スタートライン~9~

 「し…知らない人、ですか…」

 ぽつんとつぶやいて、やや、呆然としている佐織を残して―。

 “ものをあげすぎ”との指摘を受けた香坂先生が、軽く胸を張っていた。

 「まあな。俺はKCGのお袋さんを目指しているからな」

 「お袋さんって…また、似合わないことを」

 苦笑する彼に、なっちゃんが大きくうなずいて力強く賛同した。

 「こんなお袋さんやったら、ちっとも気ぃ休めへんわ。なーんかギラギラした視線で、いっつも狙われてる気して」

 「人をスナイパー扱いすんじゃねーよ」

 眉間に皺を寄せつつ、頬杖をついたところで。
 テーブルの上、その肘に触れた1枚のプリントに気がついて、香坂先生はそれをめくり上げた。

 「あ、そうだ。丁度いいし、せっかくだからコレ、来ない?」

 テーブルの向こうにいる彼に、一瞬、緊張が走ったのを横目に見つつ、香坂先生はそのプリントを佐織に向けた。
 A4サイズの用紙に大きく書かれた文字が、茫然自失状態だった佐織の心を呼び戻した。

 「え、えっと…。KCGあわーど……?」

 疑問を含んだ言葉に、香坂先生は大きくうなずく。

 「うん、KCG AWARDS 。んー、簡単に言うと、“KCG在学生の勝ち抜き選手権”とでも言おうかなあ。ま、そんな感じだな」

 「勝ち抜き選手権……」

 ――と、1人で目を丸くしたあとに感心していたら。

 その横でプリントをのぞきこんでいたなっちゃんが手を挙げた。

 「はい、先生、しつもーん」

 そのノリに便乗して、先生も咳払いして指をさす。

 「はい、どうぞ。受験生のお嬢ちゃん」

 「お嬢ちゃん…って、嫌やわぁ、いくらアタシが大和撫子やからって、そんなもぉ。新城なつみだよぉ…」

 どうやら、こういうギャル風味な格好をしていても、中身はわりと純粋なトコロがあったりするらしい。わずかに身をくねらせてテレたあと、なっちゃんは質問をした。

 「えっと、その“KCG 何とかド”いうのは…」

 言いかけたのを、ちょっと待ったとばかりに手のひらを立てて先生が割り込んでくる。

 「アワード、言うただろうが。速攻で忘れるなよ」

 「いいやん、そんな冷たいこと言いひんでも。でな、そのKCG AWARD なんやけど…その、部外者とか来ていいん? あと、どんな服装で来たらええんやろか…」

 服装、と口にしたところで、着ているワンピースのような長いトレーナーの裾を軽く引っ張る。はたから見たら、ただのギャルっぽい女の子でも、本人的にはそれなりのこだわりがあるらしい。
 その不安げなさまを微笑ましく思ったのか、香坂先生は頬杖をつきながらニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 「あー、大丈夫。つか、部外者NGなら、そもそも誘わんし。服はなー、そんなに気を使わなくても…まあ、俗っぽいことをいえば“常識の範囲内”ってやつなら問題ないよ」

 「そっか、良かった」

 なんだかもう行く気になっているらしい。
 自分はどうしようかな――と佐織がプリントを眺めていると、なっちゃんは度肝を抜くようなことをサラリと言ってのけた。

 「じゃ、2人で行くわ。サオリンと私の2人で」

 「えっ!?」

 今、何て言った、と横を勢い良く見る佐織をよそに、なっちゃんはにこやかに話を進めていく。

 「この日、たぶん行けると思うし。うん、たぶん大丈夫やわ」

 携帯電話を出して、スケジュール確認をしつつ、OKを出すなっちゃん――。
 佐織はちょっと待ってとばかりに、トレーナーの袖を引いた。

 「ちょ、ちょっと待ってよ。私は……」

 たった今、あの人が自分のことを覚えていないと知って、まだ心の整理がついていない、というか。いや、むしろ、そこまでショックを受けた自分にショックを受けている、というか。
 だからまだ正直、何も考えられない―。

 と、そんな佐織の小さな言葉に気付かなかったのだろうか。香坂先生は親指を反らせて、テーブルを挟んで後ろに座る彼を軽く指した。

 「そりゃ良かった。今年のアワード、彼も出る予定だから。未来の後輩が来てくれるとなると、発表にも熱が入るってものだろ」

 「え………?」

 佐織が固まる。
 何ですって、今、何と?

 頭の中で、耳が受け取ったばかりの言葉を反芻する。

 “カレ モ デル ヨテイダカラ”

 それはつまり、

 “彼も出る予定だから”

 なわけで、―――ということはこのアワードにこの人が出るかもしれないんだ……!!

 「KCG アワード、ひらたく言えば発表会。この建物の上、6階のホールで学業発表会みたいなことをする、ってこと」

 「なるほど…」

 学業発表会、かぁ―。
 そうか、発表するんだ。

 佐織の頭に、ある景色が浮かんだ。

 ホールの壇上で、彼は拍手喝采を受けている。そこに上がってきた佐織は、うやうやしく花束贈呈をする―――。
 それは優雅に、気品高く、美しく――。

 ――と、そこまで想像した瞬間だった。
 佐織がプリントを取り落とし、先生の手を取ってガシッと握り締め、ぶんぶん振ったのは―。

 「行きます、行きます、KCG AWARDS! 絶対行きますからっ!!」

 「は、はあ…、ありがとう…」

 突然、手を取られて、ぽかんとする香坂先生の背後で彼は、曖昧な笑みを浮かべてこちらを見ていたのだった。

 「まったく、どういうこっちゃ…?」

 なっちゃんの呆れ声が、人気のないインフォメーションルームに響いていた。

       次回”あずたん、アワードへ行く”につづく

 

神崎佐織ラフスケッチ決定分その3
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