ゴトン…ゴトン……
電車が揺れている。
そのリズムが疲れた体に心地いい。
思えば今朝は早くから起き出して移動に移動を重ねた上に、あちこち観光していたから。
駅のコインロッカーに旅行カバンを預けたのが、確かお昼前。それから一緒に来た親友と町へくり出し、怒涛の観光づくし。たこ焼き食べて、お笑いを見て、道端のお店から高そうなデパートまで、たくさんの場所をめぐって…そうそう、お好み焼きも食べたっけ。
こうして思い出している今もまぶたの裏に、今日見たたくさんのものが浮かんでくる。
…ん、まぶたの裏?
「あ、寝ちゃダメ、寝ちゃダメ」
ハッと目を開け、首を振る。
ついでに膝にのせていたカバンが足もとに落ちているのを見つけて、佐織は慌ててそれを拾い上げた。旅行用の大きなそれについているネームタグを確認する。
”神崎佐織”―。
間違いない、自分のものだ。と同時に、胸の鼓動が早くなる。佐織は心の中でつぶやいた。
『ま、まさかスリにでも遭った!?』
背筋を冷や汗が伝うのを感じながら、思い出した。
そういえば今朝、家を出るときにおばあちゃんが言っていたっけ。
『都会にはスリが多いからね。気をつけるんじゃよ』
って。
あのときはそんなバカなって笑い飛ばしたけれど…まさか…、旅行1日目にしてお小遣い全額紛失………!?
お年玉にお手伝いのお駄賃、その他もろもろ…。頑張った日々が走馬灯のように蘇る。
あぁ、あの時は頑張ったなぁ………って。
「そうじゃなくて!!」
カバンを開けて、手を突っ込む。震える指でゴソゴソとかき回してようやく、よく馴染んだ肌触りのそれを見つけて…佐織はホッとした。
間違いない、お財布は無事だ。
都会って恐ろしいらしいからね。ちゃんと手元には気をつけないと。
そんなふうに緊張の糸が切れて、ため息をついていると。
「佐織ちゃん?」
さっきまでこちらに寄りかかって眠り込んでいたあずさが目を開けて、こちらを怪しげに見つめていた。
「何を1人でオロオロしてたのよ。気持ち悪い」
ドッキーーーン!!!
変なタイミングで話しかけられて、佐織は心臓が飛び出しそうになる。
「い、いや、その。…別に…」
自分で思う以上に驚いたのだろう。顔が真っ赤になるのを感じながら、両手をふる。そしたら、膝の上のカバンがずれそうになったので、慌てて抑えて、今度は右手だけひらひらさせる。
「ホント、なんにもないの。うん、なんにも」
説得力ゼロの言葉を放つ親友を、あずさは探るように見た。
「ふーん…」
やがてどうでもいいと思ったのか、はたまた眠気の方が勝ったのか、再び夢の中へ引きずり込まれていった。
「すーすー……」
肩にもたれて、寝息をたてている。
その姿を横目に見ながら、佐織はホッと胸をなでおろし……思った。
そういえば彼女―三倉あずさは、自分とは違って旅慣れている。こうして今、旅している関西だって、年のはなれたお兄さんが仕事でここに住んでいた関係で、何度か訪れたことがあったっけ。
高校に入ってからは、受験やら何やらでそういう機会もずいぶん減ったようだけど、思えば中学生くらいまでは、そういう話をよく聞いていた。
…と、そこまで思い出して、佐織は口元を押さえた。
「あ」
そうだった。
あずさにとって、ここは知らない土地ではない。
むしろ、旅慣れた場所と言った方が正しいかもしれない。
そういえば、11月の半ば。
優等生で外部受験組のあずさが、内部進学組の佐織に話しかけてきたとき。
「受験勉強はもう大丈夫だし。気分転換に一足早く、卒業旅行をしてみない? どこか行ったことのないところとかさ♪」
なんて提案して、それで佐織が関西に行ってみたいと言ったとき。
一瞬だけ、戸惑ったような顔を見せたっけ。
「え、関西…?」
そうか、そういう意味だったんだ。
それっきり特に何も言わなかったから、つい忘れていた。
今日だって別につまらなそうにすることもなく、一緒に楽しく過ごしていたようだったから。
