迷いの中で~3~

 ポーン

 定時を告げる音に、現在へと舞い戻る。

 おじいちゃんの家で泣きじゃくった13年後の神崎家の離れに、佐織はいた。

 日に焼けた畳。
 少しだけ立て付けの悪くなった障子。
 壁際の本棚には冠婚葬祭の実用書から、辞書、電話帳などなど―。

 前の家で愛用していたものの多くを持ち込み、備え付けた結果―。

 昔と同じ。

 変わらぬ雰囲気が、ここには流れていた。

 思い出の壁掛け時計も、なんでもおじいちゃんとおばあちゃんにとって思い入れのあるものらしく、たびたび部品を替えてもらったり、修理に出したりして使い続け、今もここで時を刻んでいる。

 「…んっと」

 ふと、佐織は寝返りをうって、畳から時計までの高さを目測してみた。

 部屋が変わっているということもあるかもしれないけれど―。

 確かに、幼稚園児には手に届きそうもない。たぶん、あの時と同じように本棚の本を集めてきても、同じくらいの高さに積み上げたとしても、届くことはなかっただろう。

 あの時は…手を伸ばした時は確実に、触れられるように見えたのに。
もし、タイムスリップできるのなら、5歳だった自分に教えてあげるのに―。

 一瞬、そんな考えが浮かんだものの、すぐにそれを打ち消す。

 たぶんきっと、無駄なのだ。
 そんなことをしても、自分はやっぱり積み上げてしまうし、上ってしまうのだ―。

 はっきりした理由は見出だせないけれど、佐織は確信していた。

 触りたいという気持ちは、とても強かったから―。

 結論付けたとき、ある疑問が生まれた。

 『じゃあ、今はどうなんだろう…?』

 13年の時を経て、あの頃よりずっと背が伸びた自分なら……触りたいと思い、触ることができるのだろうか?

 コタツにすっぽり入っていた肩を引き出し、腕を立てて身を起こす。

 「よいしょっと」

 思わず、あんまり若さを感じない言葉が出てしまったけれど、仕方がない。

 「ん?」

 コタツの向かいで、おばあちゃんがチラリと目線を上げたものの、こちらの様子を見て何かを感じたのか、そのまま作業を再開した。

 1枚、2枚、3枚…

 コタツに大きく陣取る白いアルバムを横にずらして、手元にある写真を、いくつかの山に選り分けていく。

 その光景にしばし見入ってから、佐織は気を取り直して、時計に意識を戻した。

 カチ…コチ…カチ…コチ…

 古い時計は、時を刻み続けている。振り子を左右に揺らしながら、ゆったりしたリズムで―。

 コタツから抜け出て、見上げる。手を伸ばす。

 コツ………

 振り子を覆う小さなガラス戸に、指先が届く。
 予想通りの結果に、佐織はうつむいた。
 壁に背をつけ、ずるずるとへたりこむと、無意識のうちに声が出た。

 「おばあちゃん……」

 呼び掛けられて、白い頭がこちらに向けられた。

 「どうしたの、佐織ちゃん。ご機嫌は直ったかねえ?」

 老眼鏡の奥で細めた目が、瞬く間に丸くなる。

 「どうしたの?」

 問いかける姿が、にじんでぼやけていく。

 ぽたり、ぽたりと落ちていく涙をそのままに、佐織は尋ねた。

 「どうして…どうして、時間は進んでいっちゃうんだろう…?」

 「佐織ちゃん……?」

 いまいち状況を飲み込めていないおばあちゃんを置き去りにして、佐織は心の隅をかき回すように吐露していく。

 「目標とか夢とか希望とか…。まだ自分のことわかってないのに、どんどん流れていっちゃう…。流されていっちゃうの…私は…私は…」

 一息に言い切って、すうっと深呼吸して佐織は―――――。

 自分でも予想外のことを吐き出した。

 「好きかもしれないことが見つかったばかりなのに………!!」

 瞬間―。
 心が乱れる、グチャグチャになる、収拾がつかなくなる―――。

 「うわあぁぁーーん……!!!」

 涙が止まらない。
 自分の言葉に戸惑うけれど、なんとかしたいけれど、でもどうしたらいいかわからない―。

 そんな中で―。

 「……どんよりした顔して来たから、何かと思ったら…」

 おばあちゃんは手をとめて、写真を置いて席を立ち―。

 トン…

 しゃくり上げる肩に、手をのせた。

 「お…おばあちゃ………ん………」

 「だーいじょうぶ、だーいじょうぶ。佐織ちゃんは強くて優しい子なんだから」

 かすかに背を起こすと、その隙間に流れ込むようにおばあちゃんの手が背中を撫でていく。

 「つ、強い…って…」

 もう片方の手で、そっと手を握られて、13年前の景色と今が重なる。

 佐織は首を振った。

 「づ…づよぐなんが…ないもん…。づよぐなんが…」

 すると、おばあちゃんは。

 あの時より大きくなった孫娘に、あの時と同じようににっこり微笑んで
くれたのだった。

 「強い子だよ、佐織ちゃんは。だって自分の弱さに気付ける子なんだから……」

       次回”迷いの中で~4~”につづく

 ↓神崎佐織のラフスケッチ・アップ

 

神崎佐織ラフスケッチ決定分その1
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迷いの中で~2~

 カチ…コチ…カチ…コチ…

 壁掛け時計が、時を刻んでいく。
 そのリズムが懐かしくて、心地よくて。
自然と閉じたまぶたの裏に、ぼんやりと色あせた風景が蘇ってきた。

 13年前のある日―。
 幼稚園から帰ったその足で、あずさと2人でおばあちゃんの家を訪れたときのことだった。

 「こんにちはー」

 「あらあら、2人ともよく来てくれたねえ」

 読んでいた新聞から顔を上げて老眼鏡を外すとおばあちゃんは、今と同じ――いや、ほんの少しだけ溌剌とした笑顔で迎えてくれたっけ。

 「さあさあ、お入りなさい。寒かったでしょう」

 おばあちゃんは2人をコタツに勧めたあとで、しばらく孫たちの幼稚園話に目を細めてうなずきながらお茶を淹れてくれた。

 幼稚園で最近、運動会の練習が始まったこと。
 駆けっこしたり、お遊戯用のお花を紙を折って作ったり、日々の生活が運動会一色になっていることなど―。

 矢継ぎ早でしゃべり続けるのを、うれしそうにうんうん聞いてくれていた。

 「だからねだからね。いっぱいいーっぱい頑張るから、おばあちゃんも見にきてね」

 小さな指先を大ぶりな湯飲みで温めてから、佐織が得意げにプリントを渡すと、おばあちゃんは老眼鏡をかけながらそれを受け取って、佐織とあずさを代わる代わる見つめて大きくうなづいた。
 
