スポーツカーで仕事する ポルシェ

KCG レーシング

スポーツカーで通勤する,得意先周りをする,配達をする,etc.

国産ワンボックスを新車で買う予算より経済的に,すこし旧いスポーツカーを日常で使うプロジェクトです。

長い間コンピュータの分野に関わっていると,技術の進化のめざましさと,人類がまだまだ発展する可能性がよく見えるのですが,同時に,コンピュータ・IT技術の現状と,人間が元来持っている素晴らしい能力との差異にも敏感になります。

ここでは自動車に限って論じますが,技術が進化するのは常に,「ある特定の分野についてそれを進化させようとした結果」に過ぎません。換言すれば,「技術の進化によって置き去りにされてしまう部分が常に少なからずある」ということです。

例えば,キャブレターからインジェクションに移行した技術の進化発展を考えてみましょう。70年代初期のものから,現代の最先端のインジェクションコントロールのシステムすべてを見ても,まだ,キャブレター独特の俊敏性や,そこから聞こえる音や,そしてそれらが総合的にかもし出す独特の味わいや風情は,技術開発の対象にはなっていません。それは,「移動のために走る」という合理性から見たときには,あまり重要ではないからです。移動のためだけではなく,「運転を楽しむ」とか,「音を味わう」とか,異次元の目的を求める人のことは,当然,無視されています。

人間と言うものは勝手なもので,少年期の思い出や感情や感覚をとても大切にします。そしてその瞬間瞬間に出会ったモノや人や情景を心に留めますね。技術は理論を積み重ねていくものなので,自然科学です。他方,感覚や人情や感情は人文科学の対象です。ここに,実は,技術の難しさと,そしてさらにはIT・コンピュータ技術のほぼ永遠と言って良いようなテーマがあるのです。すなわち,数値で測れるような技術の結果やそれを支える理論が,実際の人間存在の人文科学的側面に対処しうるか否かということです。

ありていに言えば,自動車は,年代とともに理論や技術は進化していきますが,人間の観念は決して時代とともに進化していくのではなく,唯に「変化していく」に過ぎない,ということなのではないでしょうか?70年代の技術は,技術という側面から見れば80年代よりも前時代で未熟であり,90年代の技術は,さらに進化した結果であり,21世紀の今の自動車技術は,70年代よりは遥かに勝っているのですが,人間の情念は,そのいずれを選ぶかは,その人の勝手な嗜好に過ぎないということなのです。

そして,ここで,「スポーツカーで仕事する」という言葉の真意は,「貴方が,それをスポーツだと思うような車で仕事をしたら,人生がもっと豊かになるのでは?」というテーゼと,もうひとつ,「日常でも四畳半を引きずるよりは,肉体の鍛錬をしたほうが良いのでは?」というテーゼと,そしてさらに,「自分が自分であるように,自由に発想を展開したら如何なものか」というテーゼを含むわけです。

冒頭の議論に戻りますが,「技術」はいつも,人間の情念を後回しにして,理論を優先する「結果」です。そればかりに左右されることなく,自分にとって大切なものを常に自覚し,それを求めることが大事であって,実は,それこそが,真の技術の進化発展に寄与する人類本来の有るべき姿ではないかと思うのです。

したがって,スポーツカーで仕事する。四畳半を引きずり,家財道具の一切合財と移動して家族に貢献する利便性は,それはそれで決して否定する根拠のない,別の方向の技術進化のテーマです。そして他方,自動車とストイックなスポーツの道具と規定し,そのように使うことも同様。それらがこれからの自動車文化の夫々の「ひとつ」のあり方だと思うわけであります。即ち,ワンボックスカーが仕事で使われることが認められるなら,スポーツカーを仕事で使うことも認められてしかるべき。そう言いたいのです。

ポルシェ911,フェラーリ,アストンマーチン,ジャガー,ルノー,ランチア,BMW,なんでもかまいません。「貴方が,スポーツできる車」を,仕事に使いましょう。貴方が,自身を進化発展させることのできる車のことです。そういった車に乗ることは,人類の技術を進化発展させることに寄与します。

だから堂々と,スポーツカーに乗りましょう!

ET-WEST2008のkcg.eduブースもがんばってください!

KCG レーシング
京都コンピュータ学院自動車制御学科

京都コンピュータ学院
京都情報大学院大学

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