滋賀歩き ~大津祭

10月に、浜大津~大津駅のあたりで、「大津祭」が行われます。
コロナ禍で中止ともなりましたが、2022年は3年ぶりに開催されました。
大津祭は奈良時代に創建された天孫神社の例祭で、日吉山王祭、長浜曳山祭と並んで湖国三大祭の一つに数えられています。
国の重要無形民俗文化財にも指定されています。

13基の曳山が巡行する本祭がハイライト。
それぞれの曳山には物語があり、巡行の際には、その道筋に複数設けられている「所望(しょうもん)」という場所で、カラクリが披露されます。
たとえば、「猩々山」は孝行者の高風が、猩々から酌めども尽きない酒の壷を与えられたという物語にちなみ、高風が酌をし、猩々が大盃で酒を飲み干すと、顔が赤く変わるというカラクリが披露されます。

「源氏山」では、紫式部が源氏物語の構想を練っていると、その世界が動き出します。

曳山や人形には貴重なものも多く、龍門滝山の見送りはベルギーのタペストリーで重要文化財にも指定されています。

そして、所望が終わると、曳山の上から厄除け粽や手ぬぐいが投げられ、見物客はそれらを受け止めます。

本祭の前夜、「宵宮(よみや)」では、るカラクリ人形が曳山から降ろされ、間近に見ることができます。
こちらは動きませんが、高い曳山に乗っているのとは違い、すぐ近くで見ることができます。また、地元のボランティアの方々による説明を聞くこともできます。

曳山は、お祭りの一週間前に組み立てられ、本祭が終わると解体されてしまいますが、曳山展示館では、一年を通して曳山の実物大模型などを見ることができます。

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滋賀歩き ~崇福寺跡

志賀の大仏からさらに登っていくと、崇福寺跡があります。
近江神宮から比叡山延暦寺方面へと向かう東海自然歩道のルートともなっていますが、現在は令和3年度の豪雨により崩落危険箇所があるとのことで、崇福寺より先は通行止め、迂回ルートが案内されています。
通行止めの手前、歩道から山を少し上がったところに崇福寺の金堂と講堂の跡があります。

崇福寺は、近江大津宮とも縁が深く、天智天皇が建立したと伝えられています。
『扶桑略記』には、667年に天智天皇が大津宮で寝ていると、夜半に法師が夢に現れて、乾の方角の山に霊窟があるから早く出て見るようにと言われ、驚いて外に出て彼方の山を見ると、火光が細く昇って火焔があたりを照らしているのが見えた。次の日にそこを尋ねていくと、小さな山寺があり、念仏を唱えている人がいて、ここは古く仙人の霊窟があったところだという。そして翌年に崇福寺を建てた、という話が出てきます。
大津宮が廃都となった後も繁栄をつづけ、平安遷都後も十大寺の一つともされていましたが、次第に衰退し、鎌倉時代には園城寺の管轄下に入ったそうです。

万葉集には、「志賀山寺」という名前で出てきて、「勅穂積皇子遣近江志賀山寺時但馬皇女御作歌一首」として
後れ居て恋ひつつあらずは追い及かむ道の隈廻に標結へ我が背 (巻二)
とあります。

礎石がよく残っていて、在りし日の建物の様子が浮かんでくるように感じられます。
ただし、実はこれらは桓武天皇によって建立された梵釈寺であり、北・中の尾根上にある建物跡を崇福寺とする説もあるそうです。

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滋賀歩き ~百穴古墳群、志賀の大仏

京阪電車石山坂本線「滋賀里」駅から西方へ上がっていくと、山の斜面に点々と広がる石の穴。そこが百穴古墳群です。国指定の史跡となっています。


「百穴」と言っても、本当に百あるわけではなく、“たくさんの”ということです。
6世紀後半頃、古墳時代後期のものと見られる横穴式石室が集まっているのですが、羨道がはっきりとわかるものと、大きな石があるので、ここもかな?というものと。斜面を歩いていると、次々にあるので、際限なく探してしまいそうになります。


一応、古墳群の入り口(?というほど整備されてはいない)には、大津市教育委員会の説明板があり、分布図もありますが、どこがどこなのかは、さっぱり。
おそらく、山の地図を読める人にはわかるのでしょうが。。。私は半分程度してか見つけられていないように思います。

古墳分布図(大津市教育委員会)

玄室は大きな石がドーム状に積み上げられ、その上に盛土がされている円墳で、一つの石室に2、3人が葬られていたとのこと。副葬品なども見つかっており、石室と副葬品の特徴から、渡来人と関係が深いのではないかと考えられているとのことです。
古墳好きな方なら、ここは絶対におもしろい!と思うのですが、二度行きましたが、他に散策している人を見かけたことはありません。。。なお、舗装された道があるので、歩いても行きやすいし、古墳群のすぐ横まで、車で行くことも可能です。

