ゴトン…ゴトン……
電車が揺れている。
そのリズムが疲れた体に心地いい。
思えば今朝は早くから起き出して移動に移動を重ねた上に、あちこち道を間違ってしまったから。
出なくていい改札口を通り抜け、乗らなくていい電車に乗り込み、逆に乗るべき電車を逃し、ホームで途方にくれていたところを駅員さんに助けられたり――。
一応、二回目なのに。
以前に辿った道をそのまま、辿りなおしているだけのはずなのに。
それなのに、それなのに――!
乗り換え不要、目的地まで直行の車両に揺られながら、佐織は控えめに地団駄ふんだ。
「どうしてこんなに迷うのよぉぉ~~~……」
こんなことなら、昨夜、“出陣祝い”と称してあずさが来てくれたときに、ちゃんと受け取っておけばよかった。“あずさちゃん特製・市販の地図よりも、ネットの路線案内よりもわかりやすい、佐織ちゃんのための京都行き詳細マップ”とやらを。
そしたらこんな、移動時間が倍近くかかってしまうなんてことはなかったはずだ。
細く長く息を吐き出しながら、佐織は心の底から自分の持って生まれた特性を恨んだ。
それからすっかり“出陣祝い”ムードな夕食の中でカッコつけちゃって、
「大丈夫大丈夫。1回行ったんだもん。京都くらいすんなり行けちゃうよー」
なんて、見栄を張ってしまった自分の口も。
こうしている今も、人目がなかったら、つまんでしまいたいくらいだ。そうしたら少しは気がまぎれるかもしれないから。
道を間違えたことへの恥ずかしさ、そしてそれ以上に自分に重くのしかかっている、……”緊張”、という状態から。
「まずい、まずい」
自覚しそうになって、佐織は大きく首を振る。
そして気分転換にと外の景色を眺め、あれこれ考えているうちにまた、旅行カバンがずれ落ちそうになっていたり……して―?
「!?」
前回のことを思い出して、佐織ははっと下を向いた。
良かった、手はしっかり膝の上にある旅行カバンを抑えている。
ずり落ち防止対策は万全だ。
1人で大きくうなずいて、佐織はふとネームタグのそばで揺れているものを手に取った。
同じ神社の、同じ色の、同じ目的のためのお守りが2つ―。
1つは自分、もう1つはあずさが買ってくれたそれらを交互に撫でながら、佐織はこの怒涛の1ヶ月を思い返した。
年明け早々―。
進路変更への決意を固めたものの、迷ったり、決意したり、でもまた迷ったりで、なかなか言い出せない時が過ぎた、新年最初の家族団らんにて―。
おせち料理を前に、佐織はついに宣言してしまった。
「私、N大学には行かない。京都行くっ!!」
なんて―。
今思えば、どう考えてもよくないタイミングだったよなー…と思う。
何秒かの静寂を経て、家族はみんないっせいに大騒ぎし始めたし。
「さ、佐織。何を言ってるんだ。大学行かずに旅行するだなんて何をわけのわからないことを…わっ!」
と、立ち上がりかけて、飲みかけのグラスを倒してしまうお父さんの横で、お母さんはふきんを使って畳の上を拭った。
「お父さんったら、ビールこぼれてる。ほら、私の言ったとおりだったでしょ。お母さんわかってたわ。佐織はやっぱり、何か悩みを抱えてたのね…………って、え、京都?」
その向かいにいた実佐が、急速な雰囲気の変化に一瞬、顔を青くして腕を伸ばした。
「まずっ!」
小さくつぶやいて、即座にお母さんの手元にあったぽち袋を1枚、回収する。そのままの勢いで、ぺこりと頭を下げ、彼女は早口にお礼を述べた。
「あけましておめでとうございます。お年玉、いただきます」
そそくさとポケットにしまう。
直後、おばあちゃんがずずっとお茶をすすったところで―。
説得が、始まった。
神崎佐織、一世一代の大説得が――。
それから学校へ進路変更の手続きをして、あずさには合格するまで打ち明けられなくて、でもバレて、それが原因で気まずくなった時期もあった………けれど、けれど…。
大丈夫。
もう凹まない。
きっと、うまくいく。
思いのたけをすべて話して理解を得たとき、自分が選んだ道を手に入れた爽快感が、佐織の心をすうっと突き抜けていった。
あれは大人になるための第一歩…だったのだろうか……なんちゃって、思い出すと照れてしまうけれど。
そして今――。
ゴトン…ゴトン……
あの年末と同じ。
佐織は、京都へと向かっていた。
けれどもちろん、悩んだり凹んだりしながら電車に揺られていたあのときとすべてが同じ、というわけではなくて。
重い気持ちなんて、微塵もない。
心の奥から、強い力が流れてきているのを感じていた。
流れる景色は夕焼けに包まれていて、とても優しくて、それだけなのにほほがゆるんでしまう。
ほんの数ヶ月前までは、知りもしなかった世界が。
思いもしなかった未来が、どんどん近づいてくる――。
そんな世界で暮らす自分を思うと、胸が躍る。いろいろなシーンを想像しては、ついついニヤけてしまう。
受験は明日だというのに、もう受かってしまったかのような言い方だけれど、別にかまわない。楽しい気持ちでリラックスして受ければ、きっと、大丈夫。
限られた時間の中で、自分なりに準備してきたのだもの、大丈夫。自分に自信を持って、しっかりつかんでみよう。
「私の、未来を…」
流れる景色を横に噛み締めた言葉に、車内アナウンスが重なった。
「まもなく京都―、京都。○○線お乗換えの方は△番乗り場から…××線お乗換えの方は…」
新たな出会いが、すぐそこに迫っていた。
次回”スタートライン~2~”へつづく