 「もちろん。大事な孫たちの運動会だからね。都合つけておじいちゃんと一緒に見に行くよ。…ああ、そうだ」

 ふいに何かを思い出したのか、おだやかな表情に閃きのようなものを灯らせて、おばあちゃんは立ち上がった。

 「頂き物のお菓子があったんだ。ちょっと、待っていておくれ」
 
 座布団のそばに畳んであった割烹着に袖を通し、障子の向こうへと行ってしまった。
 
 「切り分けてくるから、それまで2人で仲良く遊んでなさい」

 そう言い置いて。

 でも当時、幼稚園児の佐織たちにしてみれば、不必要なものをほとんどカットしたような簡素な家で、時間をつぶすのも退屈に感じられたし、それに日々の練習で、いつもより活発に動き回っていたから。

 「んっとー…。どうしようかなー」

 あちこち見回し、しばし考えた挙句―。

 カチ…コチ…カチ…コチ…

 柱にかけられた壁掛け時計の…振り子に目を留めて。

 「あ、そうだ」

 思い付いてしまったのだ。
 
 「どうしたの、佐織ちゃん?」

 お茶をふうふうしながら、眼鏡を曇らせているあずさに、人差し指をぴんと立てて宣言した。

 「せのびごっこ、しよう?」

 「背伸びごっこ?」

 解せない、とばかりに復唱するあずさをよそに、佐織はコタツから抜け出て、壁際の本棚に歩み寄った。

 そしてそこから1冊、2冊、本を抜き出していく。
 冠婚葬祭の実用書から、辞書、果ては電話帳などなど―。

 あまりにイキイキとしていたからだろう。あずさがコタツを出て、目を輝かせた。

 「ね、佐織ちゃん。これ、どうするの。”イベント”?」

 幼い頃から”;イベント”大好きなあずさにまとわりつかれて、意味深な笑みを投げかけてから、本を数冊ずつ柱の下に積み上げていく。

 1冊、2冊、3冊………

 やがて、高さが自分たちの腰くらいになったところで、佐織は趣旨を発表した。
 
 「これに乗って、あの時計のブランコに触るの」

 明らかに誤っている単語名に、あずさが首を傾げる。

 「ブランコ…って、ふりこのこと?」

 「う、うん、ぷりこ。あれとね、おんなじくらいの高さになって、ふたを開けて、あれに触るの」

 積みあがった本に手をかけて、佐織は胸を張る。

 木枠にはめ込まれた小さなガラス戸の向こうで、左右に揺れる振り子…。

 それに触れると考えただけで、胸がワクワクした。

 時計自体は、それほど大きなものではなかったけれど。小柄な幼稚園児だった。佐織にとって、高い場所に掛けられたそれはとても魅力的なものだったのだ。

 『あれに、さわりたい…。さわるんだ』

 そのあまりの無謀さを始めはおもしろがっていたあずさも、親友がよじ上りながらたまに仰け反ったりする姿を目にしているうちに、だんだん怖気づいてきた。

 「ねえ、ダメだよ。佐織ちゃん。ケガしたら、運動会出れなくなるよ?」

 だけど佐織は、ワクワクしていたから。
 ぐらつく足元なんかよりも、時計との距離がどんどん近づいてくるのに興奮していたから。

 「だいじょうぶ、だいじょうぶ~」

 腕に力を入れ、震わせながらも懸命に姿勢を正そうとした。

 そしてあと少しで届く、そのときに。

 「何してるの?」

 いつの間に入ってきたのだろう。
 障子のそばにおばあちゃんが、羊羹ののったお盆を抱いて立っていた。

 「あ、おばあちゃ…」

 いつも優しいおばあちゃんの驚いた表情に、かろうじて保っていたバランスが崩れる。

 「わぁっ!」

 そう叫んだのは誰だったのだろう。
 大きく背をそらし持ち直そうとするも、特に運動神経がいいわけでもないし、足元はもともと大きさも分厚さも違う本たちを無理に積み上げられたわけだから、思うようにいくはずもなく―。

