福井市内で出会った人物たち

の続きで、福井駅周辺を散策していたときの話。
石碑の他にも幾つか歴史上の人物を見かけました‥。

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 松平春嶽

駅から少し歩くのですが、
福井市立郷土歴史博物館へ行きますと、そばに松平春嶽の銅像がありました。
言わずと知れた‥幕末の四賢侯の一人に数えられた雄藩の藩主ですね。
つい先日も薩摩藩と朝廷の圧力で政治総裁職に就任、
幕政の表舞台に返り咲いたところです。 ←ってこれは大河ドラマ「篤姫」の話 o(^_^ 😉

博物館は余り時間がなくて駆け足で見て巡ったのですが、
企画展・常設展ともなかなか教育的なコンテンツで良かったです。

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 結城秀康

博物館へ行く途中、福井城趾を通り抜けたのですが‥
結城秀康の石像がありました。
言わずと知れた‥徳川家康の次男。越前松平家の藩祖です。
羽柴秀吉のもとへ養子に出されたため(‥要するに人質ですな)、名は秀康となっています。
後に関東の名門結城家との縁組みでその名跡と家臣団を継ぎ、結城姓を名乗ります。
徳川に対して、厳格に臣下の礼をとっていたそうです(2代将軍秀忠は三男ですね)。
戦上手で関ヶ原の戦いでは、野州小山に残って上杉家を牽制し、
一説には家康から戦功第一と評価されたとか。 ←この辺りは来年の大河ドラマに出てくる話 o(^_^ 😉
戦後の論功行賞で越前北の庄を拝領し、その後(お家騒動が)色々ありつつも幕末へと繋がります。

福井城趾は、お堀と優美な石垣に囲まれていますが、天守は既にありません。
天守台には県庁と県警本部のビルがドカンと建っていて‥
何と言いましょうか、これぞ日本の地方都市、といった趣きがありました。

どうも、この石像をみたとき、人物の顔や鎧、台座などが、どことなく中国風という印象を受けたのですが‥
裏書きにあった制作者が中国人らしき名前だったので‥
お国柄が出たのかも知れません。(真偽は不明です)

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 柴田勝家

「遊」の字に感動した後、暫く歩いているうちに、柴田勝家の前に出てしまいました。
言わずと知れた‥織田信長の家臣で筆頭家老を務めた戦国時代の武将ですね。
”瓶割り柴田”などと恐れられた猛将で、
織田家の版図が最大の頃は主に北陸の経略にあたっていたそうです。
ちなみに北陸ではお隣の加賀は手取川で上杉謙信の軍勢に一蹴されたり、もあったようです。
越前北の庄はその拠点だったのですね。
本能寺で信長が斃れた後は‥筆頭家老でありながら、
秀吉に良いようにやられてしまい(と勝った側が綴る歴史ですが)、ここが最期の地となりました。

北の庄城趾は、駅近くの賑やかな一角に、
今は小さな神社‥「柴田神社」となっています。
これも急に出くわしたので、少々驚きました。世が世なら、槍で一衝きされて落命するところです。 (x_x 😉

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 お市の方

同じく柴田神社の境内に、お市の方の像もありました。
言わずと知れた‥織田信長の妹で‥いい加減夜も遅いのでこの辺でやめておきましょう。

この人物も波瀾に満ちた悲運の生涯ですね。夫である柴田勝家とともに、北の庄で最期を迎えました。

以上、歴史上の人物に出会った(?)記録でした。 (^_^ 😉

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