渡波の言葉【被災者の声】

6月になりました。

今日はいい天気になりましたが,梅雨に入り先週末は台風の影響があり京都でもよく降りました。

東日本大震災で津波被害を受けた宮城県石巻市の渡波地区では,地盤が78cmも下がっている場所もあり,雨と大潮の影響による冠水の被害が出ているとのニュースがありました。

こちらの写真は,1か月前にボランティアで行った渡波地区の冠水の様子。

冠水 石巻 1

夕方,ボランティア活動を終えて,テントに戻る途中の様子です。

冠水 石巻 2

雨は降っていない状況で,この様子ですから,これから本格的な台風が来たらもっと大変です。

石巻に行ってから1か月,普通ならめったにメディアに登場しないであろう石巻の渡波が頻繁に登場します。そして,次々と避難所で知り合った顔が新聞やテレビに登場します。

直接,聞けなかった被害状況も,テレビや新聞を通して知ることもあります。

よく遊んだ小4の女の子のおばあちゃん(女川町)は,おじいちゃんの位牌を家に取りに帰り亡くなったと新聞を通してはじめて知りました。

避難所で避難者のリーダー的な存在だったおじさんは,奥さんとお母さんを亡くしたのだと,テレビでさだまさしと話しているのを見て初めてしりました。

テレビや新聞,インターネットで被災者の人たちの声を聞き,私が石巻の渡波で聞いた声も次々と思い浮かんできます。

その中のいくつかを,思い出すままに綴ります。

【みさきちゃん(中1)】
新中学1年生だと聞いて「制服は津波で無事だったの?」という質問に対し

「(制服が津波に)流されちゃった子もいるけど、(私のは)おばあちゃんが守ってくれたんだ。」

・・・・後日,登校前に制服を着ているみさきちゃんを見てうるっときました。

【ホタテちゃん(中2)】

一番,仲よくしてもらった女の子。

「あの日は(中学校の)卒業式だったので、(早く帰宅して)友達の家に遊びに行ったんだ。そうしたら、地震がきて。これは普通じゃないからって(渡波)小学校に来たの。体育館に避難したら、すごい音と黒い水が窓から見えて。ほんと怖かった。あとお腹がすいたのは辛かったよ。痩せたもん。」

どこまで聞いていいのかわからなかったので、それ以上深く聞くことはできなかったけど、中学2年生には辛すぎる体験をしている。前述のおばあさんが津波で亡くなった女の子のお姉さん。

【炊き出しを貰いに来たおばさん1(元水産業)】

私の名札に「青年海外協力隊OBパプアニューギニア」と書いてあるのを見て

「水産関係の仕事をしていてパプアニューギニアの研修生の人たちがよく石巻に来ていたの。「カウカウ・カイカイ」って教えてもらった。タロイモ食べるって意味でしょう。いつかはパプアニューギニアに行ってみたかったけど、もう冷凍設備が全部(津波で)やられちゃったから。」

パプアニューギニアで使われているピジン語で「カイカイ(eat)」・「カウカウ(sweetpotato)」でスイートポテトを食べるという意味。石巻でパプアニューギニアにつながりのある人に出会うとは思いもしなかったので,うれしかったけど,「もうパプアニューギニアには行けないだろう(事業の再開は難しいだろう)」という言葉に安易に否定したり,励ましの言葉をかけられませんでした。

【炊き出しを貰いに来たおばさん2(名前・年齢 不明)】

「よく(渡波小学校)の炊き出しに来ているけど,(津波で被害にあった)家の片付けをしていて疲れちゃって,ごはんをもらいに来る気力がなくなっちゃうんだよね」

【炊き出しを貰いに来たおばさん3(名前・年齢 不明)】

「濡れたタンスは開かなくなっちゃうんだよ」(同意者多数)

「家の近くに水産工場があって,津波でやられたから,1階にタコとかエビとかが流れてきていて臭いんだよ。」

炊き出しを貰いに来たおばさん4(名前・年齢 不明)

「本当は避難所(渡波小)に移ってきたいんだけど,家は2階は何とか使えるから。。。。布団敷いてねるだけだけど」

【炊き出しを貰いに来たおばさん5(名前・年齢 不明)】

「息子が消防団に入ってて,「何かあったら家族よりも消防団の活動が優先だ」って言われてたけど,本当に消防団優先だったから,数日は息子は帰って来られなくて大変だったよ。」

以上,これでも聞いた話の一部です。

これからも,なんとかできる支援をしていきたいと思います。
みなさんもご協力お願いいたします。

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