その舗装された道をもう少し上がっていくと、「志賀の大仏」と言われる石仏があります。
高さ約3.5メートル、幅約2.7メートル。花崗岩を彫り出した阿弥陀如来坐像で、13世紀ころにつくられたと考えられています。


石仏は風雨にさらされて摩耗してきているようですが、それがかえってゆったりとした優しいお顔と雰囲気となっています。志賀の山越をする旅人を見守り続けているのでしょう。
現在でも、地元の方々に大切にされている様子がわかります。

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<番外編>奈良歩き ~興福寺

普段は滋賀を歩いていますが、たまに奈良も歩きに行きます。
基本的に興味の対象が古代~奈良時代までくらいなので、滋賀もおもしろいですが、奈良もおもしろい。

今回の目的は興福寺。今まで行く機会がなかったのですが、先日、永井路子の「茜さす」(これは現代が舞台の小説)を読んでいたら、興福寺の仏頭のことが出てきて、それが1メートルくらいの大きさがある、というくだりが。
興福寺の仏頭は、日本史の教科書にも写真が出ていて記憶にあったのですが、写真ではサイズ感がわからず、特に気に留めてなかったのが、そんなに大きいのか・・・やはり百聞は一見に如かず、ということで見に行きました。


国宝館には、有名な阿修羅像もあります。入口に小さなガイドブックが売っていたのですが、見ておもしろかったら買おう・・・と思っていたら、それは入口にしか売っていないもので、結局、戻らせてもらって買いました。国宝館はかなり満足度が高いので、また行こうと思います。
その後、梅原猛の「隠された十字架」を読んでいて、これは法隆寺の話なのですが、途中、興福寺についてもかなり言及があり、読んでいると再び興味がわいてきて、もう一度行きたくなりました。やはり、先に勉強してから行ったほうがおもしろいですね。

久しぶりの奈良だったので、大仏さまにも会いにいきました。何回見てもやはり大きい。


鹿もかわいい。

近鉄奈良駅前でふらっと寄った商店街の古書店で、調子に乗って梅原猛の「黄泉の王」と「塔」を購入。
「黄泉の王」は高松塚古墳が発掘されて間もないころに書かれたもので、被葬者を弓削皇子と推定するもの。それから約50年経ち、いろいろと変わったことやわかったこともありますが、当時のロマンが伝わってきて、おもしろかったです。
「塔」はまだこれから。

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滋賀歩き ~唐崎の松、坂本城址

近江八景といえば、
比良の暮雪
堅田の落雁
唐崎の夜雨
三井の晩鐘
粟津の晴嵐
矢橋の帰帆
瀬田の夕照
石山の秋月
中国湖南省にある洞庭湖の八景にちなんで、室町時代に選ばれたとも、江戸時代に選ばれたとも言います。
そのうちの一つ、唐崎の夜雨。


有名な歌川広重の近江八景図からすると、この方向ではないですが・・・夜でも雨でもないですが・・・名勝であることは間違いありません。
この碑が建つ唐崎神社は、JR湖西線唐崎駅から徒歩約10分。

樹齢100年と言われる巨大な霊松があります。現在の霊松は三代目とのこと。

坂本城址は、2021年秋の降水不足で琵琶湖の水位が下がり、普段は見えない石垣(礎石)が姿を現したことで、ニュースにもなりました。


坂本は石積みの技術者集団で、各地の城郭や石垣を積んだ穴太衆(あのうしゅう)の地元でもあります。現在も地名に穴太が残っており、京阪電車の石山坂本線に穴太駅があります。また、その技術は、穴太衆の末裔の建設会社に受け継がれているそうです。
さて、坂本城といえば明智光秀。城址公園には、光秀像があるのですが・・・もう少しかっこよく作れなかったものか。。。

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滋賀歩き ~摂取院の湧水、閑栖寺の車道、藤尾神社

京阪電車京津線の追分駅からしばらく行くと、摂取院があります。
1574年に道春法師が創建した、浄土宗のお寺です。
お寺の山門より手前になりますが、きれいな水が湧き出ていて、こちらの湧水を汲むことを目的に訪れる方も多いとか。

そこから追分駅へ戻り、また反対側へぐるっと回る感じに進むと、今度は閑栖寺(かんせいじ)があります。
ここには、車石が残っており、境内には、少しだけですが車道(くるまみち)が復元されています。