 「さ、佐織ちゃん…!!」

 2人の声が重なるのを耳にしたほとんど直後に、佐織はそのま
ま落下し、畳に背をぶつけてしまった。

 「大丈夫、ケガはないかい?」

 普段、ゆっくりとした歩みのおばあちゃんが、素早くお盆をテーブルに置いて駆けてくる。ひざまづいて全身をくまなくチェックしていく。

 やがて。

 「よかった。なんともないようだね…」

 ほっとため息をついたあと。おばあちゃんが顔をきゅっとしかめて、座り込む佐織の肩に手を置いた。
 
 「ダメでしょう、そんな危ないことをしちゃ。ケガでもしたらどうするんだい?」

 年を重ねているぶん、お父さんやお母さんよりはずっとおだやかな声で諭してくれたおばあちゃんだったけれど。
 
 それがお尻の鈍い傷みよりも、ずっと堪えた。

 触りたかっただけ。
 きらきら光る振り子に触れてみたい―そう思っただけだったのに。

 それなのに、こんなことになるなんて―。 

考えれば考えるほどに佐織は………耐えられなくなってしまった。

 「う…う…」

 散らばった足場だったものの中で、両膝をかかえ、しゃくりあげる。それが大きくなるのに、時間はかからなかった。

 「うわぁぁぁーーーーーん……!!」

 悪いのは自分。
 痛い思いをしたのも自分で、まわりに心配をかけたのも自分。

 すべて自分のせいなのに。

 たくさんの気持ちや思いが、心の中で渦巻いていて、なすすべがなく、ただひたすら泣きじゃくり続けていた。

 すると―。

 「…まったくもう…」

 おばあちゃんは肩の手を背中に移動させ、そのまま優しく撫で下ろしてくれた。

 シワの刻まれた、あったかくて柔らかい手で―。 

 「………痛かったねえ」

 その言葉が優しすぎて、涙に拍車をかけていく。

 泣き止まない孫の背をトントンと叩きながら、おばあちゃんが言い聞かせてくれた。

 「痛かったねえ。でも、だーいじょうぶ。佐織ちゃんはね、強
い子なんだから」

 言い含めるように、ゆっくりとゆっくりと慰められて、佐織はぶんぶんと首を振った。

 「づ…づよぐなんが…ないもん…。づよぐなんが…」

 けれどおばあちゃんは孫を文字通り”強く”させたかったのか、それともただ純粋に泣きじゃくる姿をかわいそうに思ったのか―ただ、背中をずっと撫でながら言い聞かせてくれたのだった。

 「だーいじょうぶ、だいじょうぶ。佐織ちゃんは強くて優しい子なんだから……」

       
       ~次回”迷いの中で~3~”につづく~

   ↓三倉あずさのラフスケッチ・決定分~その2~

    

三倉あずさラフスケッチ決定分その2
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迷いの中で~1~

 「ふぅ…」

 いったいもう何度目だろう。
 そんなふうにあきれながらも、佐織は1人、また1つため息をついた。

 「ふぅ…」

 机の上にはめくりすぎて、折り目がくっきりとついたパンフレット。角をそろえて隣に置かれたプリントも、どことなくくたびれてしまっている。

 そして佐織はというと、その上に頬杖をついて、窓の外をぼんやり眺めていた。

 「まいったなぁ…」

 脳裏に、昨夜のことが蘇る。

 食後のダイニングテーブルで、実佐からのお土産をつまみながら、あずさはふいに切り出した。

 …自分のことを語るの、苦手なくせに。
 でもそれすら忘れさせるほどに生き生きと、それでいてちょっぴり緊張しながら―自分の未来について語っていた。
 どうなるかはわからないけれど、だなんて前置きして。
 でもきっと、そうならないために最善の策を考えているに違いない―そう思わせるような口ぶりで。

 彼女が帰ったあと、実佐もずいぶん感心していたっけ。

 「やっぱりすごいね、あずさお姉ちゃんって」

 って。

 でも、佐織はというと。

 「う、うん。そうだね」

 実佐と同じテンションで話す気持ちになれなくて、あいまいにうなづいていた。

 大好きなシチューは美味しかったのに。みんなで食べて、幸せな気分になれたのに。心の中に横たわるもので、消化不良を起こしそうになっていた。

 『やっぱり、食べ物だけじゃあ根本的な解決にはならないんだなー』

 なんて、当たり前のことを考えたりしていた。

 それで―。
 あれから10数時間も経た今も、佐織は黙り込んで何かを考えていた。

 “目標”、“夢”、“希望”、“将来”、“やりたいこと”―。

 昨夜、あずさが語った言葉が、頭の中に散乱している。その1つ1つがありふれていて、耳慣れたものではあったけれど、いまだに現実味がない。

 でも…だけど…それってどうなのだろう。5つのうち、1個も答えが出せないなんて…もう18歳なのに。

 本当にそれでいいの?
 このまま、流れに身をまかせて進んでいってもいいの―?

 ―と、たっぷり10秒考えて。
 ジタバタ足で床を蹴って、佐織は立ち上がった。

 「あー、もう知らない知らない知らなーい! 気分転換行くっ!」

 何歩か進みきかけてはたと立ち止まり、机の一番下の引き出しを開ける。そっと積み重ねられていた本の下に隠すようにして、資料をしまう。

 「これでよしと」

 同じことばかり考えていても、仕方がない。

 煮詰まった頭の中を冷ますために、佐織は部屋を出た。

 トン…トン…トン……

 家の中に、佐織の足音だけが響いていく。
 床の冷えがしんまで伝わりそうな静けさに、ふと思い出した。

 そういえば昨日、お父さんは仕事納めで、今日はお母さんにつきあって年末の買出しへ出かけていったんだっけ。
 実佐は、その巻き添えになる前に即座に、ショッピングセンターへ行くことを宣言していた。

 「明日は絶対絶対、ショッピングセンターへ行くんだからっ!」

 よほど夕方のことが悔しかったみたい。
 思い出しただけで、笑ってしまう。
 もう、どこまで買い物が好きなんだよって。

 「えっと」

 頭を切り替えて、ほかの人の予定を思い出す。

 えっと、あずさ…彼女は、確か―。
 例年通りなら、お墓参りに行っているはずだ。今日はおばさんの命日だから。

 おじさんの仕事納めが今日で、お兄さんたちが続々と帰省してきているとか、そんなことを言っていたっけ。

 「また年明けに、初詣へ行こうね」

 と、約束して。

 そういうわけで、あずさに会うのもナシ。
 
 みんなの予定を復習しながら階段を下りきって、佐織はつぶやいた。

 「さて、私は何をしよう?」

 一応、玄関までやってきたものの、外出しなければならないような用事もないし、そもそも寒いのは苦手だし。だからと言って部屋に戻ったら意味ないし。リビングで見たいテレビ番組もない。

