、一体……?』

 と、あずさが勝手に脳内でナレーションをつけていると、なつみさんが実にあっさりと終止符を打った。

 「アンタ、誰?」

 「「「「えっ………?」」」」

 4つの気の抜けたような声が重なる。
 そんな雰囲気を狙っていたかのように、一陣の風が吹き抜けた。
 まだまだ寒さの残る風が、びゅうっと一息に、公園の中を軽くかき混ぜていく中をなつみさんが首を傾げている。

 「だって、ほんまに覚えてへんのやもん。しゃーないやん。ねっ、ねっ? 別にいいやん、今から友達になれば。なっ、なっ?」

 ここまで来れば逆に清々しいというか、ポジティブというか―。
 うつむいて唇をへの字に曲げて、わなわな震えている巻き髪ちゃんに話しかけている。ついでに秋月先輩に確認することも忘れずに。

 「で、この子の名前、何やったっけ?」

 「…お前ってやつは……鬼だな」

 「教えてくれてもええやん。ねえ、頼むわ」

 ぱんっと手を合わせて拝み倒して、解答をもらっていた。

 「ミオちゃんだよ。サナダミオ」

 すると、なつみさんは腕組みして目を閉じた。

 「えーっと、ミオ…ミオ…サナダ………うぅーーーん…うぅぅーん…」

 どうやら頭の中の人名記録を総動員して、脳内検索をかけているらしい。
 ネットだと1秒足らずで出来るのにね。
 人間の頭って、複雑なものだ。

 一方、微妙な居心地の悪さに耐えられなくなったのか、秋月さんはこちらに話しかけてきた。

 「…えっと、今日は皆でアワードに?」

 対して、佐織ちゃんが助かったとばかりに話に乗る。

 「は、はい。受験のときにここの先生に勧められたんです。2階事務室の、えっと、確かKCGのおふ…なんだっけ」

 人差し指をあごに当てて記憶を辿る佐織ちゃんの言葉に、秋月先輩が閃いたとばかりに答えを言い当てる。

 「それってKCGのおふくろ?」

 「ああ、そうそう。そうです」

 え、何のこと?
 あずさは首を傾げつつ、考える。

 KCGってのは確か学校で、京都コンピュータ学院で、そこのおふくろってことは……………学食の名物おばさんとかだろうか? そのおばさんが、受験後、のほほんと学校を歩いていた佐織ちゃんをアワードに誘った…ってこと?

 「???」

 あずさは傾げた首をもう片方にかたむける。

 確か、受検のときに会った大人は、ダンディ風味な先生だけだったとか言っていなかったっけ?
 別の人だったのだろうか?

 イマイチ、話の輪郭がつかめないあずさを残して、秋月先輩と佐織の会話は続く。

 「香坂先生かー。あの人、積極的だもんなー。先生らしくないっていうか、砕けすぎっていうか。まあ、それがあの人のおもしろい所なんだけれど」

 「へぇー」

 「そういえば前にさー、こんなことがあったらしくて…」

 「え、何ですか~?」

 と、場の空気がふわりとなごみかけたところで、なつみさんがふいに大声を出した。

 「あーーーっ、思いだした!」

 巻き髪ちゃん……じゃない、ミオさんに人差し指を突き付けて、なつみさんはこう続けた。

 「思い出した! ピーマン嫌いのみおぴーだ!」

 突然のあだ名プラス嗜好の発表に、たまたま口をつけたジュースをむせ込む佐織ちゃんと、意外な展開にときめくあずさと、ただオロオロする秋月先輩を横目に、ミオさんは赤面してなつみさんを睨みつけたのだった。

 「もう嫌いじゃないもん! 余計なこと言わないでよね、このベッタリなつみぃぃぃ!!!」

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あずたん、アワードに行く~4~

 「あれ、なつみー?」

 ふいに呼びかけられて、流れていた空気が一瞬、ストップする。
 指名されたなつみさんはというと、先ほどの熱さが残るのか、赤くなった舌先をちょこんと出したまま、視線をさ迷わせた。

 「え、だれー?」

 くるくるあちこち見まわす姿は、初めて会った時そのもの。
 ハイテンションモードが、再び頭をもたげ始めたようだった。

 「だっれですかー?」

 ニコニコしながら呼ぶ姿は、まるでとんでもない速さを突っ走る車のよう。あずさは内心、この人、コンピュータ習うより自動車制御学科で制御してもらった方がいいんじゃない、なんて毒づきそうになってしまった。

 もちろん、優等生キャラな自分にそんな無謀なことはできないのだけれど。

 あずさは自身の好奇心も頭をもたげ始めたのを感じながら、相手を特定したなつみさんの視線を辿って、公園の脇道を見つめた。

 一方、隣に座る佐織ちゃんはというと。

 「わわっ、早く食べなくちゃ………んぐっ!?」

 面識のない人の登場を前に、のんびりハンバーガーをパクついているわけにはいかないと思ったのか、大きくかじって飲み込んで、ついでに喉につまらせてしまっていた。

 まったく、抜けているというか何というか―。

 あずさは苦笑いしながら、佐織に自分のグレープジュースを差し出す。

 「はい、佐織ちゃん」

 「ありがとぉー……」

 消え入りそうな声を出して、カップを傾ける佐織ちゃんに軽く笑み、あずさは視線をかの人に戻す。

 類は友を呼ぶ――と言ったら、失礼かもしれないけれど、彼もなつみさんと似たようなジャンルで、なおかつ、あずさがこれまでテレビでしか見たことがなかったタイプの人だった。

 ピアスだらけの耳に、重力なんてまるで無視といわんばかりに天に向かってそそり立つ金髪、そしてどこかのロック歌手のような風貌―。

 あぁ、なんて面白そうな人なのだろう。
 あずさはまたもや、こうした楽しげな人と容易く知りあっていく親友を心から羨ましく思っていた。

 『佐織ちゃんの人生って、ホント“面白い”があふれすぎなのよ――!』

 高鳴る鼓動をおさえながら、あずさは身を乗り出して、親友を挟んだ向こうにいるなつみさんに声をかけた。

 「誰? なつみさんのお友達?」

 問われて、なつみさんが腕組みして大袈裟に唸る。

 「ん~~~~…。友達……っつーか、先輩? バイトで知り合ってん、つい最近。アタシと違って、見た目はアレやけど、まあええヤツやで」

 「なつみさんと違って………?」

 思わずこぼれた言葉に、彼女が軽く睨みつけてきた。

 「何やの、それ。アタシはあんなに派手じゃありませんよーだ。“明るいけれどちょっと健気で控えめなギャル”、それがアタシのテーマなんやから」

 「そうなんだー」

 なつみさんがあんまり胸を張って言うものだから、あずさは得意の優等生スマイルを浮かべて、表情に軽く蓋をする。
――張ってる割には意外と胸、ないのね……なんて思ったのは内緒。口が裂けても言えない。だって、優等生キャラだもの。

 「んで」

 「きゃあ!?」

 いつの間にか目の前に移動してきていた彼に、3人が狼狽する。
 彼は傷ついたとばかりに、心臓のあたりを手でおさえてみせた。

 「うわっ、ひどっ。人をモンスターかゴースト扱いして。俺、こう見えてガラスのハートなんだぞ。めっちゃ傷つくやんか」

 なんて言いながらニヤニヤしているのはたぶん、それほど気にしていないせい。

 なにせ初対面。
 ここはあまり観察眼を鋭くせずに、無難に接するのが一番だろう。

 ――と、あずさが結論付けたところで、なつみさんは頬をふくらませながら、手をひらひら振った。

 「男のくせにガラスとかゆーなよなー、先輩。…あ、紹介するわ。こちら、秋月ナントカ先輩。バイトで知り合った、優柔不断でちょっと抜けてる人。んで、こっちはアタシの親友2人組のサオリンとあずたん」

 「お、おい、ナントカはねーだろ。あとそれから、もっとマシな紹介してくれよ。学院周辺の猫にも好かれる心優しくイケてる人、とか」

 うろたえつつも、きちんと要望を伝える秋月さん。
 対して、なつみさんはご機嫌斜めから気分が持ち直してきたのか、リップグロスが光る唇のはしを上げて、ニヤリと笑ってみせた。