車石 この溝が牛車の跡


江戸時代、東海道 大津札の辻・京都三条大橋間は物資を運送する牛車が行き来していたのですが、現在のような舗装道路はもちろんなかったため、
通行を楽にするために、牛車の車輪の幅に合わせて花崗岩の厚板石が二列に敷かれていたそうです。車石は、牛車の頻繁な通行によってすり減り、溝ができています。
その後、1805年には、人と馬が安全に通行できるように、一段高くなった人馬道も敷設されました。これらの道は、明治時代にはその役割を終えて撤去されましたが、
大津から山科にかけて、路傍のあちこちで車石を見ることができるそうです。

磨崖仏(拝観には予約が必要)のある寂光寺を経てさらに30分ほど歩くと、藤尾神社につきます。


835年、園城寺西南(裏鬼門)の守護神として創建された神社です。主祭神は國常立尊(くにとこたちのみこと)、鬼門の神・山の神・土地の神とも云われ、方除けの神、厄除けの神としても崇敬される氏神様です。
秋には五穀豊穣を感謝する祭りが行われ、子供みこしの渡御があるそうです。

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滋賀歩き ~天狗前古墳群・あかね古墳公園

雪野山歴史公園から横山自然公園方面に向かって歩いていくと、途中に平石古墳群があります。
石碑の後ろに、すぐ石室が見えています。石室の中もしっかりのぞくことができます。


石室内まで入っていいのかはよくわからず、のぞくだけに。
「古墳群」というからには、周囲にはまだ古墳があるらしいのですが、フェンスなどもあり、どこまでが入っていいのかわからなかったので、平石古墳群は一つだけ見学し、横山自然公園へ。

横山自然公園は山(階段)を少し登ったところにあります。登っていくと、目の前に巨石。ボルダリングをする人もいるらしいですが、こちらは見るだけで、さらに進むと現れるのが、天狗前古墳群。


こちらも古墳時代後期の古墳群で、かつては20基以上の古墳があったと言われていて、1962年に名神高速道路の建設にともない6基の発掘調査が行われたそうです。
現在公園内にある2基は、1990年に蒲生野散策道建設のときに新たに見つかり、調査されたものです。
特徴的な階段式の横穴式石室を持つ古墳で、湖東地方ではよく見られますが、全国的には珍しいものとのこと。
こちらは、入口に柵があり、暗くて中はよく見えません。

さらに行くと、あかね古墳公園があります。
こちらは完全に整備された公園で、久保田山古墳と天乞山(あまごいやま)古墳の2基が復元されています。どちらも5世紀後半代のものとのこと。
どちらかというと、自然のままの古墳のほうが興味深いですが、復元されているものは、これはこれで当時の様子がよくわかります。
久保田山古墳は、墳丘が2段となっており、周囲に円筒埴輪が並べられ、葺石で全面が覆われていた・・・ということが調査からわかっていて、その様子が復元されています。


天乞山古墳は全国でも有数の規模の方墳(一辺約65m)で、南北両側に造り出しが付設された形状。上部には、竪穴式石室も復元されています。


このあたりは、木村古墳群として、かつては9基ほどあったそうですが、今は2基以外は失われてしまっています。
近くには「木村姓発祥の地」と書いてありました。真偽のほどはわかりません。

 

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滋賀歩き ~雪野山歴史公園・八幡社古墳群

日本全国にわたり、15万基を超える古墳がこれまでに見つかっているそうなのですが、滋賀にも多くの古墳があります。
都道府県別に見ると、それほど多い方ではないのですが、けっこう楽しめる場所がたくさんあります。

雪野山古墳は、東近江市・近江八幡市・竜王町にまたがる雪野山(308.8m)の山頂にある4世紀中頃の前方後円墳で、1989年に未盗掘の状態で発見されました。
発掘調査では、竪穴式石室と、三角縁神獣鏡を含む多数の副葬品が見つかり、副葬品は重要文化財に指定されています。
現在では埋め戻されていますが、山頂まではいくつかのハイキングコースがあり、後述の八幡社古墳群からは約30分で登ることができます。
また、雪野山の周囲には多くの古墳が見つかっていて、その数は200基以上とのこと。

八幡社(はちまんしゃ)古墳群は、古墳時代後期の古墳群で、前方後円墳1基と円墳16基から成ります(案内図には円墳は14基しか描いてありませんでした)。

八幡社古墳群案内図

その前方後円墳が46号墳で、全長は21m、後円部径11m、墳丘の高さ3.5m。
「前方後円墳」というと仁徳天皇陵などの巨大なものをつい思い浮かべがちで、そこから考えると小さいな、と感じてしまうのですが、46号墳のめずらしいところは、3つ並んだ横穴式石室。

