塩あんびん

今日はあまりにびっくりしたことがあったので,書きたいと思います。

お昼休みの出来事です。
パスタの塩っけの話からはじまり,全国各地の塩っけの話や郷土料理の話題になったとき,
ふと,最近「塩あんびん」を見かけないことに気づきました。

そして,「そういえば関西に『塩あんびん』はないんですかねぇ〜」と私が一言。

すると皆さんの首が傾き,会話を楽しんでいたはずのその空間の真ん中よりも少し上くらいに
 (きょとん・・・)
という言葉が見えました。

(ん?)と思った私は、
「塩あんびん・・・。」

どうやら関西に「塩あんびん(=塩味のあんこの入った大福)」はないと知りました。

会話の中で、
「(地元の)家の近所にしか売ってへんのちゃう?? 笑」
な〜んて冗談を聞きながら,本気でそうとはあんまり思ってなかったんです。

帰宅後,何気なく「あ,そーだー」と思い,ネットで「塩あんびん」を調べてみました。

すると,するとなんと本当に「塩あんびん」は私の地元,加須市(かぞし)の郷土料理だったんです!!!

きっとそのときの私の表情は「(きょとん)」でしたねー・・・たぶん。

興味のある方はこちらを見てくださいね↓
http://www.smdc.or.jp/gochisou/tobu/kazo.html
http://www.city.kazo.lg.jp/menu/30000.asp

よくよく調べてみると,どうやら「北埼玉」という括りでの名物のようでちょっとほっとしました。だって愛する地元の名産を知らなかったなんて,恥ずかしすぎます。

北埼玉は昔から裏作で小麦を作っているため,小麦をつかった名物が多いようです。
土着の文化習慣が名産品になったってことですね。

加須市では噛み切れないほどコシのある「うどん」と,「五家宝」という餅米と水飴からできたものにきなこや青大豆粉をまぶした和菓子が名物であることは知っていました。
「うどん」が名物となっていった様子は当時実感していましたし,「五家宝」は値段はそうでもないのに,どんなとき,どこへ持って行っても恥ずかしくない定番和菓子の一つだったので,なんとなくわかるものです。

でも,塩あんびんと,いがまんじゅうも名物だったとは・・・。

「うどん」と「いがまんじゅう」は私にとって(加須市にとって?),売り物というよりは,各々の家庭で作っているものだと認識していました。たぶん幼い頃,今は亡きおばあちゃんと一緒によく作っていたからですね。幼き日の良き思い出とはこのことです。

塩あんびんにも思い出があります。
私は小さい頃,甘いあんこやきなこが大好きだったので,全く甘くない塩あんびんは嫌いでした。普通の大福と間違えて食べて苦い思いをした経験もあります。

ある時,両親がお茶の時間に塩あんびんを食べていると,
「meganも食べる?」
と聞かれました。もちろん私は,
「ううん,いらない。だってそれ塩あんびんでしょ?おいしくないもん。」
と,即答。するとお父さんはお決まりの一言。
「まだ子どもだからわからなくてもしょうがないか。この味がわかるようになれば大人なんだけどなぁ。」
幼い頃の私のあらゆる好き嫌いを治した魔法の言葉ですね。毎回毎回引っかかっていました。
そして,一口。でもおいしくない。でも食べるんです。笑

甘い大福は子ども用,大人になったら塩あんびん。
そんな感覚でした。

そして大学生の頃,実家へ帰郷した時に久しぶりに食べたらとてもおいしく感じ,
(私,大人の味がわかるようになったのかも・・・)なーんて嬉しくなったことを覚えています。

いい思い出です。いやーでも本当にびっくりした出来事でした。

ちなみに,塩あんびんの食べ方はいくつかあって,基本的には大福を食べやすい大きさにちぎり,お砂糖につけて食べるのが一般的です。(ふつうの大福よりひとまわりくらい大きいサイズです)

うちでは下の画像のようにオーブントースターで焼いた後,お砂糖につけて食べていました。

塩あんびん

(塩あんびんは置いておくとおもちの部分がどんどん硬くなり,焼かないと食べられなくなります 笑)焼く時に砂糖醤油をつける人もいます。

皆様,なかなか機会がないとは思いますが,北埼玉にお越しの際は是非是非試してみてくださいね。

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読み手

俳句の話です。
皆さん,俳句の世界では「読み手」という仕事があることをご存知ですか?