でも旅行が決まる前に、見たいものや行きたい場所を、ほとんど佐織の希望を最優先にしてくれていたし。どこを行くにしてもほとんど迷いなく、というかかつて来たことがあるみたいにスタスタ歩いて、一度も道筋を確認したことはなかったし。
思い当たるふしは、山ほどあった。
「そっか…。そうだったんだ」
心があたたかくなった。
たくさん歩いて、たぶん、気も遣ってくれて、それで電車に乗ったのだ。しばらく乗り換えもないということもあって、つい、ウトウトしてしまっているのだろう。
普段は憎まれ口が多いけど、やっぱりあずさって優しい。だからというわけではないけれど、佐織はそんな友情を大切にしなくちゃと思った。
と同時に、ため息が漏れた。
「ふぅ」
そういうことを意識すればするほどに、”時間”というものを突きつけられた気がしたのだ。
今は12月の末。
生後3ヶ月からの長い長い付き合い。それもあと数ヶ月で、離れ離れになってしまうということを思い出して、ちょっと落ち込んでしまったのだ。
地元に残る自分とは違って、あずさはかねがね、別の土地の学校へ進むと公言しているから。
2人が生まれ育った町に、彼女の学びたい分野はなかったから、自然と早いうちからあずさの目は外へ向いていたのだ。
「医療に携わりたいの。病気で困っている人の役に立ちたいの」
昔から賢かったあずさは、いつもこんなことを言っていた。そういうときの彼女は、とても凛々しくて、それでいて厳しくて―それを見ていると佐織は、なんだか自分の知らない人みたいに思えて寂しくなった。
取り残されたような気がした…というか。
そんなふうだったから、具体的にどの地域へ行きたいのか聞き出す気持ちにもなれなかったし、あずさはあずさで、まだ迷っているふしがあったので、それ以上、話が進むことはなかった。
でも、どこへ行くにしても―。
全国模試で常に上位組のあずさだから、どこを受けようときっと合格するに違いない。
離れ離れになるのは確実だった。
「離れ離れ…かぁ…」
佐織は暗くなっていく自分を励ますようにしてもう一度、深くため息をついた。
「はー…」
右肩によりかかるあずさを少し避けるようにして、左を向く。自然と言葉が、口をついてでた。
「進学…」
窓ガラスに映った自分はやっぱり結構疲れていて、でもそれ以上に少しだけ大人びた顔をしているような気がした。毛糸の帽子からのぞく瞳は相変わらずちょっと幼くて、髪の毛だってフワフワで…何もかもいつもと同じ。
18年も見てきた、自分のはずなのに。
何かが違う。
あと数ヶ月で、高校を卒業するから?
地元でこれまでとは違う、新たな1歩を踏み出すから?
慣れ親しんだN女子高等学校は、こんな都会とは比べ物にならないほどののどかな某県庁所在地にある学校だけど、佐織は本当にその町も学校も好きで。
だからかもしれない。
佐織は特に考えることなく早々に、市内にある附属の大学へ内部進学する決意を固めていたのは。
いや、もしかしたら…人の気持ちなんて複雑なものだから、もしかしたらもっと深い理由があったのかもしれない。今すぐには言葉にできないような何かが。
ふりはらったはずの重い気持ちが、夜霧のように静かに積もり始めていた。
「いけない」
首を振って、すべてを追い出す。
こんなのダメだ。冬休みが始まったばかりだし、それに今は旅行中なわけだし。せっかくの楽しい時間に凹んだ気分なんて似合わない。
コツンと窓ガラスに頬をつけて、はーっと息を吐き出す。イヤなことや悩み、ちょっとした物思いなどを全部全部、体から追い出していく。
そして次の瞬間、窓に映っていたのはいつもと同じ。今を楽しんでいる自分の姿だった。
「よし、大丈夫」
小さくつぶやく。
その声に車内アナウンスが重なった。
「まもなく京都―、京都。○○線お乗換えの方は△番乗り場から…××線お乗換えの方は…」
眠り込んでいた親友が、目を覚ます。
次の滞在地、京都まであと少し。
運命を変える出会いまで、あと少しだった。
次回”はじめまして、KCG~2~”に続く