 「ええやんか、そんな細かいことー。先輩が抜けてるのは、曲げられん事実やからなあ」

 「こ、このガキ…!」

 「あぁ、蘇るエピソードの数々…。頭の中にムラムラ蘇ってくるわー」

 ここで佐織ちゃんが顔を赤くして、なつみさんの袖を引っ張った。

 「な、なっちゃん。ムラムラは……ちょっと」

 普段、どちらかというと突っ込みではなくボケ気質な佐織ちゃんの言葉に、なつみさんが目を丸くして見つめ――そしてコソコソと密談を始めた。

 「え、何で。アタシ、おかしいこと言った?」

 「おかしいっていうか……。たぶん、かなりおかしい…」

 「え、マジ。アタシ、ヤバすぎ、イケてない?」

 「うん。やばいし、いけてないと思う」

 「そっか。そりゃ、あかんな」

 秋月さんを放り出して、今後の対策を練る2人。
 あの、彼、やることなくて困っているんですけど。
 ここで話しかけるのもあまり面白くなさそうなので、あずさが曖昧な笑みを浮かべていると―。

 「あっ、いた!」

 またもや、公園そばの小道から。
 コンビニのビニール袋を大きく揺らしながら、少女が息を切らせながら走り込んできた。

 「ちょっと、秋月。何で先、行っちゃうのよ。待っててって言ったのに!」

 苦情を言いながら、瞬く間に秋月さんのそばに駆けてきた少女は肩からこぼれ落ちた巻き髪を払い、やがて、その向かいに座るなつみさんを見つめて、顔をわずかに――いや、思い切りひきつらせた。

 「あっ、あんたは……!」

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あずたん、アワードに行く~3~

 「あずたん……」

 お昼前の京都駅正面改札口そばで―。
 あずさはつぶやいたまま、絶句していた。

 「そ。あずたん。ええやろ?」

 目の前では、なつみちゃんが太陽みたいな笑顔を浮かべている。
 明るい眼差しから逃れるように、その肩の向こうに視線を向けた。

 切り取ったような青空のもとで、堂々とそびえたつタワーを見ながら、あずさは思った。

 生まれて18年。
 物心ついた頃から医療の道を目指すべく、勉強に勉強を重ねてきた。
本当はどこかで、佐織ちゃんや他のクラスメイトのようにのんびりと過ごしたかったのだけれど、気付けば真面目な優等生キャラになっていて。

 うまく言えないのだけれど、まわりとの距離を感じることが多かった。

 そんな自分が今―。

 「あず…たん…ですって…?」

 石のように固まったまま、ゆっくりと反芻するようにつぶやくあずさ。
 その姿に焦りを感じたのか、佐織ちゃんがささっとなつみさんとの間に割って入ってきた。

 「ね、あずさ。どうしたの。気分悪くした?」

 肩に手をのせて、グラグラ揺さぶってくる。
 揺れるタワー、揺れる佐織ちゃん、そして自分。

 無意識のうちに笑いがこみ上げてきた。

 「ふっふっふっふっふっ……」

 「あ、あずさ?」

 「え。あずたん?」

 「ほら、また。あずたんって……ぷっ…あははははは…」

 一度吹き出したものは、なかなか止まらない。
 たとえ親友が戸惑っていても、初対面のなつみさんがぽかんとしていても。
 止まるはずがないのだ。
 だって、自分がまさか―――あの、良くも悪くも真面目な優等生で通っていた自分がまさか、あだ名をつけられちゃうだなんて。佐織ちゃん以外には、苗字で呼ばれることがほとんどだったのが、ここでいきなりあだ名をつけられちゃうだなんて。

 もう、どれだけすごいのよ。佐織ちゃんの引っ張ってきた縁は―!

 考えれば考えるほどにおかしくて、楽しくて。
 
 そうしたらもう、止まらなくなってしまったのだ。

 

 そして。
 お腹がよじれるほどに大笑いしてようやく治まったところで、なつみさんが何だか決まり悪そうな顔をして、よろけそうになった手を支えてくれた。

 「なんや、悪いことしてしもたんかな…。あずたんって嫌やった?」

 上目づかいで、どことなくこちらを気遣う姿に、あずさは取り出したハンカチで目のふちをぬぐいながら首を振った。

 「ううん、全然」

 「そっか、良かった。さっすがサオリンの親友なだけあるなあ。オモロイ人やわ」

 なつみさんはニーッと口元を横に引っ張ったかと思うと、片手であずさ、もう片方で佐織の腕をつかんで、さくさく前に進み始めた。

 「さ、行こ行こ。まずは腹ごしらえや。お腹すいとったら、オモロイ発表聞き損ねるかもしれへんからなー」

 「………って、なんでこんな所なんよー」

 尖らせた唇から、悲しみのため息が漏れている。
 その横に並ぶようにして座っていた佐織とあずさが、苦笑いしながら顔を見合わせた。

 「そんなこと言っても…」

 「ねえ…」

 数十分後、京都コンピュータ学院そばの公園にて―。
 集ったばかりの3人は、まだまだ寒さの残るベンチに身を寄せ合って腰かけていた。

 理由は、お店が混んでいたから。
 地下のレストラン街をうろついた果てに見つけたファストフード店で、席がないことに気がついたときはすでにレジの順番がきてしまっていて、また探し回るのは疲れるので、そのへんで食べようということになったのだ。

 それも外がこんなに寒いと知っていたなら、やめたのだろうけれど。
 どうやらなつみさん、あんなに盛り上がっていたのにそこまで考えていなかったみたい。

 寒さですっかり意気消沈してしまい、2度目のため息を漏らした。そのついでに膝上の紙袋を開いて、動きを止める。

 「はぁー……。……あ、しまった」

 その言葉に、佐織ちゃんがハンバーガーをかじりながら目を丸くする。

 「ぬ、ろーしたの?」

 わずかに眉をひそめたなつみさんに、あずさはポテトをかじってから翻訳をしてみせる。

 「“ん、どーしたの?”だって」

 「あ、なるほど」

 拳を縦にして手のひらをポンとたたいて、なつみさんは怪しげに微笑んで隣に座る佐織ちゃんにしなだれかかってきた。

 「ねー、サオリン。アタシのオレンジジュースとそのスープ、取りかえっこしない? 今なら氷多めの特別サービス、ついてるわ・よ」

 思わぬお色気ちっくなモードに、佐織は膝にあったファストフードのロゴ入り紙袋を抱えこんだ。

 「ちょ、やだ! こんなコートも脱げない寒さで氷飲料だなんて、無理。だいたいそれ、なっちゃんが氷多めでって注文してたんじゃないー……や、耳くすぐったい、やめてぇぇ~~~~」

 思わぬ攻撃に身をよじってかわそうとするも、なつみさんはなかなかあきらめない。

 「スープ、欲しいの。お・ね・が・い」

 と、佐織ちゃんは助けを呼びながら、ふとこちらを見て凍りついた。

 「やめてぇ~~~…って、あずさ…何、写メ撮ってるのよ~~」

 「あ、ごめん。バレた?」

 「バレてるも何も…。そんな堂々とかまえてたら…」

 顔を思いっきりしかめる向こうで、なつみさんがまぶしい笑顔でVサインしてみせた。

 「ホントだ。ぴーす」

 「ぴーす、じゃないってば~…もぉ」

 がくっと肩を落としてなつみさんの迫りがゆるんだ隙に、紙袋におさまっていたスープの蓋をあける。そして頬を膨らませながら、そのカップを差し出した。

 「はい、分けてあげる。でも全部飲んじゃダメだよ」

 「サオリン……」

 瞳をうるませ、両手を胸の前に組み合わせているなつみさんは、どうやら佐織ちゃんの行為に感動…………したのかと思いきや。

 「いっただきぃ」

 ためらいなんか微塵も見せずに、容器を奪い取って一気飲みしようとして。

 「あっつぅ!!」

 思いっきり舌を突き出して、涙目になった。
 そのゆるんだ指先から容器を回収した佐織ちゃんは、苦笑いしながら後ろを振り返った。

 「だってスープだもん。熱いよ、ねえ?」

 話をふられて、あずさはかまえていた携帯電話を折りたたみながらうなずく。

 「そうねぇ。それはそれでいい絵が撮れたかもしれないけれど」

 「だから、写メしないでってば」

 「そう? 残念だわ」

 「そーやで、サオリン。昔から言うやろ。事実は小説より奇なりって」

 「それ、使う場所間違ってると思うけれど…」

 苦虫を噛み潰したような佐織ちゃんに、おかしいなと首をひねるなつみさん。その2人があまりにもおかしくて、あずさが、吹きだしそうなのをこらえていると。

 少し遠く――公園の外から、聞きなれない男子の声が響いてきた。

 「あれ、なつみー?」

 一同がいっせいに、公園の横を通る小道に視線を向ける。
 一人の少年があきれ顔をして立っているのが、視界に入った。

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神崎佐織ラフスケッチ決定分その3
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あずたん、アワードに行く~2~

