味覚を考える

味覚を考える

美味いと感じる味覚には二種類ある。

第一は,身体の本能的な要求に合致しているもの。運動した後の水が美味かったり,ビタミンが欠乏しているときの生野菜が美味いとか,たんぱく質が足りない時の肉とか,その時々の肉体の要求に応えるものを食べると,人間はそれを美味いと感じる。

第二は,それぞれの文化特性に基づく「学習の結果」である。
特に刺激の強いものや,異文化からみたときに違和感を感じるもの,などである。
その文化(民族とか集落とか地方とかでも良い)において,その地方でしか食べることができないもので,それが人間の肉体的な要求に応えるもの,あるいは,なんらかの儀式性を伴って習慣づけられたものなどを,当地の人間は「美味い」という。
これらには,当然,美味いの第一の理由と重なるものもある。その当地に昔からあるような独自の食物を美味いと感じるようになる訳だ。

さらに,時代が進んで,人間が学習すると,それまでは食べて来なかったものでも美味いと感じるようになる。また,その味が,今までになかった味であり,刺激が強かったりすると,美味い!というようになったりする。
アサヒのドライというビールがあるが,あれが爆発的にヒットしたのは,従来のビールにはなかったような辛みがあって,まさにドライという命名とともに,「新しい学習をした結果」なのだ。インスタントラーメンの世界でも,それまでになかったタイプの味が同様に刺激が強いと,爆発的にヒットすることが知られている。

韓国料理に唐辛子が大量に使われるのも同様の理由だ。韓国に唐辛子が伝わったのはそれほど古くはなく,江戸時代の日本から伝来したと言われている。しかし,伝わったとたん,刺激が強くで,それは美味いということになり,さらに刺激を求めて大量に使用する習慣が出来た。

日本では梅干はポピュラーな保存食であるが,「酸っぱく塩辛いという刺激の強さ」が,それが美味いという学習の結果をもたらしたのだろう。

刺激には「辛さ」や「酸っぱさ」や「塩辛さ」だけではなく,強い「油っぽさ」もある。
マグロのトロが美味いという感覚は,強い油っぽさが原因だと筆者は見ている。魚の脂身は,冷凍して戻すと,強烈に匂うようになる。新鮮な魚の脂身と,冷凍戻しのそれを食べ比べると,よくわかる筈だ。
魚の身は,冷凍すると細胞が破壊され,細胞壁で囲われた水分が浸み出してくる。そこに,油脂が大量にあると,油っぽさや匂いが強烈になる。逆に言うと,たんぱく質の美味さが減少して,油脂の臭みが前に出てくるということだ。

丁度60年代から70年代だが,冷凍と流通の技術,資本力による大量消費が始まった頃,日本でそのような冷凍戻しのマグロが流行り出した。大量捕獲で冷凍の切り身にするには,体躯の大きなマグロは最も生産効率の良い魚だった訳だ。タラやオヒョウも白身を取るには効率の良い魚だが,マグロには及ばない。

そして,それまでまともな刺身などほとんど食べたことの無かった内陸の人々が,「刺身」と称して販売される「マグロの冷凍戻し」を,「ご馳走である」,と学習した。他の冷凍戻しの魚に比べると,油っぽさが強いマグロは,一番の刺激だったのだろう。

80年代でも,内陸の旅館に泊まると,あたかもメインのご馳走の如くにマグロの冷凍戻しが食卓に並んでいたのを思い出す。横に添えられているのは,あの,ヒリヒリと辛いだけの合成ワサビだった。
そして,「刺身はご馳走だ」と伝え聞いていた内陸の人々が,その合成ワサビの刺激も「学習」したのであった。例え冷凍戻しであろうと,「マグロは美味い」という言説がまん延した訳だ。

得をしたのは(するのは)言うまでも無い,乱獲と大量流通を担う企業たちである。庶民が,まんまと巨大資本に騙されたと言って良い。

そうやって,社会の下地として「マグロは美味いご馳走だ」と言う言説が日本中にまん延し,さらに,マスコミの発達によって,本場の本当に美味いマグロの報道がなされるようになっていった。
まともに味も解らない若いタレントが,大間や噴火湾,勝浦のマグロを食べて「美味い」と連呼する。それを観た視聴者が,近所のスーパーや仕事帰りの居酒屋で冷凍戻しのマグロを喰う。漁師たちは,大きなのを一本釣ったら,それが高値で売れるもんだから,築地に送る。築地では,氷で冷蔵したものも冷凍したものも,値段の違いこそあれ,大量に売られる。

さらに,日本人の冷凍と流通の技術を利活用する巨大資本は,台湾や中国にマーケットを拡大していった。台湾や中国での冷凍戻しマグロの食べ方を観ていると,濃い緑色の着色料の入った合成ワサビを不味そうな醤油にドロドロに溶いて,強烈な辛い刺激を伴う冷凍戻しのマグロを喰っている。それが美味いのだそうだ。

そこにあるのは,「マグロは美味いご馳走である」,という言説(=思い込み)と,かつてマグロであった冷凍戻しの残骸の大量消費だけだ。そしてあえて言うならば,強い刺激を美味いものだと学習した(させられた)愚かな消費者である。

そうやって,本場のマグロから冷凍戻しまで,実際の本場での味覚を知った上でではなく,元来のグルメとは本質的に異なる「学習された味覚」を満足させながら,学習させられた多数の消費者が,巨大資本の餌食になっていっているのである。
乱獲されているのはマグロだけではない。冷凍戻しのマグロの残骸を美味いと感じているような,「学習させられた消費者たち」も,そうである。懐の財産を乱獲されているのだよ。

一度だけで良いから,本場で本当のマグロを食べて,騙されていたことを知るべきだ。二度と冷凍戻しなんて食べたいとは思わないようになるだろう。
もしそのように思わなかったとしたら,味覚音痴の極致なので,マグロの代わりにブロイラーの生のササミや熟したアボガドにワサビ醤油を付けて,マグロだと思って食べていたら良い。それだけで海産資源の枯渇に貢献することになるのだから。

時代はエコである。

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