ポーン
定時を告げる音に、現在へと舞い戻る。
おじいちゃんの家で泣きじゃくった13年後の神崎家の離れに、佐織はいた。
日に焼けた畳。
少しだけ立て付けの悪くなった障子。
壁際の本棚には冠婚葬祭の実用書から、辞書、電話帳などなど―。
前の家で愛用していたものの多くを持ち込み、備え付けた結果―。
昔と同じ。
変わらぬ雰囲気が、ここには流れていた。
思い出の壁掛け時計も、なんでもおじいちゃんとおばあちゃんにとって思い入れのあるものらしく、たびたび部品を替えてもらったり、修理に出したりして使い続け、今もここで時を刻んでいる。
「…んっと」
ふと、佐織は寝返りをうって、畳から時計までの高さを目測してみた。
部屋が変わっているということもあるかもしれないけれど―。
確かに、幼稚園児には手に届きそうもない。たぶん、あの時と同じように本棚の本を集めてきても、同じくらいの高さに積み上げたとしても、届くことはなかっただろう。
あの時は…手を伸ばした時は確実に、触れられるように見えたのに。
もし、タイムスリップできるのなら、5歳だった自分に教えてあげるのに―。
一瞬、そんな考えが浮かんだものの、すぐにそれを打ち消す。
たぶんきっと、無駄なのだ。
そんなことをしても、自分はやっぱり積み上げてしまうし、上ってしまうのだ―。
はっきりした理由は見出だせないけれど、佐織は確信していた。
触りたいという気持ちは、とても強かったから―。
結論付けたとき、ある疑問が生まれた。
『じゃあ、今はどうなんだろう…?』
13年の時を経て、あの頃よりずっと背が伸びた自分なら……触りたいと思い、触ることができるのだろうか?
コタツにすっぽり入っていた肩を引き出し、腕を立てて身を起こす。
「よいしょっと」
思わず、あんまり若さを感じない言葉が出てしまったけれど、仕方がない。
「ん?」
コタツの向かいで、おばあちゃんがチラリと目線を上げたものの、こちらの様子を見て何かを感じたのか、そのまま作業を再開した。
1枚、2枚、3枚…
コタツに大きく陣取る白いアルバムを横にずらして、手元にある写真を、いくつかの山に選り分けていく。
その光景にしばし見入ってから、佐織は気を取り直して、時計に意識を戻した。
カチ…コチ…カチ…コチ…
古い時計は、時を刻み続けている。振り子を左右に揺らしながら、ゆったりしたリズムで―。
コタツから抜け出て、見上げる。手を伸ばす。
コツ………
振り子を覆う小さなガラス戸に、指先が届く。
予想通りの結果に、佐織はうつむいた。
壁に背をつけ、ずるずるとへたりこむと、無意識のうちに声が出た。
「おばあちゃん……」
呼び掛けられて、白い頭がこちらに向けられた。
「どうしたの、佐織ちゃん。ご機嫌は直ったかねえ?」
老眼鏡の奥で細めた目が、瞬く間に丸くなる。
「どうしたの?」
問いかける姿が、にじんでぼやけていく。
ぽたり、ぽたりと落ちていく涙をそのままに、佐織は尋ねた。
「どうして…どうして、時間は進んでいっちゃうんだろう…?」
「佐織ちゃん……?」
いまいち状況を飲み込めていないおばあちゃんを置き去りにして、佐織は心の隅をかき回すように吐露していく。
「目標とか夢とか希望とか…。まだ自分のことわかってないのに、どんどん流れていっちゃう…。流されていっちゃうの…私は…私は…」
一息に言い切って、すうっと深呼吸して佐織は―――――。
自分でも予想外のことを吐き出した。
「好きかもしれないことが見つかったばかりなのに………!!」
瞬間―。
心が乱れる、グチャグチャになる、収拾がつかなくなる―――。
「うわあぁぁーーん……!!!」
涙が止まらない。
自分の言葉に戸惑うけれど、なんとかしたいけれど、でもどうしたらいいかわからない―。
そんな中で―。
「……どんよりした顔して来たから、何かと思ったら…」
おばあちゃんは手をとめて、写真を置いて席を立ち―。
トン…
しゃくり上げる肩に、手をのせた。
「お…おばあちゃ………ん………」
「だーいじょうぶ、だーいじょうぶ。佐織ちゃんは強くて優しい子なんだから」
かすかに背を起こすと、その隙間に流れ込むようにおばあちゃんの手が背中を撫でていく。
「つ、強い…って…」
もう片方の手で、そっと手を握られて、13年前の景色と今が重なる。
佐織は首を振った。
「づ…づよぐなんが…ないもん…。づよぐなんが…」
すると、おばあちゃんは。
あの時より大きくなった孫娘に、あの時と同じようににっこり微笑んで
くれたのだった。
「強い子だよ、佐織ちゃんは。だって自分の弱さに気付ける子なんだから……」
次回”迷いの中で~4~”につづく
↓神崎佐織のラフスケッチ・アップ