 「うぅーん……」

 腕組みして、考え込む。
 その耳にかすかに、笑い声が届いた。

 「?」

 くるっと振り返って、階段に沿うようにして伸びた廊下を見つめる。

 所々から差し込む陽光の中を、しんとした冷たさが漂う奥で―。

 「くすくすっ…」

 確かに誰かが、笑っている。

 先ほど思い出した各人の予定が、頭に蘇る。
 お父さんとお母さんは買出しで、実佐はショッピングセンター、あずさはお墓参り。

 ―となると、該当者は約1名。

 佐織はふわあーっとあくびをして、歩き出した。

 まっすぐに進んで、普段、家族3人が住んでいる母屋を抜けて渡り廊下を進んでいく。

 はたして声の主は、その障子の奥にいるようだった。
 口の中にこもるような笑いと、底抜けに明るい男性のおしゃべり―。

 佐織は片手を上げて、軽くノックした。

 「おばーちゃん。佐織だけど、いる?」

 「はいぃ?」

 いぶかしがる返事のあと、男性の声のボリュームがしぼられる。おばあちゃんはそっと障子を開けて、満面の笑顔で迎えてくれた。

 「いらっしゃい、佐織ちゃん」

 テレビに映っているのは、落語番組だろうか。
 そういえばおじいちゃんと一緒に暮らしていたときも、よく聞いていたような気がする。2人して縁側でお茶を飲みながら、季節を愛でつつ、たわいもない話をしていて。

 BGMはそう…落語だった。

 「どうかしたかい?」

 現実のおばあちゃんに話しかけられて、佐織は我に返る。

 「あ、ううん。ちょっと考えごとしていただけ」

 「そうかい? それならいいけれど」

 手招きして、部屋に入っていく。
 何を感傷に浸っているんだろう。おばあちゃんがここに住むようになって、もう10年も経つのに。おじいちゃんが亡くなり、それからしばらくして区画整理で住み慣れた土地を離れ、隣の市に住む我が家の庭に、離れを建てて…。

 『そうか』

 すすめられるままにコタツに足を入れて、佐織は思った。

 もう10年経つんだ。

 つい最近のことだと思ったのに。
 おじいちゃんとおばあちゃんが一緒に暮らしていて、佐織や実佐はちょくちょく遊びに出かけていって。

 時間の経過を思い知って、佐織はまた目を伏せる。

 京都から戻ってきてからというもの、こんなのばっかり。気分転換をしに来たのに、またこんな…勝手にひとりで凹んじゃって。

 『あー、こんなことだから、あずさに言われるのよ』

 頭を抱えて、彼女の言葉を思い出す。それに、あずさでない別の人の声が重なった。

 「妄想特急・佐織号…だったかね?」

 「え!?」

 驚いて見上げると、部屋続きの簡易キッチンから、おばあちゃんが戻ってきていた。

 「いや、ね。あずさちゃんからそう聞いていたものだから。それにしてもすごい名前だねえ。妄想だけでもすごいのに、特急だなんて。ねえ?」

 向かい側に座り、身を乗り出してくるおばあちゃんに、佐織はちょっと戸惑う。

 「ど、同意を求められても困るんですけど…。あずさってば……」

 指先で、コタツに“あずさ”と書いていく。1個、2個、3個……。

 そうこうしている間に、湯飲みが並んで―。
 ゆっくりと急須を傾けてお茶を淹れながら、おばあちゃんは嬉々として尋ねた。

 「特急は一番早いんだろう。カッコいいねえ。ハイカラだねえ」

 まったく何を言っているんだか。 
 丸い木製の菓子入れからお煎餅を取って、ばりっと噛み砕く。

 まあ、そういう、孫と一緒の目線で楽しんでくれるところが好きなんだけれどね。でも正直、あだ名を褒められるのはなんというか………ちょっと違う気がする。
 
 「えーと…。そのー…」

 次の話題を探しながら、お茶をすすって、ウロウロと視線を惑わせて。

 「なんでもない」

 あきらめて、ゴロンと横になった。

 カチ…コチ…カチ…コチ…

 壁掛け時計が、時を刻んでいく。
 佐織は目を閉じて、そのゆっくりしたリズムに身を任せた。

       ~次回”迷いの中で~2~”へつづく~

↓三倉あずさのラフスケッチ・決定分~その1~

三倉あずさラフスケッチ決定分その1
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ターニングポイント~9~

 自分自身を落ち着かせるような長い長い深呼吸のあとで―。
 静かな眼差しをこちらに向け、あずさは宣言した。

 「佐織ちゃん。私ね、第一志望を京都の学校にする。京都に行くわ」

 たくさん考えて、悩みもしたのだろう。
 言い切って、もう一度深呼吸したあずさはとても大人びて見えた。

 とりあえず一山、越えてきましたとでも言わんばかりに――。

 対して佐織はというと。

 「京……」

 小さくつぶやくように驚いてから、うつむいて目線を迷わせた。

 「えっと。そ、そうなんだー…。決めたんだ…」

 なんとなくあずさの顔が見れなくて―いや、見たくなくて、カーペットの模様ばかりを眺めていた。

 こういうときは、どうすればいいのだろう。
 笑って、“そうなんだ。頑張ってね”って励ます? 
 それとも純粋に、“びっくりしたわ~”ってオーバーリアクションを取る?

 でも――。
 たとえ、今、その場に相応しい態度がわかったとしても、佐織にはそう振舞う自信なんてなかった。

 頑張ってほしい気持ちはある。
 びっくりしたという思いもある。

 だけど、それ以上に簡単には片付けられない何かが大きすぎて、よくわからなくなっていたのだ。

 『私の気持ち………?』

 そんな時だった。
 階下から、助けともいえる声が響いてきたのは。

 「お姉ちゃん、ご飯だよー」

 それを受けて、佐織は応える。

 「今、行くー!」

 思ったより大きめのボリュームになってしまったけれど、仕方がない。
 首を振って気を取り直して、目前のあずさの肩にふれた。

 「いこう」

 「ええ」

 唇を左右に引いて、あずさは目を細めている。
 その真意がわからなくて、佐織は戸惑いながら立ち上がり、ジーンズの膝を払う。あずさが椅子を机に戻しながら、尋ねた。

 「お夕飯、シチューだってね」

 「みたいね」

 動揺を気取られないように短く答えると、あずさはいつもと変わらぬ口調でおだやかに話し始めた。まるで何でもないことを話すように。

 「今日ね、おばさんに言っておいたの。大事なお話をしたいって。だからかな、シチューになったのって」

 「あ」

 そこまで言われて、ふと、お母さんの作るシチューは、もともとおばさんから教わったレシピだったことを思い出す。

 クローゼットにはめこまれた姿見で、髪の撥ねをチェックしてから、佐織はつとめて明るく振り返った。

 「そっか。進学先のことを報告するんだね」

 佐織の家族は、あずさの家族でもあるから。
 でも今は、ここで話題を広げる気持ちにもなれなかった。これ以上、予想外の話が出てきては困るから。思わぬ反応をして、今の悩みがバレてしまうのだけは避けたい。

