「うん、そうしよう」
建物の横道を通って、先へ進む。
広い通路はちょうど普通車が行き交うことのできるほどの広さで、よく見るとその端のフェンス越しに電車が走っている。
『そっか。駅から歩ける距離だもんね。近いんだ』
頭の中で地理関係を整理して納得したとき、頭にカサリと何かが落ちてきた。
「えっ、な、何!?」
驚いて振り払うと、ひらひらと何かが指の先をかすめて、路面に落ちていった。
黄色くて、小さな穴がぽつりと開いた葉っぱ―。
いかにも秋の色を思わせるそれは、どうやら頭上から降りてきたようで。
「?」
気になって見上げた先には、その主だったと思われる枝が伸びていた。
12月も後半まで、季節の流れに身をまかせて、芽吹いて、葉を育て続けて―。
そうやって時を過ごした葉は、…そしてクリスマスイブになって、ようやく地に戻る決意をして。
佐織はいつしか、地元の校庭に並ぶ木々と、目の前の数本の木々を重ね合わせていた。
いったいこの木々は、どういう種類なのだろう?
背の高さや枝ぶりからみんな同じものだろうし、それにたぶん……知っている種類のような気がするのだけれど。
思い出したいのに、思い出せない。
その不思議な歯がゆさに、佐織はちょっとだけ悔しくなった。
枝だけの居姿で名前が判別できるほど、木にはくわしくないから、名前の切れ端も出てこない。
本当にサッパリ出てこなかった。
『でも―』
佐織は思った。
これがたとえば、季節が変わればわかるだろうか?
たとえば冬を過ぎて、春になったとして。
寒い日々を乗り越えて、あたたかい季節になったとして。
新緑が萌え、花が咲いたら。
この木々の名前を思い出すことができるのだろうか。
なじみある、この木々の名前を―。
「佐織ちゃん?」
あずさの呼びかけが、広がり始めた意識を押さえ込んだ。
「え、な、何?」
「……また妄想特急ってなかった? もう、しっかりしてよね」
辺りに人気がないせいだろう。
あずさの口ぶりも、態度も、思いっきりそっけなかった。まったく、本当に外面がいいっていうか……。
背を向けて歩き出した後姿に、舌を出して。
「あ」
視界のすみに飛び込んできた景色に思わず、笑顔があふれた。
あずさのキャリーにも、さっき佐織に降りかかってきたのと同じような黄色い葉が1枚、乗っていたのだ。
こんなところでおそろいだなんて。
佐織はうつむいて、小さく笑った。
と、目線を上げようとしたとき、佐織は視界の端に何かが映ったような気がした。ひと気のないと思われていた1階できらめく何かが。
「?」
立ち止まる。
丸見えになっているガラス張りの向こうには、学校の会議室なんかに置いてあるような長机がいくつかあって、何か冊子のようなものがいくつか積み上げられている。
そしてそれより、佐織の注意を引いたものはその奥。おそらく、正面入り口に向かいあう位置にそびえ立っていた―。
「もしかして…」
つぶやき、歩みを早める。
瞬く間にあずさとの距離は縮まり、追い越し、建物を1棟過ぎた辺りで左に折れた。
「佐織ちゃん?」
驚く声をよそに、正面入り口に立つと、そこには―。
「あ」
白を基調としたロビーの中央から、吹き抜けるようにしてまっすぐ階段が伸びていて。
その隣に、そっと寄り添うように1本のクリスマスツリーがたたずんでいた。
高さはおそらく、佐織の身長の2倍くらい…3メートルくらいだろうか。先週、お母さんと買い物に出かけたスーパーの売り場で見たものと同じくらいだ。
いや、でも何かが…何かが違う。
どこか、妙に寒々しい…というか、寂しいというか…―。
あ、そうだ。
まだ、最後まで飾りつけがすんでいないんだ。
深い緑色が、ロビーの照明を受けてしっとりと輝いているけれど―。
あるはずのものをきちんと纏っていないからか、少し寂しそうにたたずんでいた。
『そっか、それで…』
浮かんだ感想をそのままに、まるでとらわれたように目前を見つめ続ける。ふと、そんなツリーの姿に、何かが重なったような気がした。
何か、大切な何かが―。
どうしちゃったんだろう。
よくわからないことばかりが頭に浮かんで、その残像をとらえることすらできずにいる。
ロビーの中を、10人近い人々がせわしなく行きかっているというのに。
トランシーバーで連絡を取り合ったり。
みんなそれぞれに笑いあったり、時に真剣に話し合い。
長机でプリントのチェックをする人々も、そのそばで何やら最終チェックをする人々も、おなかがすいたのかカレーの味見をしているサンタさんの格好をした人も―。
みんなみんな―。
柔らかな雰囲気の中でみんながみんな、楽しそうにそれぞれの役割をこなしているというのに―。
それなのに―。
「ちょっと…。いきなり走り出すだなんて、どうしたのよー」
先を越されて、ふくれっつらのあずさが追いついてきた。と、同時に。
「あれ、階段の上…」
あずさが控えめに差した指が、その人を捉えていた。
ロビーの真ん中を吹き抜けるように位置する、階段の上から。
白い箱を抱えて、何人かの男性たちと話しながら下りてくる彼は、間違いなくあの人で。
年は推定、20代前半くらい。
黒のふちがついた眼鏡に、肌はちょっと白め。
でも体型はほっそりしているわけではなくて、ちゃんと筋肉ついてますって感じ。結構、頼りがいのありそうな―。
つまり、京都駅で出会ったあの人に間違いなかった。
なんて偶然だろう。
いや、もしかしてこれって運命?
「佐織ちゃん、佐織ちゃん? おーい?」
視界に手のひらをかざして、スライドし続けるあずさの声が遠くに聞こえる。
頭に、ほほにと、かすめ始めた薄片の冷たさも、どこか遠い。
そんな中で。
佐織はもはや、自分が彼を追いかけてここまで来たということも忘れて、立ち尽くしていたのだった。
これが佐織と彼、それから京都コンピュータ学院との初めての出会い。
次回”ターニングポイント~1~”に続く(1月第2週更新予定)