「やだ、懐かしい~!」
椅子に座ったまま、あずさが控えめに地団駄踏んでいる。
顔を赤らめ、ぎゅっとリモコンのふたを握りしめながら―。
それで佐織は、思わず腰を浮かせて身を乗り出した。
「え、なに、なに~?」
伸ばしかけた指を避けて、あずさは時折、ふたに目線を落としてはきゃあきゃあ言っている。
やがて―。
「な、なによぉ~…」
ぷうっと頬を膨らませた佐織を見て、彼女はようやくそれをこちらへ差し出してきた。
「貼ったの忘れてたわ、こんなの~」
なんて、照れ笑いしながら。
それで佐織は受け取りながら、その裏面に目を落とした。
「まったく、あずさってば………あ!」
瞬間、遅ればせながら、親友の気持ちを理解する。
…いや、同じになったという方が正しいかもしれない。
頬が熱くなるのを感じて、地団駄踏んで―あずさと同じ行動を取ってしまったのだから。
フタの裏側―。
つまり電池に面している部分にあったのは、1枚のプリクラだった。
「わぁ…」
右隅に書かれた日付は、今から5年前の春―。
それを裏付けるように、真新しい制服に身を包んだ2人がきりりと唇を結び、すましてポーズをとっていた。
祝入学、仲良し、etcetc…。
そんな言葉が縁取りのように彩る中で。
「懐かしい~」
ため息をつきながら、佐織は何故だか自分の気持ちが少しだけ落ちていくのを感じていた。
セピア色の世界にいるのは、間違いなく過去の自分で―。
そう。間違いなく、過去の自分なの…だけれど。
「…あはは…」
なんとも言えない違和感に、佐織はそっとあずさに返した。
「…。や、やっぱりちょっと古いね」
勘の鋭い親友に悟られないように、目線を落としながら。
それをどう思ったのか―。
あずさはうなづきながら電池のはめ込み具合をチェックしつつ、もう片方の手でフタを受け取った。
「うん。そうだね」
「ね」
佐織はあずさの指先を、作業を眺めたあとに、両手を後ろについて天井を仰ぎ見た。
「………」
まぶたを閉じると、たくさんの風景が浮かんできた。
幼い頃のこと。
物心ついてからのこと。
中学生になってからのこと。
たくさんの出来事が、時間もバラバラに浮かんでは消えて、また浮かんでくる。
そして最後に出てきたのは、あのプリクラ―中学生の2人だった。
あれから、もうすぐ6年―。
次に来る春、2人は何をしているのだろう――?
「………ふぅ」
作業に夢中のあずさに気付かれないように、そっと息を吐く。
忘れていた寂しさが、焦りが噴き出し始めていた。
『なんてタイミング…』
楽しい思い出について、話し合っていたはずなのに。どうしてこうなっちゃうんだろう。
目頭が熱くなるのを必死に否定しながら、佐織はにっこり微笑んだ。
泣いちゃダメ。
悲しくなんかないんだ。
永久のお別れではないんだから。
『そう、泣いちゃダメなんだ―――』
堪え切れなくなりそうな気持ちを懸命に抑え、そらそうとしていたとき。
「ふう…」
苦笑いともとれる息を吐いて、あずさがぽつりとつぶやいた。
「何してんの、変な顔してさ」
「あ、いや、その……」
思わず、無理に笑みを浮かべて、前を向くと。
リモコンを机上に置いたあずさは、おだやかな顔をしてこちらを見つめ返していた。
「ね、佐織」
「ん?」
「思えば私達ってさ。本当に長い付き合いだよね…」
はかったようなタイミングに、佐織は目を白黒させる。
あずさの目が、心なしか赤くなっているように思えた。
「あずさ…」
短い沈黙が流れていく。
その間、あずさは何を考えていたのだろう。
それまでの軽やかな表情も、雰囲気も微塵も感じられなくて…長いまつげを伏せて、うつむいて。
瞬間。
せき止めたはずの何かが決壊して、いろいろな思い出が押し寄せてきた。
数え切れない、18年の思い出が―。
物心がつく、うんと前から、2人は一緒だった。
それは佐織が生後3ヶ月のときに、生まれたばかりのあずさが一人ぼっちで退院してきたときから、ずっと。
2人はともに育てられ、ともに大きくなっていった。
それぞれのお母さんたちと同じ、仲良く過ごしながら。
そして今。
いつものようにここにいる。
―――と。
そこまで振り返って、佐織は考えた。
これから自分たちは、どうなるのだろう?
距離が遠く離れても、今までと同じような関係でいられるのだろうか―?