 『いったい何が起こっているのかしら』

 期待に高鳴る鼓動を感じながら、あずさは進みかけた歩みを止めた。

 「…おっと」
 
 すすっと後ずさって、少し遠巻きに彼女たちを見つめる。
 楽しい出来事が起こりそうな予感に目をキラキラ輝かせながら、あずさはそっと手を合わせた。

 改札口のそばでは、抱き合う少女が2人―。

 正確には“抱きついてるのと抱きつかれるのが合わせて2人”ってことになるのだろうけれど、細かいことはどうでもいい。

 休日の昼間の京都駅。
 地域住民も、観光客もうじゃうじゃいるこの人通りの最中で、少女が2人、抱き合っているのだ。

 しかも片方はダッフルコートにジーパンの比較的地味目なタイプに対して、もう片方は太ももの半ばまである明るい黄色のロングニットの下に緑のタイツと茶色のモコモコブーツを合わせていて―見るからにギャルで派手なタイプ。

 地味と派手。
 どこからどう見ても、正反対のタイプにしか思えない。

 だからこそ、それがあずさの好奇心に火を付けていた。 

 『佐織ちゃんってば、なんて羨ましいの!』

 昔からそう。
 佐織ちゃんはいつも思わぬ人に好かれてきた。それも1つの才能だと言わんばかりに。
 
 そしてあずさも昔からずっと、何かおもしろいことが起こるたびにこうやって密かに出来事を観察……いや、見守っているのだ。

 「サオリ~~ン、ほんまにメッチャ会いたかったわぁ~」

 ギャルちゃん(名前を知らないから、とりあえず仮名)に抱きしめられて、驚いて固まっていた佐織ちゃんが、顔を真っ赤にしてもがき始めた。

 「ちょっ、やめてよ。こんなところでー」

 「何言ってんの、水臭いわぁー。アタシとサオリンの仲でっ」

 そう言ってギャルちゃんは腕に力をこめつつ、目を細めている。
隙間がないのではと思えるほどに黒々とした“つけまつ毛”に、あずさは感嘆のため息をついた。

 「ホントにギャルなんだぁー…」

 そのまま大きくうなずき、唇のはしを上げた。

 「いいねぇ、佐織ちゃん。ああいう面白そうな人に好かれて」

 だってここは京都駅、しかも正面入り口―。
 こんな観光地のメッカで人通りの多いところで、あんなふうに熱く抱き合えるだなんて人はそうはいない。

 いや、かなりいないはず。
 そう考えるとやっぱり佐織ちゃんはある意味、恵まれた人に違いないのだ。

 羨ましい人――まあもっとも、自分はそうなりたくないけれど。

 ―――なんて考えて、あずさが喜びに頬を染めている間、佐織ちゃんは固まったまま、辺りをキョロキョロ見回して叫んだ。

 「…あ、いた!」

 旅行カバンを持たない手をひらひらさせて、あずさに救いを求めている。

 残念。どうやら今回はこれ以上、傍観者でいられないみたい。

 あずさは苦笑いして、彼女たちに近寄った。

 「お取り込み中、すみませ~ん」

 「「お取り込み中?」」

 佐織ちゃんの怪訝そうな声と、ギャルちゃんの無邪気なそれが重なって、なんだか不思議なハーモニーを描いている。

 「まあ、お取り込み中ってほどでもあらへんけどね。しいて言えば、熱い再会ってやつ? そんなとこやな」

 「なんなのよー…熱い再会って…」

 抱きしめていた腕を下ろして、そのまま腕組みしてうなずくギャルちゃんの横で、佐織ちゃんはヘナヘナと崩れ落ちそうになって。

 「あ」

 何かに気がついて、あずさとギャルちゃんを交互に見た。

 「え、えっと。2人とも初めてだったよね」

 言いながら間に立って、ギャルちゃんに手のひらを向ける。

 「こちら、新城なつみさん。受験で会って、そのまま押し切られる形でメアドを教えちゃった人」

 「…押し切るって、人を相撲取りみたいに……。まあ、人間関係は押しが大事やけどな。押して押して押さなきゃ何も始まらへんし」

 頬をぷうっと膨らませてから、一人でうんうんうなずいているギャルちゃん――じゃない、なつみさんに、あずさはにこやかに微笑む。

 「はじめまして。私…」

 と、名乗りかけた口元を、なつみさんの人差し指が封じた。

 「待って! 当ててみせるから!」

 「え、はい…?」

 当てるって、何?
 あずさの名前とかパーソナルデータ?
 それともこの人、あずさ自身も知らない……いや見えない何かが見える人なのだろうか?

 「ふふっ…」

 こみあげてきた笑いに、あずさ自身、ハッとする。

 これはまずい。
 抑えかけた好奇心が、また起き上がってきてしまいそう。
 でも初対面の人に、質問するのも何だから、とりあえずはいつもの優等生スマイルをキープする。 

 一方、なつみさんは腕組みをしたまま天をあおいで――やがて。

 「そうやわ!」

 目を見開いて、得意げに人差し指を向けてきた。
 あずさの肩からかかった斜めがけのポーチの横、緑色の小さなカエルのマスコット人形に―。

 「え、何…?」

 先が見えない。
 でもなんだかワクワクするような、しないような……むしろ、ちょっと怖いような…。

 まるで蛇に睨まれたカエルにでもなったかのように、あずさはただ、なつみさんを見つめていた。

 すると。

 「そのカエル、四条のお店で買ったやろ? 交差点の角っこにある雑貨店で!」

 びしっと言い当てられて、そういえば―と思いだす。
確かにこれは先日の卒業旅行で一目ぼれしたカエルで。京都市の繁華街の1つである四条で購入したものだった。

「え、ええ。そうだけれど…」

言い終わらないうちに、なつみさんは顔をほころばせて小さく胸の前でガッツポーズを作った。

 「やったぁ!」

 「え、えええ?」
 
 戸惑うあずさ。
 対応を判断しかねて、佐織ちゃんに目線を向けるも、苦笑いしつつも放っておくつもりみたい。

 「やっぱりー。いや、ね。アタシ、服とかバッグとかいろんなもの見て歩くの好きやんかー。だからな、可愛いの見たらついつい当てっこしたくなるんよー。あ、アンタ名前は何やったっけ? カエル好きな……」

 一瞬、勢いにのまれそうになったものの、これがきっかけでカエル呼ばわりされては困るので、あずさはささっと自己紹介を挟み込む。

 「私は三倉あずさと言います。佐織ちゃんの生後3カ月からの友人で幼馴染。どうぞよろしく」

 淡々と言われて、なつみさんが頭を下げる。

 「こちらこそよろしゅう。サオリンの友達は、アタシの友達や。せやから、アンタはアタシの幼馴染も同然や」

 「…そ、そうなの?」

 あまりに当然のことのように言い切るから、あずさは再び、彼女のペースに巻き込まれてしまう。 
カエル呼ばわりされなかっただけでも、よしとするか。
 
 ほうっとため息をついたあずさに、なつみさんはそのメイクとは真逆のさっぱりした笑みを浮かべて、手を差し出してきた。

 「はじめまして、あずたん。これから仲良くしよーな?」

 「あ、ずた…ん…?」

 絶句―。
 あずさは生まれて初めての感動が、体中を突き抜けていくのを感じていた。

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三倉あずさラフスケッチ決定分その1
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あずたん、アワードに行く~1~

「大丈夫かしら……?」

風の中にかすかに新緑の香りが混ざり始めた、3月の始め―。
京都駅正面の改札口を目前に、あずさはつぶやいていた。

手首を裏返して、時計を見る。
間違いない。待ち合わせの時間まで、まだ10分もある。
だから世間的にはまだ、心配する範疇ではないはずなのだけれど。

そうなのだけれど――。

「ふぅ…来ないなぁ…」

うつむき加減にため息を逃がして、あずさは顔を上げる。
待ち人こと親友の佐織ちゃんは、根っからの方向音痴で、3時間でつく道を6時間かけてつくというタイプで。
だからこうしてあずさは、ひたすら真剣に駅のホームから出てくる人々を見つめ続けていたのだった。

「佐織ちゃん、まだかしら…。大丈夫かしら…」

何度も開いたり閉じたりする改札、滑るように通り抜けていくビジネスマン、OL、子供、そしてど派手なギャル風の女の子。

「うわっ、やばっ! 間に合ったかなあ?」

あずさと同じように、誰かと待ち合わせているのだろうか。
彼女はそそくさとバックから携帯電話を取り出し、ガッツポーズをしている。

「よっしゃ! 10分前!!」

そしてあずさから数歩離れた柵にもたれて、改札口を見つめ始めた。

『ギャル…?』

横目で見ながら、あずさはふと親友が言っていたことを思い出した。

「そういえば私、ギャルっぽい女の子に会ったんだー」

とか、なんとか。

あのときは、今時、そんな子がいるのかと半信半疑になったけれど、どうやら佐織ちゃんの言っていたことは正しかったみたい。
あずさは自分の好奇心がどんどん膨らんでいくのを感じていた。

