あずたん、アワードに行く~1~

「大丈夫かしら……?」

風の中にかすかに新緑の香りが混ざり始めた、3月の始め―。
京都駅正面の改札口を目前に、あずさはつぶやいていた。

手首を裏返して、時計を見る。
間違いない。待ち合わせの時間まで、まだ10分もある。
だから世間的にはまだ、心配する範疇ではないはずなのだけれど。

そうなのだけれど――。

「ふぅ…来ないなぁ…」

うつむき加減にため息を逃がして、あずさは顔を上げる。
待ち人こと親友の佐織ちゃんは、根っからの方向音痴で、3時間でつく道を6時間かけてつくというタイプで。
だからこうしてあずさは、ひたすら真剣に駅のホームから出てくる人々を見つめ続けていたのだった。

「佐織ちゃん、まだかしら…。大丈夫かしら…」

何度も開いたり閉じたりする改札、滑るように通り抜けていくビジネスマン、OL、子供、そしてど派手なギャル風の女の子。

「うわっ、やばっ! 間に合ったかなあ?」

あずさと同じように、誰かと待ち合わせているのだろうか。
彼女はそそくさとバックから携帯電話を取り出し、ガッツポーズをしている。

「よっしゃ! 10分前!!」

そしてあずさから数歩離れた柵にもたれて、改札口を見つめ始めた。

『ギャル…?』

横目で見ながら、あずさはふと親友が言っていたことを思い出した。

「そういえば私、ギャルっぽい女の子に会ったんだー」

とか、なんとか。

あのときは、今時、そんな子がいるのかと半信半疑になったけれど、どうやら佐織ちゃんの言っていたことは正しかったみたい。
あずさは自分の好奇心がどんどん膨らんでいくのを感じていた。

『膨らむ……?』

心の中でつぶやいて、あずさはふと自分が本来の目的を忘れかけているのに気がついて、ため息をついた。

「これじゃ、佐織ちゃんのこと言えないわね」

と―。

妄想特急佐織号ならぬ、あずさ号。
なんだか本当に実在しそうなところがシャレにならないけれど。

それはさておいて―。

思考をもとに戻すべく軽く息を吐くと、あずさは手首を裏返して、そっとつぶやいた。

「あと8分、かぁ…」

大丈夫よね、と自分自身に尋ねる。
だってもう18歳だし、ほぼ大人と言ってもいいし、何より彼女は――。

『京都に行くんだ、私』

降り注ぐ光の中に佐織ちゃんの声が重なり、あずさはあのときのことを思い出した。

「京都に行くんだ、私」

受験勉強の合間に訪れた神崎家にて。
佐織ちゃんは頬を赤くしながら、興奮に足をバタつかせていた。
勢いあまって、クッションをぎゅっと抱きしめたりして。
久しぶりに会ったあずさに、例の学校へ合格したことを教えてくれた。

京都コンピュータ学院―。

その名の通り、IT系の専門学校。
どこからどう見ても、コンピュータを学びますよって言わんばかりの名前である。
いや、もちろん、コンピュータに関することを学ぶのだろうけれど。

それにしても――。

「まさか、あの機械が苦手な佐織ちゃんがいきなりコンピュータとはねえ…」

見せてもらった合格通知を机に置いて、あずさは椅子を回す。
1周まわって、再びもとの向きへ戻り、佐織ちゃんと向き合う。

抱きしめすぎて形をいびつに変えたクッションをそのままに、佐織ちゃんはまぶしい笑顔をこちらに向けてきた。

「えへへ、びっくりした?」

「そりゃあ、びっくりしたわよ。だってコンピュータに興味があるだなんて、聞いたこともなかったし」

すると佐織ちゃんは頭をぽりぽりかいて、うつむいた。

「うん、私も知らなかったの」

笑顔を通り越して、ニヤけ始めている彼女がそのままふっと口をつぐむ。
顔じゅうの筋肉を緩ませていたかと思ったら、突然、ぽっと頬を染めたりして。
極めつけは、一言。

「えへへへへ~~~」

足をバタつかせている。

それを見て、あずさは開きかけた口を閉じる。

「ところで……あ」

佐織ちゃんは両手を握りしめ、頬を染めて、口元をゆるませていて―。
100%間違いなく、妄想特急状態に陥っていた。

話の流れから考えるに、どうやら早くも入学後のこと、それも夢も希望も100%でとろけそうなものを思い浮かべているみたいだから。

こういうときには何を言っても仕方がない。
あずさはため息をついて、苦笑いした。

「もう…」

机の上にあった、例の学校のパンフレットを手に取る。

思えば昔からこうだった。
佐織ちゃんは妄想してて、そのたびにあずさは何だか置いていかれたような気分になったりして。

『佐織ちゃんばっかり楽しそうで、ずるいなぁ…』

なんてこと思っては、少しいじけたりしていたっけ。
佐織ちゃんはいっつも楽しそうで羨ましいなあ、何を考えてるのか気になるなあ、とか考えたりして。

あとになって聞いてみれば、何てことはないただの妄想だったのだけれど。

「変わってないよね、ホント」

くすっと笑った拍子に、何かが床に落ちる。

「あら、何かしら?」

2つ折りにされた黒いプリントが1枚。
折り目をなぞるようにして広げてみると、そこには大きくこう書かれていた。

“KCG AWARDS 卒業発表会”

「発表会………」

あずさの中に、自分の座右の銘としている言葉が浮かんだ。

”人の不幸ならぬ、人のイベントは蜜の味”――。

自分の胸がときめいたのを感じた。

これはもしかしたら、楽しいイベントなんじゃない? って――。

そして約1ヶ月後の今、京都駅の正面改札口―。

あずさは胸をときめかせながら、地元からやってくる佐織の到着を待っていた。今回京都に来たのは、昨日にあった第一志望の学校の入学試験のためだったはずなのに。もしかしたら本当の目的はこちらの方だったかもしれない、と思うくらいに。

わくわくしながら、受験勉強に明け暮れた日々を取り戻したい一心で待ち続けていた。

「まだかしら…?」

イライラと何度目かの時間確認をした直後―。
視界の隅、改札口の向こうの人波にぽつんとニット帽が浮かび上がった。

「あ…!」

思わず、もたれていた柵から身を起こす。
人々が改札口を通り抜け、ニット帽をかぶった佐織ちゃんが握りしめた切符を慎重に改札機に通して行く。

歩く、そして―。

ピンポンピンポンピンポーン

切符を通すタイミングが合わなかったのだろう。
初めて彼女とここに来たときと同じ。
改札機に行く手を阻まれて、顔を真っ赤にして入れなおす彼女に向って、あずさは笑いを噛み殺しながら歩きだした。

と、その時だった。

旅行鞄を片手にため息をついている佐織ちゃんに、パステルカラーのど派手なあの子が突進していったのは。

「サオリ~~ン、久し振り~~。もうめっちゃ会いたかったわー」

あずさの足が止まる。
と同時に、顔じゅうににんまりとした笑みが広がる。

楽しいことが始まりそうな予感がしていた。

       次回”あずたん、アワードへ行く~2~”につづく

三倉あずさラフスケッチ決定分その3
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