 ただでさえ、さっきまで微妙な態度を見せてしまったのだから。

 そんな動揺を見抜けなかったのか、それともあえて見過ごしたのか―。

 「うん。そういうこと」

 あっさりとうなずいて、あずさがドアへと向かった。
 ホッと胸をなでおろして、後を追う。階段を下りながら、佐織はひそかに深く息を吸って、暗い気持ちを追い出して。

 そうして頭の中を整理し始めた。

 佐織には今、気になっている学校がある。それは京都にある、京都コンピュータ学院。IT系の専門学校だ。そしてあずさは、京都の学校へ行きたいと言っている。

 …って。

 『なんで2人とも京都なのよ!?』

 今更ながら、控えめに両手を握り締める。
 前を行くあずさのこめかみをグリグリしたい衝動を抑えつつ、また深く息を吸って、吐いて。

 ようやく冷静になったところで、あずさは階段を折りきって右に折れ、リビングへと入っていった。

 「あ、待って」

 慌てて追いかけていくと、お父さんがリビングのソファに座って、ネクタイをゆるめているのが目に入った。

 「あ。おかえり、お父さん」

 「おかえりなさい、おじさん」

 ほぼ同時に挨拶を受けて、お父さんが目を細めて、背もたれから身を起こした。

 「ただいま」

 いつもと同じ、優しくておだやかなお父さん―。
 でも、佐織の目はある一点にじーっと注がれていた。

 『お父さん、…太った?』

 もちろん、口にはしていない。あくまで心の声だ。
 そもそも、お腹が出てしまったのは、佐織のせいもあるかもしれないし。

 例のシステム手帳のために“ドーナツざんまいの生活”に巻き込んだ自分が、太ったんじゃないって聞くのはあまりに無神経だ。

 そう、わかっていたんだけど。

 「悪かったね、ちょっとメタボっぽくなって」

 少し恨みを含んだ口調で言われて、佐織は慌てて手を振った。

 「え、いや、その、そんなことは…」

 すると、あずさが助け舟を出してくれた。

 「そこまでは思ってないわよね。おなか、じーっと見てたけど」

 え、何それ?
 助け舟じゃないし!
 軽くあずさを睨んでいると、キッチンで鍋をグルグルかき回していたお母さんが振り返った。

 「そんなにいじめないの。ちゃんと今日から、運動するんだから」

 首だけ動かして、お父さんがお母さんに尋ねる。

 「あ、あれ、届いたのか?」

 「ええ。箱から出しておいたから、ちゃんと使ってね。…まったくあんな単純な作りのものに29800円もするだなんて…」

 思い出しただけでちょっとイライラしたのだろう。鍋をかき混ぜるスピードが上がった。手を止めて、もう片方の手で調味料をふって、またグルグルやっている。

 対して、お父さんは実にのん気なもので。

 「そんなにしたかな?」

 再び前を向いて、アゴをさすっている。その小声をお母さんは聞き逃さなかった。

 「しましたよ。しかも代金引換で頼むだなんて。今度からちゃんとお小遣いで先払いしておいてくださいね」

 言葉に棘を感じて、お父さんは振り向いて手を合わせた。

 「うん、わかった。ごめんな、お母さん」

 そのさわやかな笑顔に、お母さんは苦笑いして。

 「もう」

 と、頬をゆるませてしまった。

 さすがはお父さん。
 そしておそるべし、相手を笑顔でKOする神崎家の血筋―。

 なんて感心しかけて、佐織はハテと首をかしげた。

 「あれ。私も同じ血を引いているはずなんだけどな」

 もしかしてまだ開花してないのだろうか、その手の才能が。いや、その手なんて言ったら、ちょっとアヤシイかな。

 『どうなんだろう――?』

 なんて、少しだけ妄想しかけたところへ絶妙なタイミングで、おばあちゃんがやってきた。

 「あらあら、いいにおいがするねえ」

 柔和な笑みに、その場の空気が溶かされていく。さすがはおばあちゃん、癒しパワーが炸裂している。

 「佐和子さんは本当にお料理が上手だねえ。わたしゃ幸せだよ」

 すると、あら不思議。
 半ば苦笑いしていたお母さんの顔が、ほんのり赤くなった。

 「そうですか? もう、お義母さんったら♪ あ、実佐ちゃん、お皿並べてちょうだい。そろそろご飯にするわよ♪」 

 実佐“ちゃん”って………―。
 普段、娘たちのことは呼び捨てなくせに……―。

 実佐がダイニングテーブルに手を着いて立ち上がったのが見えた。

 「お、お母様、お手伝いするわね」

 声も動きも緊張しているのは、ご機嫌がきちんと直っているか確かめるためかもしれない。
 
 離れて暮らしていると、意外な部分で免疫がなくなってしまうのだろうか。目のはしで様子をうかがいながら、そそくさと食器棚へ向かい、扉をスライドさせてお皿を選んでいる。