『膨らむ……?』

心の中でつぶやいて、あずさはふと自分が本来の目的を忘れかけているのに気がついて、ため息をついた。

「これじゃ、佐織ちゃんのこと言えないわね」

と―。

妄想特急佐織号ならぬ、あずさ号。
なんだか本当に実在しそうなところがシャレにならないけれど。

それはさておいて―。

思考をもとに戻すべく軽く息を吐くと、あずさは手首を裏返して、そっとつぶやいた。

「あと8分、かぁ…」

大丈夫よね、と自分自身に尋ねる。
だってもう18歳だし、ほぼ大人と言ってもいいし、何より彼女は――。

『京都に行くんだ、私』

降り注ぐ光の中に佐織ちゃんの声が重なり、あずさはあのときのことを思い出した。

「京都に行くんだ、私」

受験勉強の合間に訪れた神崎家にて。
佐織ちゃんは頬を赤くしながら、興奮に足をバタつかせていた。
勢いあまって、クッションをぎゅっと抱きしめたりして。
久しぶりに会ったあずさに、例の学校へ合格したことを教えてくれた。

京都コンピュータ学院―。

その名の通り、IT系の専門学校。
どこからどう見ても、コンピュータを学びますよって言わんばかりの名前である。
いや、もちろん、コンピュータに関することを学ぶのだろうけれど。

それにしても――。

「まさか、あの機械が苦手な佐織ちゃんがいきなりコンピュータとはねえ…」

見せてもらった合格通知を机に置いて、あずさは椅子を回す。
1周まわって、再びもとの向きへ戻り、佐織ちゃんと向き合う。

抱きしめすぎて形をいびつに変えたクッションをそのままに、佐織ちゃんはまぶしい笑顔をこちらに向けてきた。

「えへへ、びっくりした?」

「そりゃあ、びっくりしたわよ。だってコンピュータに興味があるだなんて、聞いたこともなかったし」

すると佐織ちゃんは頭をぽりぽりかいて、うつむいた。

「うん、私も知らなかったの」

笑顔を通り越して、ニヤけ始めている彼女がそのままふっと口をつぐむ。
顔じゅうの筋肉を緩ませていたかと思ったら、突然、ぽっと頬を染めたりして。
極めつけは、一言。

「えへへへへ~~~」

足をバタつかせている。

それを見て、あずさは開きかけた口を閉じる。

「ところで……あ」

佐織ちゃんは両手を握りしめ、頬を染めて、口元をゆるませていて―。
100%間違いなく、妄想特急状態に陥っていた。

話の流れから考えるに、どうやら早くも入学後のこと、それも夢も希望も100%でとろけそうなものを思い浮かべているみたいだから。

こういうときには何を言っても仕方がない。
あずさはため息をついて、苦笑いした。

「もう…」

机の上にあった、例の学校のパンフレットを手に取る。

思えば昔からこうだった。
佐織ちゃんは妄想してて、そのたびにあずさは何だか置いていかれたような気分になったりして。

『佐織ちゃんばっかり楽しそうで、ずるいなぁ…』

なんてこと思っては、少しいじけたりしていたっけ。
佐織ちゃんはいっつも楽しそうで羨ましいなあ、何を考えてるのか気になるなあ、とか考えたりして。

あとになって聞いてみれば、何てことはないただの妄想だったのだけれど。

「変わってないよね、ホント」

くすっと笑った拍子に、何かが床に落ちる。

「あら、何かしら?」

2つ折りにされた黒いプリントが1枚。
折り目をなぞるようにして広げてみると、そこには大きくこう書かれていた。

“KCG AWARDS 卒業発表会”

「発表会………」

あずさの中に、自分の座右の銘としている言葉が浮かんだ。

”人の不幸ならぬ、人のイベントは蜜の味”――。

自分の胸がときめいたのを感じた。

これはもしかしたら、楽しいイベントなんじゃない? って――。

そして約1ヶ月後の今、京都駅の正面改札口―。

あずさは胸をときめかせながら、地元からやってくる佐織の到着を待っていた。今回京都に来たのは、昨日にあった第一志望の学校の入学試験のためだったはずなのに。もしかしたら本当の目的はこちらの方だったかもしれない、と思うくらいに。

わくわくしながら、受験勉強に明け暮れた日々を取り戻したい一心で待ち続けていた。

「まだかしら…?」

イライラと何度目かの時間確認をした直後―。
視界の隅、改札口の向こうの人波にぽつんとニット帽が浮かび上がった。

「あ…!」

思わず、もたれていた柵から身を起こす。
人々が改札口を通り抜け、ニット帽をかぶった佐織ちゃんが握りしめた切符を慎重に改札機に通して行く。

歩く、そして―。

ピンポンピンポンピンポーン

切符を通すタイミングが合わなかったのだろう。
初めて彼女とここに来たときと同じ。
改札機に行く手を阻まれて、顔を真っ赤にして入れなおす彼女に向って、あずさは笑いを噛み殺しながら歩きだした。

と、その時だった。

旅行鞄を片手にため息をついている佐織ちゃんに、パステルカラーのど派手なあの子が突進していったのは。

「サオリ~~ン、久し振り~~。もうめっちゃ会いたかったわー」

あずさの足が止まる。
と同時に、顔じゅうににんまりとした笑みが広がる。

楽しいことが始まりそうな予感がしていた。

       次回”あずたん、アワードへ行く~2~”につづく

三倉あずさラフスケッチ決定分その3
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スタートライン~9~

 「し…知らない人、ですか…」

 ぽつんとつぶやいて、やや、呆然としている佐織を残して―。

 “ものをあげすぎ”との指摘を受けた香坂先生が、軽く胸を張っていた。

 「まあな。俺はKCGのお袋さんを目指しているからな」

 「お袋さんって…また、似合わないことを」

 苦笑する彼に、なっちゃんが大きくうなずいて力強く賛同した。

 「こんなお袋さんやったら、ちっとも気ぃ休めへんわ。なーんかギラギラした視線で、いっつも狙われてる気して」

 「人をスナイパー扱いすんじゃねーよ」

 眉間に皺を寄せつつ、頬杖をついたところで。
 テーブルの上、その肘に触れた1枚のプリントに気がついて、香坂先生はそれをめくり上げた。

 「あ、そうだ。丁度いいし、せっかくだからコレ、来ない?」

 テーブルの向こうにいる彼に、一瞬、緊張が走ったのを横目に見つつ、香坂先生はそのプリントを佐織に向けた。
 A4サイズの用紙に大きく書かれた文字が、茫然自失状態だった佐織の心を呼び戻した。

 「え、えっと…。KCGあわーど……?」

 疑問を含んだ言葉に、香坂先生は大きくうなずく。

 「うん、KCG AWARDS 。んー、簡単に言うと、“KCG在学生の勝ち抜き選手権”とでも言おうかなあ。ま、そんな感じだな」

 「勝ち抜き選手権……」

 ――と、1人で目を丸くしたあとに感心していたら。

 その横でプリントをのぞきこんでいたなっちゃんが手を挙げた。

 「はい、先生、しつもーん」

 そのノリに便乗して、先生も咳払いして指をさす。

 「はい、どうぞ。受験生のお嬢ちゃん」

 「お嬢ちゃん…って、嫌やわぁ、いくらアタシが大和撫子やからって、そんなもぉ。新城なつみだよぉ…」

 どうやら、こういうギャル風味な格好をしていても、中身はわりと純粋なトコロがあったりするらしい。わずかに身をくねらせてテレたあと、なっちゃんは質問をした。

 「えっと、その“KCG 何とかド”いうのは…」

 言いかけたのを、ちょっと待ったとばかりに手のひらを立てて先生が割り込んでくる。

 「アワード、言うただろうが。速攻で忘れるなよ」

 「いいやん、そんな冷たいこと言いひんでも。でな、そのKCG AWARD なんやけど…その、部外者とか来ていいん? あと、どんな服装で来たらええんやろか…」

 服装、と口にしたところで、着ているワンピースのような長いトレーナーの裾を軽く引っ張る。はたから見たら、ただのギャルっぽい女の子でも、本人的にはそれなりのこだわりがあるらしい。
 その不安げなさまを微笑ましく思ったのか、香坂先生は頬杖をつきながらニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 「あー、大丈夫。つか、部外者NGなら、そもそも誘わんし。服はなー、そんなに気を使わなくても…まあ、俗っぽいことをいえば“常識の範囲内”ってやつなら問題ないよ」

 「そっか、良かった」

 なんだかもう行く気になっているらしい。
 自分はどうしようかな――と佐織がプリントを眺めていると、なっちゃんは度肝を抜くようなことをサラリと言ってのけた。

 「じゃ、2人で行くわ。サオリンと私の2人で」

 「えっ!?」

 今、何て言った、と横を勢い良く見る佐織をよそに、なっちゃんはにこやかに話を進めていく。

 「この日、たぶん行けると思うし。うん、たぶん大丈夫やわ」

 携帯電話を出して、スケジュール確認をしつつ、OKを出すなっちゃん――。
 佐織はちょっと待ってとばかりに、トレーナーの袖を引いた。

 「ちょ、ちょっと待ってよ。私は……」

 たった今、あの人が自分のことを覚えていないと知って、まだ心の整理がついていない、というか。いや、むしろ、そこまでショックを受けた自分にショックを受けている、というか。
 だからまだ正直、何も考えられない―。

 と、そんな佐織の小さな言葉に気付かなかったのだろうか。香坂先生は親指を反らせて、テーブルを挟んで後ろに座る彼を軽く指した。

 「そりゃ良かった。今年のアワード、彼も出る予定だから。未来の後輩が来てくれるとなると、発表にも熱が入るってものだろ」

 「え………?」

 佐織が固まる。
 何ですって、今、何と?