46号墳

いのししが入ってこないように閉じられた柵の扉を開けて少し行くと、目の前に3つの石室が並んでいます。少し高いところから見ると、なんとなくですが、前方後円墳の形が見えてきます。

その周囲には大小の円墳が2~3基ずつまとまって広がっています。

44号墳

41号墳は天井石が除かれた状態となっていて、石室が見えています。すっかり草でおおわれていますが・・・。ここからは、須恵器や鉄製品などの出土品も見つかっているとのことです。

41号墳

八幡社古墳群は、比較的開けた場所にあるので、散策もしやすくなっています。
八幡社古墳群の南側には、八幡社南古墳群(2基)があります。

八幡社古墳群の周辺は、雪野山歴史公園として整備されています。バーベキューなどもできるようになっていて、竪穴式住居もありました。

雪野山歴史公園

いかにもな作り物ですが、歴史公園の雰囲気を出しているとも言えるか・・・。
広々として、景色もよく、気持ちのいい公園でした。

《参考》東近江市埋蔵文化財センター

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滋賀歩き ~BIWA-TEKU

長い長いお休みを経て、ブログ再始動。
滋賀県に移り住んで、丸9年。毎日眺める琵琶湖は、飽きることなく、滋賀はいいなぁとしみじみ思う。
滋賀に引っ越してから、いろいろなところを歩いているけれど、3年ほど前から活用しているのが、BIWA-TEKUアプリ。滋賀県民の健康アプリだそうで、歩くとポイントが溜まり、一年に一度の懸賞に応募可能というもの。懸賞に当たる確率はかなり低そうなものの、ポイントが溜まるとなんとなくうれしくなってしまいます。
主に利用しているのは、「バーチャルラリー」と「スタンプラリー」。
バーチャルラリーは、実際に行かなくても、日常の歩数でいろいろなところを歩いたことになるもので、スタンプ(=ポイント)を獲得していけます。
現在、今年2回目の近江八景をめぐっているところ。コースも豊富で、「琵琶湖八景&島巡り」では、湖を歩いて島に渡ることになります。あくまでバーチャルです!
スタンプラリーは、実際に歩いて、チェックポイントを巡り、その場所でチェックインするとスタンプ(=ポイント)が獲得できるもの。
滋賀県内に、多様なコースが設定してあり、数か月ごとに新しいコースに変わるので、興味のあるコースを選んで歩きにいきます。おかげで、新たな発見がたくさんあり、滋賀にはこんなに見るべきところがある!と思うのですが、正直なところ、閑散としています。。。新型コロナのせいであちこちに出かけにくくなったとはいうものの、密な場面はまずなく、感染の心配をせずにのんびりと散策できます。
チェックインできる場所はどのように設定しているのか、ちょっとずれるとチェックインできない。写真を頼りに探すのだけど、なかなかピンポイントでは見つからなかったり、ここは入ってもいいのか?というところにチェックインポイントがあったり・・・となかなかくせものです。
一度は、某神社でチェックインポイントが見つからず、神社内を3周くらいする怪しい人になったことも(このときは、本当に見つからなかった)。

というわけで、しばらく、滋賀のあちこちのことを中心に書いていこうかと思っています。
ちなみにBIWA-TEKUアプリは、滋賀県民以外でもダウンロード可能なので、普段はバーチャルラリー、たまにスタンプラリーに挑戦するのもいいかも。
京都からちょっと足をのばしただけで、観光地京都とは一味違う静かな散策を楽しめます。

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劇団四季 SONG&DANCE

劇団四季創立60周年の「SONG & DANCE 感謝の花束」。
これまでも、「SONG & DANCE」として、何回かの公演をしていますが、
毎回、とても楽しみです。

今回の内容も、また素晴らしかった!
劇団四季好きにはたまらない、四季ミュージカルの名曲がずらり。
もちろん、どれもそれぞれのミュージカルのストーリーの中で歌われる曲なのですが、
それをこうして集めてくると、また別の新しいメッセージが浮かんできます。
今回は、四季の「生きることの素晴らしさ」というメッセージと、
60年間の感謝の思いが伝わってくる選曲でした。

それが、それぞれの舞台とはまた別の演出で歌われる。
かなり笑いあり泣きありの演出でした。
お客さんを舞台にあげて、そこまでしちゃう・・・?とか、
いくら三木たかしつながりとはいえ、ここで『アンパンマンのマーチ』???とか。
お客さんもとっても盛り上がってました。

ただし、四季ミュージカルを知っている人向けかな。
知っているほうが、10倍楽しめます。
我ながら、「SONG & DANCE」であんなに感動するとは思わなかった。。。

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