読み手

俳句の話です。
皆さん,俳句の世界では「読み手」という仕事があることをご存知ですか?

たまに(?)俳句を作る人のことを「詠み手」というみたいですが,この「読み手」はその逆で,俳句の意味を読み取る人のことです。

あの,ちなみに私は俳句についてど素人ですので,もし間違ったこと言ってたらスミマセン。

私のおじいちゃんは,私が物心つくころから俳句の先生をしていて,今も現役です。
そんなおじいちゃんが(自己出版で)本を出したときに,その本にコメントとしていくつかの句を「読み手」の方に評してもらいました。

評してもらった句は日々の何気ないことを詠んだものだったのですが,その読み手の方は,その句だけからうちの家庭環境について,まるでうちの家族や関係を元々知っている人ではないかと疑えるほど読み取られたんです。

家族にとって,とっても面白い,ある意味ハプニングな出来事でした。
おじいちゃんがその句にあるがままを描写したのか,それとも読み手の方がおじいちゃんと似た経験をもった人だったのか・・・わかりません。

ただ,まだ高校生だった私には,おじいちゃんの作った俳句を読んでみてもあんまり意味がわからず,なんだかちょっと切なく思いました。

俳句は読み手によって解釈がちがうモノだと思います。
もしかしたら読み手がいてやっと完成する作品なのかもしれません。

という前置きで,この本を紹介したいと思いまーす。

世界は蜜でみたされる

題 名 :一行物語集「世界は蜜でみたされる」
著 者 :飯田茂実
出版社 :水声社

一言で言えば一行物語集です。(笑)
たくさんの物語が載っているのですが,そのすべてが一行から長くても三行程度。

3つほど抜粋します。

「深海魚に会おうとした揚羽蝶が,海面にへばりついている」
「いちばん無意味で役にたたない行動をとった者が優勝するという無意味競技が盛大に開催され,選手たちは有らんかぎりの無意味を尽くして死闘した。」
「墓地から枯れた花束を盗んでくるたびに背骨が少しずつ湾曲してゆく。」

一冊まるまる上のような短い物語でできています。
スキキライのある本だと思います。

私はこの一言が物語として浮かび上がってくる背景を考えるとすぐ時間が経ちます。(笑)
一言なのに,なんだかとっても,ち密で隙のない一言のように思えてきません?

ふと,この感覚って俳句に似てるのかなと思いました。
脱線しますが,絵本にも同じような感覚を覚えるのは私だけでしょうか。

未だにおじいちゃんの本を読んでも本意を読み取れてない感いっぱいですが,
そのうち読めるようになれたらなと思います。

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