 頭の中で、耳が受け取ったばかりの言葉を反芻する。

 “カレ モ デル ヨテイダカラ”

 それはつまり、

 “彼も出る予定だから”

 なわけで、―――ということはこのアワードにこの人が出るかもしれないんだ……!!

 「KCG アワード、ひらたく言えば発表会。この建物の上、6階のホールで学業発表会みたいなことをする、ってこと」

 「なるほど…」

 学業発表会、かぁ―。
 そうか、発表するんだ。

 佐織の頭に、ある景色が浮かんだ。

 ホールの壇上で、彼は拍手喝采を受けている。そこに上がってきた佐織は、うやうやしく花束贈呈をする―――。
 それは優雅に、気品高く、美しく――。

 ――と、そこまで想像した瞬間だった。
 佐織がプリントを取り落とし、先生の手を取ってガシッと握り締め、ぶんぶん振ったのは―。

 「行きます、行きます、KCG AWARDS! 絶対行きますからっ!!」

 「は、はあ…、ありがとう…」

 突然、手を取られて、ぽかんとする香坂先生の背後で彼は、曖昧な笑みを浮かべてこちらを見ていたのだった。

 「まったく、どういうこっちゃ…?」

 なっちゃんの呆れ声が、人気のないインフォメーションルームに響いていた。

       次回”あずたん、アワードへ行く”につづく

 

神崎佐織ラフスケッチ決定分その3
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スタートライン~8~

 「おーい、サオリン?」

 目の前で、パタパタと手が振られている。

 京都コンピュータ学院2階事務室の廊下にて―。
 ただ、呆然とたたずむ佐織の視界を手のひらがパタパタと扇がれていた。

 「…あ、そうだった!」

 はたと我に返る。
 どうやらあのとき、香坂先生とかの人に会った瞬間、まるで何かの呪文にかかったかのように動けなくなって。
 そのままほんのわずかな時間、茫然としてしまっていたようだった。

 すぐ耳元では、なっちゃんが囁いているというのに―。

 「サ・オ・リ・ンってばー」

 って―――あれ?

 「………耳元?」

 と、浮かんだ疑問を肩の重みが瞬時に払拭していく。

 「ちょ、ちょっと、人の耳元で何を囁いてるのよっ!?」

 驚いて飛びのくと、なっちゃんがちょこんと舌を出した。

 「囁いてなんかいーひんもーん。呼んであげただけやんかー」

 「呼ぶにしても、もっとまともな呼び方があるでしょうが!」

 「だって、サオリン、アタシをほっといて何か楽しいこと考えてるみたいやったから…。寂しゅうて寂しゅうて…」

 そう言って、軽く握った拳を立てて口元から下に引く。
 サングラスからもわかるような激しい嘘泣きから見るに、どうやらハンカチを噛む真似をしているらしい。
――なんて、わかってしまう自分にも複雑だけれど。

 頭を抱え込んでいる佐織の肩を、話題転換とばかりに手を打ったなっちゃんが押してきた。

 「そんなことより。行くで、インフォメーションルーム」

 「え、え?」

 先ほどから、彼女の突飛な言動にも慣れてきたつもりだったけれど、行くとかインフォメーションルームとか――何を言っているんだろう。
 確認する間もなく引きずられながら、佐織は事務室の廊下を挟んだ向かい――談話室のような部屋へ連れて行かれてしまった。

 2人とも、いつの間に入っていかれたんだろう。
 ガラス張りの壁の向こうの部屋には、パソコンの載った丸いテーブルがいくつかあって、そのうちの1つを挟むようにして、香坂先生とあの人がにこやかに談笑していた。

 ――そう、間違いなくあの人、だ。

 それを見た佐織は、なっちゃんの手を軽く払って、重い扉をゆっくり押した。
 中にいる香坂先生には、自分にも、それからなっちゃんにも――確か受験票を届けてくれたお礼を言いたいとかで、用事があったから。

 「失礼しまーす……」

 まるでお化け屋敷にでも入るかのように、そっと、ゆっくりガラス戸を押し開けていく。
 振り向いた香坂先生が、眉根を寄せてこちらを伺った。

 「……あれ。さっきの腹痛の…?」

 言われて、佐織はというと。

 「あっ、あっ、あーーーーっ!!」

 両手を振り振り、真っ赤になって香坂先生に走り寄った。
 薬をくれて、しかも水までおすそ分けしてくれた香坂先生には悪いけれど、……すっごくすっごく悪いんだけれど、今は勘弁してほしい。

  この人の前でだけは、絶対絶対―――。

 そんな乙女心を知ってか知らずか、香坂先生はというと―。
 とても素敵な笑顔で、無情にもハッキリと言い放った。

 「いやぁ、元気そうで良かったよ。さっきは今にもトイレに駆け込みます、駆け込ませてくださいってばかりの表情を浮かべてたし」

 あぁぁ………言っちゃった……この先生、言ってしまったよ……。
 トイレ行きたい種類の辛さじゃなかったのに、ただ、胃がキリキリ痛いってだけだったのに。

 何、この状態。
 当時を知る人の発言は、当時を知らない2人に果てしない説得力をもって受け止められていた。

 ここに来るまでやたらとハイテンションだったなっちゃんなんて、変に涙ぐんでるし。

 「そっか。アンタもアンタで辛かったんやな…」

 テーブルの向こう、香坂先生に向かいあうようにして座っているあの人も、

 「そうなんだ。大変だったね…」

 なんて沈痛な面持ちを浮かべているし。
 あぁ、なんて再会なんだろう。

 佐織は頭を抱えて、膝からかくんと折れてしゃがみこんだ。

 「あぁぁぁ………」

 京都に来る、KCGを受験すると決めてから、はや1ヶ月少々。
 その間、折にふれては思い出していたあの人、京都駅で出会ったあの人が今、ここにいる。

 素敵な再会を夢見ていた人が、――手を伸ばせばすぐに届く場所にいるのに――。

 え、手を伸ばせばすぐに届く―?

 『!』

 引きかけていた頬の赤みが、またボンッと広がっていく。

 手を伸ばせばすぐそこに、彼がいる。
 夢見た再会、優しげな表情の彼、そして――。

 ポンッ

 ふいに肩をたたかれて、走りかけた妄想特急が急停車する。
 見上げた先には、慈愛に満ちたなっちゃんの顔があった。

 「どしたの、赤くなって。トイレ、一緒に行ったげよか?」

 …………!!

