ラーメンとは・・

 カウンターに向かって伏して,冷めてはマズイと思いつつ麺を啜っていると,すぐにその魔味に引き込まれていく。同席の家族や友人との会話も無く,食事を楽しむというわけでもなく,ひたすら丼を見つめながら,苦渋に満ちた顔で混沌の中に溺れていく。ラーメンは,あまりにもストイックな食べ物だ。そして,これこそ,武士道日本の文化である。

 子供の頃から日本のラーメンを食べ続けて,最近やっと解ったことは,日本のラーメンというのは,化学調味料の中毒症状を起こす食べ物だということである。試しに,化学調味料を多量に含有するインスタントラーメンや,ど○べえのカップうどんと,家庭で作る鶏ガラスープの汁だけのラーメンや,昆布だしだけのうどんを,目前に並べて食べ比べてみれば良い。そして試しに,行きつけのラーメン屋で,「化学調味料抜き」を注文して食べてみると,さらに本質を理解することができると思う。これはぜひ試していただきたい。人間はかくも哀れにも,ケミカルドラッグに溺れやすいことがわかるだろう。

 唾を必要以上に分泌させる化学調味料と,それがもたらす心理的焦燥感が,ラーメンの非常に重要なファクターなのである。自然の調味料や出汁によるものは,そういった焦燥感をもたらさない。ラーメンとは,化学調味料の強烈な魔性の誘惑に独り立ち向かい,人間の性の哀しみや悲しみに対峙して,焦燥感に駆られるための,一種の孤独なトリップをもたらす,ジャパニーズネイティブのケミカルドラッグなのだ。

 若い頃特有の,孤独で焼け付くような焦燥感と,これから始まる人生への不安や期待と,そして,その若さゆえの胃袋があったとき,ラーメンは必要不可欠な食べ物だった。最近は,麺のかん水と,豚脂が内臓に堪えるので,さっぱり食べなくなってしまった。齢を重ねて,食生活はナチュラル志向になった。前半の鮨の薀蓄も,その年齢的・身体的理由が根底にある。この理解の域に達するのには歳月を要するのである。

京都のラーメン考
鮨,寿司,うまいすし,ラーメン,うどん,そば,美味いもの,グルメ@京都情報大学院大学

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