 なにはともあれ、お母さんのご機嫌は直ったみたい。
 よかった、よかった。
 
 もうすぐ夕ご飯の時間だ。

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       ~次回”迷いの中で~1~”へつづく~

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ターニングポイント~8~

 「やだ、懐かしい~!」

 椅子に座ったまま、あずさが控えめに地団駄踏んでいる。
 顔を赤らめ、ぎゅっとリモコンのふたを握りしめながら―。

 それで佐織は、思わず腰を浮かせて身を乗り出した。

 「え、なに、なに~?」

 伸ばしかけた指を避けて、あずさは時折、ふたに目線を落としてはきゃあきゃあ言っている。

 やがて―。

 「な、なによぉ~…」

 ぷうっと頬を膨らませた佐織を見て、彼女はようやくそれをこちらへ差し出してきた。

 「貼ったの忘れてたわ、こんなの~」

 なんて、照れ笑いしながら。

 それで佐織は受け取りながら、その裏面に目を落とした。

 「まったく、あずさってば………あ!」

 瞬間、遅ればせながら、親友の気持ちを理解する。
 …いや、同じになったという方が正しいかもしれない。

 頬が熱くなるのを感じて、地団駄踏んで―あずさと同じ行動を取ってしまったのだから。

 フタの裏側―。
 つまり電池に面している部分にあったのは、1枚のプリクラだった。

 「わぁ…」

 右隅に書かれた日付は、今から5年前の春―。
 それを裏付けるように、真新しい制服に身を包んだ2人がきりりと唇を結び、すましてポーズをとっていた。

 祝入学、仲良し、etcetc…。
 そんな言葉が縁取りのように彩る中で。

佐織とあずさの中学入学時のプリクラ

 「懐かしい~」

 ため息をつきながら、佐織は何故だか自分の気持ちが少しだけ落ちていくのを感じていた。

 セピア色の世界にいるのは、間違いなく過去の自分で―。
 そう。間違いなく、過去の自分なの…だけれど。

 「…あはは…」

 なんとも言えない違和感に、佐織はそっとあずさに返した。

 「…。や、やっぱりちょっと古いね」

 勘の鋭い親友に悟られないように、目線を落としながら。

 それをどう思ったのか―。
 あずさはうなづきながら電池のはめ込み具合をチェックしつつ、もう片方の手でフタを受け取った。

 「うん。そうだね」

 「ね」

 佐織はあずさの指先を、作業を眺めたあとに、両手を後ろについて天井を仰ぎ見た。

 「………」

 まぶたを閉じると、たくさんの風景が浮かんできた。

 幼い頃のこと。
 物心ついてからのこと。
 中学生になってからのこと。
 
 たくさんの出来事が、時間もバラバラに浮かんでは消えて、また浮かんでくる。

 そして最後に出てきたのは、あのプリクラ―中学生の2人だった。

 あれから、もうすぐ6年―。
 次に来る春、2人は何をしているのだろう――?

 「………ふぅ」

 作業に夢中のあずさに気付かれないように、そっと息を吐く。

 忘れていた寂しさが、焦りが噴き出し始めていた。

 『なんてタイミング…』

 楽しい思い出について、話し合っていたはずなのに。どうしてこうなっちゃうんだろう。

 目頭が熱くなるのを必死に否定しながら、佐織はにっこり微笑んだ。

 泣いちゃダメ。
 悲しくなんかないんだ。
 永久のお別れではないんだから。

 『そう、泣いちゃダメなんだ―――』

 堪え切れなくなりそうな気持ちを懸命に抑え、そらそうとしていたとき。

 「ふう…」

 苦笑いともとれる息を吐いて、あずさがぽつりとつぶやいた。

 「何してんの、変な顔してさ」

 「あ、いや、その……」

 思わず、無理に笑みを浮かべて、前を向くと。

 リモコンを机上に置いたあずさは、おだやかな顔をしてこちらを見つめ返していた。

 「ね、佐織」

 「ん?」

 「思えば私達ってさ。本当に長い付き合いだよね…」

 はかったようなタイミングに、佐織は目を白黒させる。
 あずさの目が、心なしか赤くなっているように思えた。

 「あずさ…」

 短い沈黙が流れていく。
 その間、あずさは何を考えていたのだろう。
 それまでの軽やかな表情も、雰囲気も微塵も感じられなくて…長いまつげを伏せて、うつむいて。

 瞬間。
 せき止めたはずの何かが決壊して、いろいろな思い出が押し寄せてきた。

 数え切れない、18年の思い出が―。

 物心がつく、うんと前から、2人は一緒だった。

 それは佐織が生後3ヶ月のときに、生まれたばかりのあずさが一人ぼっちで退院してきたときから、ずっと。

 2人はともに育てられ、ともに大きくなっていった。
 それぞれのお母さんたちと同じ、仲良く過ごしながら。

 そして今。
 いつものようにここにいる。

 ―――と。

 そこまで振り返って、佐織は考えた。

 これから自分たちは、どうなるのだろう?
 距離が遠く離れても、今までと同じような関係でいられるのだろうか―?