 肩の手を振り払って、佐織は満ちていく微妙な雰囲気も払うべく、パタパタと両手を振った。

 そうだった。
 妄想特急ってる場合じゃなかったのだ、今は。

 佐織はあたふたと弁解を始めた。

 「いやいやいや、だから、そうじゃないんですってば。誤解です、誤解! 胃が痛かっただけなんですってば! トイレに行きたいとか、そんなのちっともなくって、症状としては全然そんなのなくって、でも胃がキリキリ痛くって、それで…それで…」

 あわあわと身振り手振りで解説する彼女の言葉に、香坂先生はのんびりとアゴに指をかけた。

 「あ、そうだっけ。…そういや確かに総合胃腸薬を渡した…ような」

 しまったしまったとばかりに頭をかく香坂先生に、かの人が苦笑いした。

 「また、先生は。いろんな人にいろいろなものをあげてるから、混同するんですよ」

 その優しげな言葉を耳にしながら、佐織はゆっくりと立ち上がる。

 ぼうっとした頭に蘇るのは、京都駅での出会い。

 『あぶないっ』
 『すみません お怪我はないですか』
 『すいません。ちょっと急いでいたものですから…』

 彼が発した言葉が、ぐるぐると頭を巡っていく。駆け抜けていく。

 やっぱりこの人、いい人なんだ―。

 ――と、再び現実から離れていきそうになったので、佐織は慌てて首を振って意識を戻したとき、テーブルの向こう側にいる彼が、思わぬ声をかけてきた。

 軽く香坂先生を見遣って、佐織に初めて、声をかけてくれた――。

 それなのに。
 次の瞬間、彼の口から出たのは、こんな言葉だった。

 「ごめんねー。知らない人に、トイレ話を聞かれたら凹んじゃうよね?」

 「しら……」

 知ら、ない人――?
 今、知らない人って言ったよね―?
 佐織の中で、時間が止まる。

 駅で初めて出会ったときのこと。
 それを追いかけてロビーで見かけたときのこと。
 そして今、インフォメーションルームで――――。

 それぞれのシーンが頭をよぎっていった果てに、浮かんだ5文字がずっしりと肩にのしかかるのを感じながら、佐織は事実を反芻していた。

 衝撃で固まってしまった気持ちとともに。 

 『私のこと……覚えて…ない………?』

       次回”スタートライン9”につづく

 

神崎佐織ラフスケッチ決定分その3
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スタートライン~7~

 「ごめんな。なんか、無理やり連れ出したみたいで」

 そう言って、なつみさんはわずかにうつむいて、サングラスの奥のまぶたを伏せて。
 さっきとは打って変わって、しんみりとした雰囲気で廊下を歩き続ける。

 その高低の激しさに面食らいつつも、佐織は答えた。

 「…いや、“みたい”じゃなくて、実際にそうなんですけど…」

 傍若無人な振る舞いにつられて、佐織も本音をこぼしてしまう。
 するとなつみさんは苦笑いしつつ、肘でつついてきた。

 「バカ正直な子やなー。こういうときは、“そんなことないよ。なっちゃん、凹んでたみたいだから。1人にしておくの心配だったし”とか言うもんやで、まったく…」

 「だって、違うもん」

 自分の用事を後回しにされた恨みをこめて言い返すと、なつみさんは先回りして奥にあるエレベーターホールに入り、呼び出しボタンを押す。

 ダメだ、全然聞いていないっぽい。
 やがて追いついた佐織とともに、ホールで待つ間、なつみさんは自虐的に笑ってみせた。

 「ま、凹んでたのは事実なんやけどな」

 「え?」

 「ここに来た時とか、来る前とか、―――昨夜、とか」

 さっきまで太陽みたいにはしゃいでいたのが、嘘のように沈んでいく。
その空気がいたたまれなくて、佐織は視線を高く上げ、点滅する階数ランプを眺めた。

 「そっか…」

 ここに来る前―。
 佐織にも一応、それなりの騒動があった。
 それと事情も環境も違えど、彼女にもいろいろなことがあったのだろう。

 ふいに訪れた沈黙の中、階下で止まっているエレベーターの階数ランプを見ながら、佐織は独り言のようにつぶやいた。

 「どんなことがあったか、よく知らないけど……というか全く知らないけど。たぶん、大丈夫だよ」

 「大丈夫、って?」

 人の気も知らないで、とばかりに沈んだままで視線を向けてくるのを感じながら、佐織はランプを見つめ続けていた。

 「人間ってさ、たぶん、自分が思ってるよりうんと強いものだと思うから。だからきっと、大丈夫」

 過去の自分―。
 振り子が揺れる掛け時計の下で、泣きじゃくる自分を思い出しながら、佐織はつぶやく。
 自分で発した言葉が、自分をあのときの感覚へと引き戻していく。

 私はきっと、自分で思うよりもずっと強いんだ――って、そう信じ始めた瞬間へと。

 そんな佐織の様子を珍しそうに眺めながら、なつみさんはちょっとだけ首を傾げた。

 「強い、かぁ………。そうなんかなあ…?」

 心細げにつぶやいて、なつみさんは視線を階数ランプへと移す。

 「うん。たぶん」

 「そっかぁ、そうなんかぁ……」

 1階、2階、3階、どんどん近づいてくる、こちらに向けて上がってくる―。
 そしてもうすぐ、というところで、なつみさんがこちらに両腕を伸ばしてきた。

 「え?」

 振り返る、と同時に視界に入ってきたのは―。

 「ありがとっ。もぉ、ティッシュのことといい、今の話といい、アンタいいっ! もう大好きやわ!!」

 至近距離を通り過ぎ、肩へかかる重み―そして上半身にかかる温かさ――。

 一瞬のうちに、佐織はなつみさんに抱きしめられていた。
 それもこんな、誰がいつ来るかわからないエレベーターホールで。

 「ちょ、ちょっと、なつみさん!?」

 エレベーターが近づいてくる。
 慌てて引き剥がそうとするも、しかし、興奮したなつみさんは離れない――どころか、泣きじゃくり始めている。

 「嫌だぁー、もう、なっちゃんって呼んでー。私も名前呼ぶから」

 そこまで言って、なつみさん改めなっちゃんはぴたりとしゃくり上げるのをやめた。

 「あ。アンタ、何て名前だっけ?」

 「……神崎佐織っていいます」

 もう何なんだ、この人は。
 人の名前も知らないくせに抱きついて――しかも離れないし。

 しかし、一方のなっちゃんはというと。

 「わかった」

 こくんとうなずいて、再び泣きじゃくり始めた。

 「わーーーん、サオリーン!! 私な、もうメチャクチャ辛かったんよー……! まさか受験の前日に、あんなことが起こるなんてー…。もう、さんざんやわ。人生、お先真っ暗やわー。わーん!!」

 「さ、さおりん…って…」

 身も心も固まった状態で、佐織は困惑した。

 どうしよう。
 何か良くないスイッチでも押してしまったのだろうか。
 食べすぎから始まって、ギャルにニヒルにギャル、なんだかとんでもない1日だ。

 「えっと、こんなときは……っと」

 迫り来るエレベーターを前に、頭の中の引き出しをひっくり返す。
使えそうな豆知識を探し始める。何か…なかったかな…即効性があってとっておきの何かが…。

 そしてエレベーターが到着し、今、まさに開こうとしたその時。

 「あった!」

 佐織はさっと両手をなっちゃんの腰に回して、指先を立て、一気にくすぐり始めた。

 「や、やだ、やめて…!」

 さっと両腕を離し、くすぐりから逃れるなっちゃんと、ほっと胸をなでおろす佐織。
 そんな2人の前に現れた先客たちは、ほんの少しだけ不可解といった表情を浮かべたものの、特にこれといった反応もせずに。

