小津安二郎監督作品

東京物語

いきなり小津安二郎。「東京物語」,1953年の映画である。飲み屋のカウンターでの酒の飲み方は今とさほど変わらない。
酒を飲んでいるのが主人公の老夫婦の,夫の方。(フーテンの寅さん,男はつらいよ,のお寺の住職役の笠智衆が演じている。)
古き良き日本の美徳や昭和高度経済成長の初期の風景が描かれている。

尾道に住む老夫婦が,東京に出た長男と長女,そして,戦争で死んだ次男の嫁(原節子)の家を訪ねる。実の長男は東京で開業医をしており,長女は美容院を経営している。未亡人となった次男の嫁は,東京で働き,小さなアパートで独り暮らしをしている。

次男の嫁はもちろんのこと,実子の長男長女も,両親である老夫婦に敬語で話す。
そして,もうひとつ興味深かったのが,次男の嫁の原節子の台詞であった。亡夫の両親が,「息子は酒を飲んでいたか?」という意味のことを尋ねたのに答えて,嫁(原節子)が,「ええ,いただいていました」と答えていたことである。

今の嫁ならば,「(彼は)飲んでいました」,「飲んでらっしゃいました」,いくら敬語を使ったして,せいぜい「召し上がってました」等と言う程度だろう。夫婦が「一体」であって,夫婦になった後は,戦争で夫が死んで八年以上経ったときでも,亡夫の両親に対して,あたかも一体であるがごとくに,一人称で「いただいていました」と言う。そんな日本はもうすでに無い。

別のシーンでは,東京の子供達を訪れていた老夫が,実の子供達に迷惑がられたので,戦争前に尾道から東京に移った友人の家に行く。そうすると,その友人の息子が,「パチンコに行く」と言って出かけて行く。その父は,「(息子は)法科の大学に行っているが,法律など何も知らん。ちっとも勉強せず,遊んでばっかりおる。」と嘆く。

1953年に封切られた映画で,戦後新制大学の特徴が表現されている。「勉強せずに遊んでばかりいる大学生」が出現したのは,実に,戦後の新制大学の誕生のすぐ後だったのだ。戦前は大学というと七帝国大学と有力私学数校しか「大学」はなく,大学生とは勉強する「書生」であった。1949年に新制大学が制度化されて,戦争前の師範学校や専門学校が新制度の「大学」となった。そして,GHQによる戦後の新制大学化は,今も変わらない「勉強しない大学生」の出現であったのだ。

小津は1929年(昭和4年,戦争前の不況の頃)に「大学は出たけれど」という映画を作っており,一所懸命勉強して大学を出たのに,不況で就職先の無い大卒生の悲哀を描いていた。それを考えると,戦後1953年の上述の描写は,戦前との違いを明確に意識していると言えるだろう。

かつての日本の美徳が残っていたのはせいぜい終戦直後くらいまでで,その後は,かつての日本が失われていく一方であり,その兆候はすでに1950年代に,始まっていた。

そして,飲み屋での酒の飲み方は今も変わらない。

失われたもの,変わらないものと,そして,すでに50年以上前に始まっていたこと・・。

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