「………」
疑問が渦巻いて、あたたかい気持ちがいつしか温度を失っていく。
すると現実のあずさが髪をかきあげて、大きく笑った。
「…ん? 何よ。人のこと、じっと見て」
「あ」
知らず知らずのうちに、じーっと凝視していたらしい。はたから見れば、眉根を寄せてとても険しい…かなりアヤシイ表情で。
佐織は視線を惑わせながら、言いよどんだ。
「い、いや、その…」
何をやっているんだろう。
もう、どうかしているよ、私。
首をぶんぶん振って、暗い気持ちを追い出していると。
重い空気を振り切るように、あずさが切り出してきた。
「そういえば」
「え?」
引きずられるようにして、いつもの調子に返ると。
「えーとー…そのー…」
どうやら話しかけてはみたものの、つなげる話題までは考えていなかったらしい。あずさはしばらく目線を泳がせてから、手をぽんと叩いた。
「旅行。そうだ。旅行の写真、現像できた?」
調子をあわせるように、佐織も手を叩く。
「あ、ああ。うん、出来たよ」
「じゃあ、見せて♪」
「いいよ♪」
立ち上がって、机の隣にある本棚に手を伸ばす。
カメラ屋さんのロゴがプリントされた袋を、あずさに差し出した。
「昨日、買い物のついでに、お母さんが現像しに行ってくれたの」
「あー、ありがとー。わ、こんなに撮ったっけ?」
「えっと、100枚は軽く超えてたみたいだよ。お母さん、ぼやいてたし」
「『こんなに現像するなら、自分でカメラ屋さんに行かせてお小遣いから出させれば良かった』って?」
「そうそう。さすがはあずさ~♪」
2人、顔を見合わせて、ニヤリとする。
すぐに笑顔がはじけた。
「「あははははは」」
別段、おかしいことじゃないのに、すごく笑える。なんだか止まらない。
笑って…笑って…笑い転げて。
そして。
「あ」
たっぷり笑って、力が抜けたのだろうか。
あずさの指から、写真の束が床にすべり落ちてしまった。
「あ。やだ、私ってば~!」
人差し指で目のふちをぬぐって、しゃがむ。
佐織もつられて、膝をつくと。
コツン…
互いのおでこが、そっと重なった。
いや、重ねたのだ…佐織の感傷が伝染った彼女が―。
「えっと、その…こほん」
軽く咳ばらいして、あずさは続けた。
「今更こんなこと言うのもテレるんだけど…。私、佐織ちゃんと知り合えて良かったと思ってる」
「あずさ……」
真剣な声色に、言葉を失う。
目線を写真に落としたまま、あずさは続けた。
「私さ、こんな性格だし。人にはいつも壁作って、ニセモノの自分を演じて。だけどね、佐織ちゃんは……その、なんて言うのかな…」
途切れた声に重ねるように、佐織は強くうなづいた。
「うん、わかってる」
昔からあずさは、自分を語るのが苦手だった。
それはもともとの性質かもしれないし、お母さんが彼女を産んですぐに亡くなったという過去のためかしれない。
いや、もしかしたら、もっとほかに原因があったのかもしれないけれど。
それを含めての三倉あずさなので、根掘り葉掘り聞く必要はなかった。
だって自分たちは、かけがえのない親友同士だから。そうである理由なんて必要ないのだ。
「わ、何コレ~」
ふいにあずさの指が伸びて、一枚の写真をつまみあげる。
これは旅行最終日の移動前に撮った写真。ちょっとだけおどけた顔で、京都駅のクリスマスツリー前でVサインをしている2人が映っていた。
「わ、すごいピンボケー!」
肝心な顔がぼやけていて、なぜか斜め後ろのポスターにピントがあっている。
一体、何を撮りたかったんだか。“列車に乗ってカニを食べに行こう”という文字がやけにくっきりと見えた。
これじゃあ、なんだか…。
「オマケみたいね、私達」
ズバリ、あずさに言われて、佐織は目を見開いた。
「それ、私もそう思ってた」
「やっぱり?」
「うん」
答えながら、床に散らばった写真を集め始める。たまにおかしな一枚や、きれいな一枚などを見つけて、そのたびに話題にしながら。
中断したり、集めたり。
そしてすべてがもとの固まりに戻ったとき、あずさは長い長い深呼吸をした。まるで自分の中すべてを、落ち着かせるように。
こちらを見つめた彼女は、とても静かな目をしていた。
「佐織ちゃん。私ね、第一志望を京都の学校にする。京都に行くわ」
「京……」
言葉を失う。
心の中で、たくさんの気持ちや過去が風のように通り過ぎていく。
これは何だろう。
動揺?
困惑?
それとも喜び…いや、もしかしてそれ全部?
「京都……そっか、京都なんだ……」
意味もなく、繰り返しつぶやきながら落とした目線の先―引き出しの奥にある白いパンフレットが――。
何かを示しているような気がしていた。
次回、”ターニングポイント~9~”につづく