 「きゃはははは…!」

 「失礼しま~す」

 ツボにはまったのか、大笑いが止まらないなっちゃんを引っ張って、佐織はエレベーターに乗り込んだ。

 「きゃはははは…!」

 「ちょっと、静かにしてよ」

 お腹を抱えて笑い続けるなっちゃんと、困惑しきりの佐織、それからその他数人を乗せてエレベーターは独特のふわりとした感覚を経て、下へ下へと進んでいった。

 そして階数ランプの“2”が灯って扉が開いたとき、佐織は目を丸くした。

 「え、2階って…もしかして…」

 受験後、佐織が漠然と予定していたことが蘇る。

 “2階事務室へ香坂先生を訪ねる”―。

 もしかして彼女も、自分と同じ場所へ行こうとしているのだろうか。
 しかし、そう考えるすきも与えず、弾かれたように飛び出したなっちゃんが佐織の手を引いた。

 「さー、行くでぇ」

 「い、痛いっ! そんなに引っ張らなくても行くってば」

 手を振り払うと、なっちゃんはニヤニヤと笑った。

 「なーにを大袈裟なこと言うてんだか~」

 そのまま身を翻し、蝶々のように軽やかな足取りでエレベーターホールを出て右に曲がる。

 その後に、嫌々ながら着いていった佐織は、ふと、見覚えのある“あの人”に釘付けになった。

 「あれは、まさか………」

 事務室と、パソコンが何台か置かれた談話室のような部屋の間にある廊下の奥―。
 1階ロビーから吹き抜けている階段から、2人の男性が上がってくるのが見えたのだ。

 「そっか、順調か。なら、良かった。お前のことだから、熱中しすぎてぶっ倒れてんのかと思ってたんだぞ」

 と、片手をポケットに突っ込んだまま、目を細めているのはニヒルな香坂先生。
 佐織が会いたいと思っていた人だ――――ったのだけれど。

 「……あ!」

 階段から上がってくるもう1人の、その姿が見えたとき。

 「あはは、信用ないなぁ。香坂先生には」

 苦笑いする、その顔が見えたとき。
 ここに来た目的は即座に消えうせて、瞬間、高速回転で、佐織の脳裏にあのシーンが蘇り始めた。

 クリスマスの京都駅。
 ぶつかる衝撃。降り注ぐ、ツリーの飾りたち。

 そしてその後の言葉―。

 『すみません! お怪我はないですか!』

 あぁ……まさか、こんなときに出会うなんて。
 ……………まさか、こんな……いきなりすぎて、心の準備ができていないよ――。
 
 戸惑いをこめて、カバンをぎゅっと握り締めた佐織の視界のすみに、事務室のカウンターで大手を振って、中にいる先生に質問しているなっちゃんの姿が入っていた。

 「すーいませーんっ。香坂先生、いませんかー? 受験票のお礼に来た、新城なつみでーすっ」

 
       次回”スタートライン~8~”につづく

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スタートライン~6~

 試験終了のチャイムが鳴り響く中―。

 「はい、やめてください」

 中年くらいの試験監督の指示に従って、受験生たちが筆記用具を置く。カサカサと紙が裏返される音がして、後ろから順々に解答用紙が集められていく。

 「お疲れ様でした。皆さん、気をつけて帰ってくださいね」

 用紙の枚数を確認しつつ、言い残して、試験監督が去っていく。

 その姿を見送って、佐織は小さくガッツポーズした。

 『よく頑張りました、私!』

 心の中でつぶやきながら、今日という日を感慨深く思い返した。

 お腹が痛くなったり、ギャルに会ったり、ニヒルな先生に薬をもらったりと、…まあ、いろいろあったけれど、なんとか実力も出し切ったし、とりあえずこれで一安心。

 大事なポイントをクリアした。

 良かった、これで地元に胸を張って帰れる。

 佐織はほっと一息ついて、席を立つ。
 と、その背後から突然、かすれ気味の声が話しかけてきた。

 「ちょっと、あなた」

 思いのほか近距離から呼びかけられて、佐織はぞくっとして身を翻した。

 「な、何なんですか、あなたは………って、さっきのギャ…」

 言いかけて、再び、口元を手で覆うと。
 彼女は少し長めの前髪をさらりと払い流して、つんとすまして見せた。

 「そう、ギャルギャル言わない、でくださる? 一応、これでもちゃんとした名前がございますのですから」

 「は、はぁ……」

 戸惑いを帯びた言葉を返してしまったのは、彼女の話しぶりが変だったから。
 ――無理してしゃべっているというか、発する声に抑揚がないというか……。

 そうだ、ぎこちないんだ。

 でも、どうして―――?

 「…?」

 佐織は疑問を抱えたまま、まるでブリキのおもちゃみたいに、ぎこちなく首を傾げる。
 
 それを見て、その人はうつむき、肩をふるわせ、大きく息を吐いた。
 突如として変化したアクセントと、しゃべり言葉とともに―。

 「あぁぁぁ~~~~~~~、もぉ、ダメや」

 「?!」

 ギョッとして、咄嗟に両手を顔にかざして身を守ろうとする佐織の前で、彼女は両手を握り締めて、小さく地団駄を踏んだ。

 「もう嫌っ、気持ち悪っ、むず痒いっ。こんなんやっぱ無理やわ。私のキャラにあわへん!」

 「へ、へ??」

 完全に理解不能。
 いったいこの人は何を言っているのだろう――と、 警戒をゆるめて、顔をのぞきこもうとした瞬間。
 彼女はガバッと顔を上げて、こちらを見つめ返してきた。

 「あのなあ」

 「は、はい?」

 思わず、どきんとした胸を押さえながら、佐織は目だけ動かして辺りの様子を伺った。

 試験が終わり、少しずつ人気がなくなっていく教室―。
 そしてそこで向き合う2人。
 1人は普通の女子高生で、その相手はまるでバラエティ番組に出てくるような、“ギャル”そのものの女の子―。

 はたから見たら、“違う世界を生きている2人”―――のように見えなくもない。

 第一、佐織にはこういうタイプの知り合いはいなかったし。
 そういう意味だけ考えても、確かに“違う世界を生きている”に違いなかった。

 ―――今、その人生が交差するわけだけれど。

 「すぅーっ…」

 ふいに彼女は大きく息を吸い込んで、やがて満面の笑みとともに息を吐き出した。
 どこか物悲しい、それでいてさばけた雰囲気をかもし出しながら。

 「やっぱ、あかんな。人間、そう簡単に自分を変えれへんってことやね、きっと」

 「?」

 いや、そういきなり“結論”みたいに話されても、困るというか。何がなんだか、ちっともわからない。
 目の前の本人は大袈裟に腕組みして、うんうん納得しているけれど。

 『これで、いいのかなあ……?』

 とりあえず、つられて腕組みしていると。
 彼女はパンと手をたたいて、人差し指を立てて宣言した。

 「こうなったら、仕切りなおしな。ほら、前見て前見て」

 「へ、へ、えっ?」

 両肩をつかまれて、無理やり前方を向かされる。

 「な、何なんですか?」

 それでもなお向き直ろうと振り返ったところで、彼女は言った。

 「ちょっとアンタ!」

 「は、はあ…」

 「ちょっと。“あなたは………って、さっきのギャ…”ってのが抜けてる! ちゃんとしゃべってくれんと困るわ~」

 人差し指をワイパーのように振って、ダメだしする彼女に佐織は諦めて棒読みで付き合う。

 「“あなたは………って、さっきのギャ…”」

 よしよしとばかりに大きくうなずいて、彼女は続けた。

 「そう、ギャルギャルいわんでくれへんって言うてるの。これでもアタシはな、ちゃんとした可愛い名前があるんやから!」

 「は、はぁ…。カワイイ…ね」

 自分で自分の名前を可愛いと言うなんて…。
 なんかこの人、変。それに何なんだろ、この流れは。

 関西ってお笑いの土地だとは知っていたけど、道行くおばちゃんも漫才風の会話をしていると聞いていたけど、これもそれらと同じ“道端お笑い劇場”なのだろうか。
 ホント、関西って不思議なところだ。
 
 ――などと、1人で考えて1人で感心している佐織に、彼女はふくれっつらを向けた。

 「うるさいな。つべこべ言わんで付き合ってくれてもええやん。せっかくこうして知り合えたんやし」

 「あ、ごめん」

 思わず、反射的に頭を下げかけて、佐織は眉根を寄せる。

 『あれ。私、そんなに悪いことしたっけ?』

 「ま、別に謝られても困るけどな」

 ぶっきらぼうに言って、ずれかけたサングラスをさっと眉間に押し当てる。
 どうやら、目の腫れをものすごく気にしているようだ。
 まあ、女の子だし、ギャルとはいえ、見た目にものすごく気を使っているようだから、無理も無いんだけど。

 でもまあ―。
 それらを差し引いても、やっぱり変わった人には違いないはず。
 いや、差し引かなくてじゅうぶん――?

 あぁ、また妄想特急るところだった。
 さっさとやりとりを終わらせるべく、佐織は軽く頭を下げた。

 「ごめんなさい。で、何の用ですか、新城なつみさん」

 少し構えつつ、返事をすると。
 ギャル―――じゃない、なつみさんは口をぽかんと開け、やがて大げさにのけぞった。

 「え、嘘。アンタ、私の名前知ってんの? どこからどー見ても、ただのあかぬけない小娘のくせに。実はものすごーーく情報通!?」

 「あ、あかぬけない小娘って……」

 初対面のくせに、なんだかとっても失礼な人。
 ――まあ、確かに、制服をそれほど着崩す習慣がないし、だいだい、服装にそれほどこだわっているわけではないから、そう見えてしまうのかもしれないけれど。

