“間”を外せば,”魔”ともなる。「間抜けの構造」

本学は京まふと連動して,京都マンガ・アニメ学会なるものの創立に関わることになりました。日本のアニメの特徴のひとつに,”日本的な「間(ま)」の有無もそのひとつといえるでしょう。”という考察をおこなっています。
日本的な「間(ま)」の有無もそのひとつといえるでしょう。

 しかし,この”間”を体系的に述べた書籍に今朝出会いました。なんと,ビートたけしが書いています。なるほど,ビートたけしの天才ぶりはこの”間”にあるんですね。

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  間の取り方が悪い人のことを「間抜け」というんですね。へえと思いましたね。それにしてもお笑いが”間”が大切なのがわかっても,司会者,映画,はては日本人論まで及んでいます。第7章はなかなか秀逸。なぜなら,「間を読むのが日本人の長所であるが,過剰に空気を読む文化つくりだして,イノベーションを生まない」と言っています。なるほど。

【目次】
第1章 間抜けなやつら
第2章 “間”を制すもの、笑いを制す―漫才の“間”
第3章 お辞儀がきれいな人に落語の下手な人はいない―落語の“間”
第4章 司会者の“間”を盗め―テレビの“間”
第5章 いかに相手の“間”を外すか―スポーツ・芸術の“間”
第6章 映画は“間”の芸術である―映画の“間”
第7章 “間”の功罪―日本人の“間”
第8章 死んで永遠の“間”を生きる―人生の“間”

 

 

そういえば,こんな話もありました。僕が大学生のときに,クラスメートで非常勤講師で教えに来ていた実の父親の講義をうけている人がいました。クラス中だれも親子だと気づかなかったのですが,あるとき,あるクラスメートが,「M先生とM君って実は親子じゃないか? だって,話すときの”間”の取り方がそっくりだよ」と話題になり,親子であることが発覚しました。

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