たまに(?)俳句を作る人のことを「詠み手」というみたいですが,この「読み手」はその逆で,俳句の意味を読み取る人のことです。

あの,ちなみに私は俳句についてど素人ですので,もし間違ったこと言ってたらスミマセン。

私のおじいちゃんは,私が物心つくころから俳句の先生をしていて,今も現役です。
そんなおじいちゃんが(自己出版で)本を出したときに,その本にコメントとしていくつかの句を「読み手」の方に評してもらいました。

評してもらった句は日々の何気ないことを詠んだものだったのですが,その読み手の方は,その句だけからうちの家庭環境について,まるでうちの家族や関係を元々知っている人ではないかと疑えるほど読み取られたんです。

家族にとって,とっても面白い,ある意味ハプニングな出来事でした。
おじいちゃんがその句にあるがままを描写したのか,それとも読み手の方がおじいちゃんと似た経験をもった人だったのか・・・わかりません。

ただ,まだ高校生だった私には,おじいちゃんの作った俳句を読んでみてもあんまり意味がわからず,なんだかちょっと切なく思いました。

俳句は読み手によって解釈がちがうモノだと思います。
もしかしたら読み手がいてやっと完成する作品なのかもしれません。

という前置きで,この本を紹介したいと思いまーす。

世界は蜜でみたされる

題 名 :一行物語集「世界は蜜でみたされる」
著 者 :飯田茂実
出版社 :水声社

一言で言えば一行物語集です。(笑)
たくさんの物語が載っているのですが,そのすべてが一行から長くても三行程度。

3つほど抜粋します。

「深海魚に会おうとした揚羽蝶が,海面にへばりついている」
「いちばん無意味で役にたたない行動をとった者が優勝するという無意味競技が盛大に開催され,選手たちは有らんかぎりの無意味を尽くして死闘した。」
「墓地から枯れた花束を盗んでくるたびに背骨が少しずつ湾曲してゆく。」

一冊まるまる上のような短い物語でできています。
スキキライのある本だと思います。

私はこの一言が物語として浮かび上がってくる背景を考えるとすぐ時間が経ちます。(笑)
一言なのに,なんだかとっても,ち密で隙のない一言のように思えてきません?

ふと,この感覚って俳句に似てるのかなと思いました。
脱線しますが,絵本にも同じような感覚を覚えるのは私だけでしょうか。

未だにおじいちゃんの本を読んでも本意を読み取れてない感いっぱいですが,
そのうち読めるようになれたらなと思います。

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天神祭と福島天満宮

福島天満宮*夏祭り*

7月25日,天神祭に行ってきました。

仕事が終わり,ダッシュ浴衣に着替えて,桜ノ宮についたのは午後20:15。

音は聞こえるけど,花火が見えない・・・。

人が波のようでした。

「暑い・・・・。」

落ち合うはずの友達に電話をかけようとすると,

あ,電波がない。

まー,電波が通じるまでまってみよー。。。

やっと人ごみを抜けて,花火の見える場所へ。

きれー・・・・

でも一人ぼっち。

うーん・・・電波まだ入らないなぁ。。。

なーんてのんきに考えてたら,いつの間にか21:30。

やっと電話がかかってきた。

「めぐどこにいるーん?あたしらもう花火おわったし帰ってんでー(笑)」

えぇぇぇ・・・・。

そっかー。

そんなんで友達たちには会えず,

ひとり屋台に沿って歩き,

一人北新地へ・・・。

一緒に天神祭へ行くはずだったけど,仕事が入ってキャンセルになった友達と,
仕事の後に会う運びでした。

駅に着いて歩いていると,向かって前から来る人たちの後ろで手を振っているのが見えて,

振り替えすと,

「え・・・?」

なんと友達は浴衣を着ていました 笑

お腹すいたねー・・・ということで,飲み屋を探していると,

ちいさなお祭を発見。

もちろんいきます。

そこには和太鼓に獅子舞の踊り,そして片付け始めている屋台がありました。

地元の懐かしいこじんまりしたお祭を思い出しました。

そして「とりでん」へ。

店員さんがとても気さくで,えせ天神帰りをからかいながら楽しく飲みました。

最初は寂しくて,どうなることかと思ったけど,

なんか結局とってもいい日でした。

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