元々は花札やトランプの印刷会社であった任天堂が,コンピュータゲームの業界に進出したとき,京都コンピュータ学院の卒業生を大量に採用した。初期の頃の任天堂のコンピュータゲームプログラマー,SEは,全員が京都コンピュータ学院の卒業生だったという。今では古典となったマリオブラザーズなども,KCGの卒業生たちが製作したものだ。
70年代から80年代後半にかけて,パソコンゲームやファミコン,アーケードゲームなどが急速に台頭していった。それに伴って,在学生の中で優秀な者は,在学中からゲーム会社の下請けのバイトをしはじめていた。中には,3ヶ月のアルバイトで500万円稼いだ,とか,学生でありながら半分正社員となり月収が50万円などという猛者も多く出現した。
NEC98が国内を席巻していた80年代半ばあたりからは,小学校の頃からパソコンに夢中になっていたといういわゆる「パソコン少年」が大量に出現する。KCGにも,もちろん,そういう学生がたくさんいた。ゲーム業界に巣立っていった猛者たちの多くは,そういった人たちだった。
70年代から80年代というのは,世の中が急速に情報化されていったときで,ゲームに限らず,KCG在学中に様々なコンピュータ関係業界で正社員として採用されていった人たちが多い。いまでも学内に少なからずいるその手の猛者たちにとっては,卒業するのが常識になっているが,当時は,KCG中退がエリートの一種だった。当時は,今のように,専門士や高度専門士の制度が無かったから,ことさら卒業資格が必要ということはなかったのである。従って,過去の元学生たちの中で看過できない存在として,「優秀であるがゆえの中退生」が多数いる。これは数千名を数えると思う。
多くのソフト会社でも同様だが,特にアミューズメント系のソフト会社では,技術者の流出を防ぐために,社内のプログラマーの誰がどのような技術を持っているのかは,最高機密である。
従って,KCGの卒業生や中退生の誰が何をしているのかを掌握するのは簡単ではない。当の本人から,「内緒だけど・・」と言う前置きで話を聞かされるのが大半である。
そこで,ある「80年代初頭の(優秀な)中退生」から聞いた印象に残る話。
あるゲームプログラムのある部分には,その担当のプログラマーだけが知っている関数がある。
例えば,(あくまでも例である)主人公のキャラがトコトコと走ってきて,ピョ-ンとジャンプする。
そのとき,ゲームを操作している人間が,「どのタイミング」で,「どれだけの時間ボタンを押」せば,「どのような放物線を描くか」を決定するように関数を作らなくてはならない。
それを見ている人間が最も自然に感じるような,そして楽しく感じるような動きをさせるための関数は,当のプログラマー本人が,様々にテストして編み出すものなのだ。これは,かなり難しいもので,その放物線を描いてキャラがジャンプする,という部分のサブルーチンは,その人しか書けないという。また,それを編み出したプログラマーは,その秘儀を他人に教えないという。
80年代から90年代にかけて著名だったゲームの,ごく一部分の話であるが,同じことは現代のゲームにもあてはまる。ゲームプログラミングの世界では,そのようなスーパープログラマーが何人もいて,しかも,各企業も,そういった人たちの存在をひた隠しにしているのである。
筆者はゲームはあまり好きではないが,よく出来たコンピュータゲームがそれなりに面白いことくらいは知っているし,FFやバイオハザードなどのRPGも,数ヶ月毎晩それに没頭して,最後まで行ったこともある。
人を夢中にさせるゲームには,多くの知性が参加しているが,その中に,その人しかできない,知性の結晶のような職人仕事がある,というのは興味深い。日本の誇る,職人気質,職人文化のひとつだと思う。
ランランリランショウビダバ♪,ラリ~リラ~ラリ~♪
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