 「………」

 疑問が渦巻いて、あたたかい気持ちがいつしか温度を失っていく。

 すると現実のあずさが髪をかきあげて、大きく笑った。

 「…ん? 何よ。人のこと、じっと見て」

 「あ」

 知らず知らずのうちに、じーっと凝視していたらしい。はたから見れば、眉根を寄せてとても険しい…かなりアヤシイ表情で。

 佐織は視線を惑わせながら、言いよどんだ。

 「い、いや、その…」

 何をやっているんだろう。
 もう、どうかしているよ、私。

 首をぶんぶん振って、暗い気持ちを追い出していると。
 重い空気を振り切るように、あずさが切り出してきた。

 「そういえば」

 「え?」

 引きずられるようにして、いつもの調子に返ると。

 「えーとー…そのー…」

 どうやら話しかけてはみたものの、つなげる話題までは考えていなかったらしい。あずさはしばらく目線を泳がせてから、手をぽんと叩いた。

 「旅行。そうだ。旅行の写真、現像できた?」

 調子をあわせるように、佐織も手を叩く。

 「あ、ああ。うん、出来たよ」

 「じゃあ、見せて♪」

 「いいよ♪」

 立ち上がって、机の隣にある本棚に手を伸ばす。
 カメラ屋さんのロゴがプリントされた袋を、あずさに差し出した。

 「昨日、買い物のついでに、お母さんが現像しに行ってくれたの」

 「あー、ありがとー。わ、こんなに撮ったっけ?」

 「えっと、100枚は軽く超えてたみたいだよ。お母さん、ぼやいてたし」

 「『こんなに現像するなら、自分でカメラ屋さんに行かせてお小遣いから出させれば良かった』って?」

 「そうそう。さすがはあずさ~♪」

 2人、顔を見合わせて、ニヤリとする。
 すぐに笑顔がはじけた。

 「「あははははは」」

 別段、おかしいことじゃないのに、すごく笑える。なんだか止まらない。

 笑って…笑って…笑い転げて。

 そして。

 「あ」

 たっぷり笑って、力が抜けたのだろうか。
 あずさの指から、写真の束が床にすべり落ちてしまった。

 「あ。やだ、私ってば~!」

 人差し指で目のふちをぬぐって、しゃがむ。

 佐織もつられて、膝をつくと。

 コツン…

 互いのおでこが、そっと重なった。
 いや、重ねたのだ…佐織の感傷が伝染った彼女が―。

 「えっと、その…こほん」

 軽く咳ばらいして、あずさは続けた。

 「今更こんなこと言うのもテレるんだけど…。私、佐織ちゃんと知り合えて良かったと思ってる」

 「あずさ……」

 真剣な声色に、言葉を失う。
 目線を写真に落としたまま、あずさは続けた。

 「私さ、こんな性格だし。人にはいつも壁作って、ニセモノの自分を演じて。だけどね、佐織ちゃんは……その、なんて言うのかな…」

 途切れた声に重ねるように、佐織は強くうなづいた。

 「うん、わかってる」

 昔からあずさは、自分を語るのが苦手だった。
 それはもともとの性質かもしれないし、お母さんが彼女を産んですぐに亡くなったという過去のためかしれない。

 いや、もしかしたら、もっとほかに原因があったのかもしれないけれど。

 それを含めての三倉あずさなので、根掘り葉掘り聞く必要はなかった。

 だって自分たちは、かけがえのない親友同士だから。そうである理由なんて必要ないのだ。

 「わ、何コレ~」

 ふいにあずさの指が伸びて、一枚の写真をつまみあげる。
 これは旅行最終日の移動前に撮った写真。ちょっとだけおどけた顔で、京都駅のクリスマスツリー前でVサインをしている2人が映っていた。

 「わ、すごいピンボケー!」

 肝心な顔がぼやけていて、なぜか斜め後ろのポスターにピントがあっている。
 一体、何を撮りたかったんだか。“列車に乗ってカニを食べに行こう”という文字がやけにくっきりと見えた。

 これじゃあ、なんだか…。

 「オマケみたいね、私達」

 ズバリ、あずさに言われて、佐織は目を見開いた。

 「それ、私もそう思ってた」

 「やっぱり?」

 「うん」
 
 答えながら、床に散らばった写真を集め始める。たまにおかしな一枚や、きれいな一枚などを見つけて、そのたびに話題にしながら。

 中断したり、集めたり。

 そしてすべてがもとの固まりに戻ったとき、あずさは長い長い深呼吸をした。まるで自分の中すべてを、落ち着かせるように。

 こちらを見つめた彼女は、とても静かな目をしていた。

 「佐織ちゃん。私ね、第一志望を京都の学校にする。京都に行くわ」

 「京……」

 言葉を失う。
 心の中で、たくさんの気持ちや過去が風のように通り過ぎていく。
 これは何だろう。

 動揺?
 困惑?
 それとも喜び…いや、もしかしてそれ全部?

 「京都……そっか、京都なんだ……」

 意味もなく、繰り返しつぶやきながら落とした目線の先―引き出しの奥にある白いパンフレットが――。

 何かを示しているような気がしていた。

       次回、”ターニングポイント~9~”につづく

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ターニングポイント~7~

 「さて、と」

 1階のやりとりがひと段落したのを確認して、爪先立ちで自室へと戻る。

 ゆっくりと扉を閉めてそこにもたれて、佐織はため息をついた。

 「そっか、実佐が戻ってきたんだ…」

 普段、家を離れて寮暮らしをしている妹。
 だから会えるのは基本的に季節ごとにある長期休暇の間だけだし、それ以外は携帯と実佐のパソコンとでメールのやりとりをするくらい。

 そんなふうな姉妹なのでたまにこうして声を聞くと、ちょっとだけ変な気持ちになるのだ。

 なんというか、くすぐったいようなうれしいような―。

 もちろん、そんなこと恥ずかしくて、誰にも話せないけれど。

 でもまあ正直、日々、暮らしていると、ちょっと寂しくなることもあるのだ。

 たとえば夜、ご飯もお風呂もすませて2階に上がってきて、ふと、こぎれいに片付けられたひと気のない隣室を見たときとか。
 
 アルバムの整理をしていて、実佐と過ごした古い写真が出てきたりしたときとか。

 そのときの心理状況などによってなんだか無性に、寂しくなるときがあるのだ。

 まあ、それも5年も経ったから、もうずいぶん慣れたけれど。

 …いや、ただ慣れたというわけではないのかもしれない。

 たぶん―。

 「あずさのおかげ、だよね…」

 自然と口に出た言葉に、一人、うなずく。

 そうなんだ。
 きっと、彼女のおかげなんだ―と。

 あずさにはこれまで、どんな些細なことでも話してきたし、両親に報告する前のこともいろいろと相談してきた。
 思い返してみれば、秘密というのを持つことも、それほどなかったはずだ。

