20才で大人になった不良上がり

人生色々,卒業生たち

ずいぶん昔,KCGの学生だったときのこと。

山口県の日本海側の海辺の町から入学してきた不良の3人組がいた。
当時の不良は,決まってリーゼントで,ヤンキーと言われたのだが,その典型だった。クラスの中でも,最後尾に座り,斜に構えて威張っていた。

ボス格のAは,漁師の次男坊で,Bは三男坊。もうひとりのCは何人兄弟か忘れたが,末っ子だった。
三人とも,父親の仕事は長男が継ぐから,コンピュータを勉強して,都会で働くのだ,と言っていた。
高校時代から煙草やシンナーをやっては,補導されたりもしていたという。

Aは,車が好きで,スカイラインの中古を買って,嬉しそうに乗り回していた。
Bは,ロックが好きで,矢沢の永ちゃんやクールスをコピーしてギターを弾いていた。
Cは,あまり印象に残ってないが,いつも彼らといっしょにいた。
3人とも,見かけは不良だが,純朴で,素直な奴らだった。

最初はその3人組に睨みをきかされていたが,こちらのほうがすこし年上だったからか,一度,一緒に飲んだら,すぐにうちとけて,「○○君,また飲もうね~」なんて言ったりして,先輩扱いしてくれた。結構可愛い奴らだった。

Aはその後,なにか問題を起こして,自主退学していった。しばらくは,どこかのゲームセンターでバイトしていたが,その関係なのかなにか知らないが,うまくゲーム関係の会社に就職した。BとCは卒業して,どこか大阪のソフトハウスに就職していった。その後は,連絡が途絶えて,今はどこでどうしているのか,知らない。探そうと考えたことは何度かあったけれど,そのままになっている。

地方の海辺の町で育ち,口減らしに二年間分の学費だけを親にもらって街に出され,京都でそれなりに勉強して,大人になっていった奴ら。高校時代は不良だったのに,それなりに勉強して,道を見つけていった。

当時のKCGには,そんな人たちがたくさんいたと思う。高校時代は不良でも,20歳になったら,経済的に独立して,きちんと大人になる。そんなことが当然の時代だった。
定職に就かなくても生きていける時代である今,ああいった不良上がりで20歳で本当の意味で成人するような人たちは,あまり見かけない。

ランランリランショウビダバ♪,ラリ~リラ~ラリ~♪
ランランリランショウビダバ♪,ルンルンララーラ~♪
( -o-)y-~~~

京都コンピュータ学院
京都情報大学院大学

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