オリンピック フィギュア日本!

テレビでは何度もオリンピックフィギュアスケートを再放送している。

金メダルを取った金ヨナは実に上手い。アナウンサーが,,「水が流れるような演技」だと評価していた。

そこでふと気付いたのだが,金メダルの金ヨナの「流れるような・・」は,スケートや踊りに求められる美であるのかという疑念である。あれは,果たして本当に美しいのか?という疑問が湧いたのだ。

西欧の選手の演技を観ていると,トリプルアクセルを跳んだ後の瞬間,両手を挙げて一瞬ポーズを決める。それだけではなく,多くの動きの中に,瞬間の静止をアクセントに入れている。手の振り付けも,足の動きもそうだ。スピンで回転する中で固まっているポーズも,その一種だろう。

これらは金ヨナもしていたが,他の選手と比較すると,あらゆる動きの中に,「瞬間の静止」があまり無いことに気付いた。常にどこかの関節が動き続けているように見える。

西欧の伝統のバレエもその派生であるフィギュアスケートには,伝統的に,空中での瞬間の凝固のような静止ポーズがある。そして社交ダンスのワルツにもタンゴにもラテンにも,瞬間の静止が流れる動きに対比されてさらに動的美が表現されている。

日本選手は,やはり歌舞伎の伝統なのか,歌舞伎で言う「見栄を切る」の瞬間のような,一瞬の静止があちこちに見られる。浅田真央の,足を腰より高い位置にキープして滑るスパイラルなどのように,まさに歌舞伎の見栄を切るが如くの,瞬間の静止が多々あった。

ところが,金ヨナの演技には,それが殆ど見られない。流れるように様々な技を繋いでいくのは見事の一言に尽きるが,瞬間々々の決めのポーズがあまりないように想う。演技最期の瞬間も,決して,止まっていない。

そういえば,韓国出張で現地のお琴や太鼓,伝統音楽を聴いた時も,そうだった。瞬間の静止,一瞬のきらめきがなく,すべてが流れていくような印象を持った。

最期にあるのは,やはり文化の相違なのだろう。バレエからの伝統の西欧文化から始まったスケートに,韓国の流れることの美の文化は,対抗できるのかどうか。

世界最初の評価は物珍しさが後押しするので高い評価を得ることが多いが,それに見慣れてしまったとき,やはり動と静の対比,バランス,リズムが評価されるようになるのではないだろうか。
なぜならば,動と静は,互いに他方が無くては成り立たない「美」だからである。

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