 …まあ、隠し事をしようとしても、勘の鋭いあずさにすぐに見破られて、口を割らされていた……というのも事実といえば事実なのだけれど。

 でも、それが今―。

 「…隠し事…しちゃってる…のかな」

 つぶやきながら、右手を胸に当てる。

 視線の先―机上には、白いパンフレットが置かれたままだった。正直、自分でもどうしたらいいかわからない、"別の未来"を指し示すパンフレットが―。

 「…」

 左手を上げて、右手に重ねる。
 まぶたを軽く閉じて、熟考しようとしたその時だった。

 トン…トン…トン…

 まずい。
 誰かが階段を上がってくる。
 もたれていた扉から飛びのいて、佐織はあたふたと机に駆け寄った。

 「や、やばいっ!」

 パンフレットやプリントなど、その他もろもろを手に取り、おろおろと左右を行き来する。

 「うわ…わわ……!」

 そしてはたと、そんな自分の混乱ぶりに嫌気がさして、ひとり、突っ込む。

 「何を焦ってるの。…あ、引き出し!」

 焦って、机の一番下にある引き出しに、パンフレットとプリントの束、それからその横にあったゴミ箱から、封筒を取り出した。

 あずさは鋭い。
 変なところで鼻がきくし。
 もちろんそれは、本当に嗅覚が優れているということではなくて、ただ単に勘が鋭いという話なのだけれど。

 それはさておき。

 トン…トン……トン…

 あずさが迫ってくる。
 一瞬だけリズムが落ちたのはたぶん、踊り場を通ったせい。

 「これでよしっと!」

 引き出しを勢いよく閉めて、佐織は、クローゼットにはめ込まれた鏡に自分を映して、深呼吸を繰り返した。

 「すぅーっ、はぁーっ、すぅーっ、はぁーっ…」

 落ち着け、落ち着くのよ、私。
 私は悪いことなんかしていない。だって仕方がないもの、だって、だって―。

 言い聞かせていく視界のすみに、先ほどの引き出しが入り込んで、再び心拍数を上がる。

 封筒の角が、はみ出しているではないか。

 「わ!」

 あたふたと駆け寄り、中へと押し込む。

 直後、鏡の前で、寝ぐせのチェックをしたところで―。

 コンコン

 「き、きたっ!」

 びくっと肩が上がる。

 ノック音に続いて、はずんだ声が尋ねてきた。

 「佐織ちゃん、入ってもいい?」

 「はっ、はいぃっ、どーぞ!」

 反射的にベッドに座って、入ってきたあずさに小さく手を振る。
 この位置なら机も斜め前に見張っていられるし…、大丈夫、引き出し対策は万全――なはずなのだけれど。

 「や、やっほー」

 だめだ。一瞬の沈黙も耐えられずに、いきなり声が裏返ってるし。
 案の定、あずさが眉根を寄せて、怪訝そうにこちらを見つめていた。

 「…どうしたの。佐織ちゃん、何か変」

 「そ、そんなことないよー」

 「そう? ま、いいけど」

 胸の鼓動が高鳴るのと、額にうっすらと汗が浮かぶのを感じている佐織の膝先を通って、あずさは学習机の椅子に腰掛けた。

 「おじゃましまーす♪」

 さきほどのやりとりを思い出したのか、ふいに唇のはしを上げて、目を細めた。

 「ね、聞こえてた?」 

 尋ねられて、あいまいに笑みを浮かべてうなずくと、あずさは上機嫌で続けた。

 「いやー、すごいわよね、おばあちゃんってば。いじけていた実佐ちゃんには悪いけれど、まだまだレベルが違うって感じ。ちょっと感動しちゃったわ」

 笑いながらいったん立ち上がり、背もたれの向きをきちんと後ろ側にして座りなおす。
 自然と、佐織と向かい合うのは、いつもと同じ位置関係だ。

 それでいて、今日はどこかが違う気がする、というか―。

 「そ、そうだね~」

 どこか浮ついた相槌をうって、ふと、思い返す。

 そういえば先ほど、あずさが持ってきたみかん。
 あれは確か、お昼前に届いたと言っていたっけ。
 そしたら、もしかして、あのみかん箱は――パンフレットと同じ車で運ばれてきたのだろうか。

 みかんとパンフレットがそっと寄り添って。

 その図を想像して、佐織はうつむいて笑いをかみ殺した。その風景、なんだかちょっとオモシロイ。

 「ふふふ…」

 予期せず漏れた笑い声に、あずさが、解せないといったようにこちらを見た。

 「何?」

 慌てて佐織が首を振る。

 「別に。ちょっと昨日のお笑い番組を思い出してただけ」

 「…昨日? ああ、あの面白くないって文句ばかり言ってた、あれ?」

 しまった、そうだった。
 アレで思い出し笑いするだなんて、ありえない。

 佐織は自分の“ごまかしスキル”のなさに、苛立ちを覚えた。

 『私のばか、ばか!』

 言葉には出さないけれど、心の中で地団駄を踏んで。

 ―というのも。
 普段は大人しそうに思われがちな佐織だが、こう見えて、お笑いは大好きでなおかつ、厳しいのだ。だからこないだの旅行だって、関西地方にしたわけで。

 つまり、いろいろとアンテナ張って、目も耳も通しているわけなのだ。

 そんな自分だから、見る目も肥えていて、昨日も、家のリビングであずさ相手にあれこれぼやいていたような気がする。

 「ちょっとー…。この質で、期待の新人って字幕はないわよねー」

 とか、

 「始めは良かったんだけど、あとがダルダルでダメねー」

 とか。

 とにかく、酷評ばかりしていたような気がする。

 『駄目じゃない、私!』

 動揺して顔が火照るのを感じながら、両手でパタパタあおいだ。

 「いやー、今日はちょっと暑いわねー。暖房が効きすぎてるのかな?」

 なんて、今更、苦し紛れの言い訳なんかしちゃったりして。

 その真意を察しかねたのか、まじめなあずさは、机の上のリモコンを手に取る。

 「23度だけど…。そんなに暑いかなぁ?」

 なんて首をひねりながら、リモコンの先を暖房へ向けて、何度かボタンを押した。

 しかし、暖房はうんともすんとも言わずに、風を送り続けていた。

 「ん? 電池切れかな?」

 首をひねりながら、あずさはリモコンをひっくり返す。ふたを開けて、電池を取り出そうとしたとき、その顔に笑顔があふれた。

       ~次回”ターニングポイント8”に続く~

 ↓三倉あずさのラフスケッチ(髪型・顔の輪郭等の変更前) 藤崎聖・画

三倉あずさラフスケッチ(髪型変更前
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