 その思いが顔に出ていたのか、なつみさんはぱちんと手を合わせた。

 「ごめん。今日のアタシ、ちょっとオカシイから。あんま気にしないで」

 「気にしないでって言われても……」

 「うん。アンタに関係ないってのは、重々、承知の上や。でもな、人間生きてりゃ、たまに凹むこともある。そしたら関係ない人にもビシバシ言ってまうこと、あるやろ?」

 「は、はぁ……」

 確かにそういうのって、ある。
 何かしらのことに腹を立てて、それでたまたま出会った人に冷たくしてしまいそうなことが―――って、ちょっと待てよ。
 
 わずかに後ろに視線を投げ、佐織は、自分にすら聞こえるか聞こえないかのかすかな声でつぶやいた。

 「何か私、誤魔化されてない…?」

 すると、なつみさんは耳も良かったらしく。
 手のひらをこちらに向けて、佐織の言葉を遮った。

 「誤魔化されてなんか、ナイナイ。ま、ええわ。あんま急いで帰ろうとしてへんとこ見ると、時間はたっぷりあるんやろ。ちょっと付き合ってや」

 そう言って彼女は、カバンに添えたのとは逆の手をつかんで、ぐいぐい引っ張っていく。

 「ちょ、痛…。痛いよ…!」

 別に用事がなかったわけではない。
 この後は、もう一度、二階の事務室に行って、さっきの先生にお礼を言おうと思っていたのだ。
 香坂先生にお薬のお礼を――。

 『ありがとうございます。おかげさまで、つつがなく試験を終えることができました』

 って、きちんと感謝あふれる態度で、うやうやしく頭を下げながら。
 先ほどのバタバタぶりを帳消しにして、4月からは楽しくてスマートな学院生活を送るんだ。

 礼儀正しく、かっこよく―。

 でもなぜか、頭の中に描き出されるイメージは、先ほどの美人さんだったりするけれど。
 受験票を届けに来た佐織とほぼ同時に事務室へやってきた、あの人。同い年とは思えない、とても大人びたあの人は確か――奨学金制度、とか言ってたっけ。

 そっか、奨学金制度について考えてるんだ。
 なんか、自分とは全然違うタイプ。自立してる強い女性のようだ。

 そして自分はというと―――。

 「痛い、痛いってば!」

 「まあ、ええやん。ちょっとくらい付き合ってくれても」

 出会ったばかりのギャル―――もとい、新城なつみさんのペースにすっかり巻き込まれて、教室を出て歩き出す。やがて、佐織が逃げないと思ったのか、なつみさんはその手をほどいて、横に並んで歩き始めた。

       次回”スタートライン~7~”につづく

神崎佐織ラフスケッチ決定分その3
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スタートライン~5~

 「あのっ。この近くでお薬を買えるところ、ご存じないですかっ?」

 「お薬…? 薬って、薬屋でいいの?」

 「は、はい、はい、はい」

 意表をつかれたとばかりに面食らっている先生を前に、佐織は何度もうなずく。

 生まれて初めての1人旅で、生まれて初めてビュッフェという言葉の意味を知って食べ過ぎて、そして生まれて初めてギャルに会い、さらにニヒルな人にも会う。
 初めてづくしのオンパレードに、佐織の胃は思ったよりもキツイ状態に追い込まれていたようだった。

 一方、対する香坂先生はというと。
 どこからどう見ても、ごくごく普通の女の子が――それも、程よい緊張感を漂わせ、高校らしき制服を纏っている女の子が、いきなり薬屋さんの場所について聞いてくるだなんて挙動不審というか、何と言うか―。

 なんだか、ちょっと不可解。
 明らかにそういう複雑な表情を浮かべつつ、ついでに首をひねりながら、取り出したメモ用紙に簡単な地図を描き始めた。

 「えっと、ここが今いる場所ね。ここから向かって左に出たら、……ここ、大きな通りに出る。それでさらにそこを左に曲がって直進したら、交差点があるよね。そこから道なりに沿って行ったら、駅舎が見えてくるから、そこに入って―――だからえっと、歩いて10分かかるかかからないか、かな」

 「10分!?」

 思わず出た声のボリュームに驚いて、口をふさぐ。
 カウンターの奥から注がれた注目に、目の前の先生に、赤面しながら頭を下げる。
 自分から聞いておいて、なんだか文句をつけているような反応をしてしまったから。

 …にしても、10分もかかるだなんて。

 自分1人で行ったら、比較的、順調に迷ったとしても25分くらい。往復50分かかる。

 ――って、50分!?
 そんなに経過したら、どうなる? 
 胃薬を買って飲んで、無事、元気を取り戻したとして。
 そこで能天気にルンルン状態・健康気分で戻ったとして、そのときは入学試験開始から、約1時間経過している。

 どこをどう考えても、不合格、間違いない――。

 どうしよう。
 地元にトボトボ戻って、学校で先生とやりとりする自分が目に浮かぶ。

 「あら、神崎さん。受験、どうだった?」

 「それが…、薬屋さんの場所がわからなくて、道に迷って、それでも頑張って戻ったら、…試験開始から1時間くらい過ぎていて…。受験し損ねてしまいました…」

 『そんなのいやぁぁーーーーーーー!』

 声に出さずに、佐織は叫ぶ。
 そんな目に遭うために京都へ来たわけじゃない。
 だいたい、頑張ってお金貯めて旅行して、そこで道に迷っただけで地元へ戻るだなんて、何をやってるんだって話だ。

 でも、どうしよう。

 受験したい。
 できれば合格したい。
 そして京都で暮らしたい―。
 だけど、だけど、だけど―――!

 …と、佐織が顔を赤くしたり、青くしたりしているのをどう思ったのか―。

 「えーっと、そのー……神崎さん?」

 突然、名前を呼ばれて、現実へと舞い戻る。

 「え、な、な、なんで知ってるんですか、私の名前!」

 「そ、そりゃあ…、制服に名札ついてるもん。それはそうと、薬屋に大事な用事でもあるの? 見た感じ、特売のシャンプーをまとめ買いしたいとか、そういうふうにも見えないけど」

 どこからどう見てもニヒルな雰囲気漂う人が、低い声で“特売”なんていうと、なんだかそこだけ浮いているように聞こえる。佐織は視線をさ迷わせつつ、考えた。

 「はあ…。まあ、そうですね…」

 ここで打ち明けた方がいいのだろうか。
 “浮かれて朝ごはんを食べ過ぎて、胃痛をおこしてしまいました”って。
 ――いや、そこまでバカ正直に言う必要もないかもしれない。

 じゃあ、どこまで言えばいいのだろう………?

 「うーん………、えっと、そのー……」

 何気なく、お腹をさする。
 すると香坂先生が閃いたように、笑みを浮かべた。

 「ああ、なるほどね」

 そのまま踵を返し、窓際の席まで行って引き出しを開ける。

 「えーっと。確か、まだ残ってたよな………お、あったあった」
 
 縦に長い、小さくて薄めの袋と水の入ったペットボトルを出してきて、こちらへ戻り、カウンターに置く。
 袋に書かれた文字に、佐織は目頭が熱くなった。

 市販の“総合胃腸薬”―。
 瞬間、香坂先生の姿が天使に見えた。

 「先生、これ……」

 「いやぁ、悪い悪い。さっきから、やたらと腹をさすってんなーと思ったんだけど、確証がなかったというか。鈍くてごめんな」

 これでいいんだよな、と念押しされて、佐織は何度も何度もうなずいた。
そして気がついて、カバンに手を入れる。肌に馴染んだ財布を取り出して、尋ねた。

 「あの。おいくらですか?」

 「え? 何。お金くれるの」

 からかうような返事に、佐織は大真面目に見つめ返す。

 「はい。だって、タダではもらえませんから…」

 頑なな態度に、香坂先生はふーんと感心したように腕組みした。

 「のほほんとしてそうで、意外と固いんだなあー。もらえるものはもらっとけばいいのに」

 「でも、タダでなんて……」

 「ま、いいや。じゃ、出世払いってことにしよう。これは”さ迷える受験生”への、俺の個人的好意だから、…それでも気がすまないっていうなら、そうだな。きみが大人になって、就職でもしたときに飲み代でもおごってくれ。それでいいや」

 「…え、飲み代…って」

 未成年だからよく知らないけれど、飲み代って結構、高くなかっただろうか。
 胃薬とお水を飲み代と引き換えにするだなんて、この先生、意外と――。

 「ケチだって思ってるだろ?」

 いきなり核心を突かれて、佐織は大きく手を振る。

 「い、い、いえ、いえ、いえ。べ、別に、そんなこと…」

 「ま、いいや。何も本当におごってもらおうだなんて思ってないし。とりあえず、飲んだ方がいいよ。試験が始まるまで、もうそんなにないから」

 言われて、香坂先生の背後――壁にかかった丸い時計を見る。
 開始時間まで10分を切っていた。

 「わ! じゃ、お言葉に甘えて…いただきますっ」

 薬袋の切り込み部分に指を当て、封を切って、口に入れる。
 と、同時に、香坂先生がフタを回し開けてくれた。

 「はい、どうぞ。受験生さん」

 「はひ…」

 一息に飲み込む。
 口の中に広がった粉を流し込む。

 苦い、ものすごーく苦い―――。
 けれど、なぜだか体の奥からは、ぐんぐん力がみなぎってくるような気がして、佐織は気がついた。

 『頑張ろう…』

 もらったのは薬だけじゃない。
 きっと、ほかにもっと……ありがたいものをもらったのだ、と。

        次回”スタートライン~6~”へつづく

  

神崎佐織ラフスケッチ決定分その1
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