迷いの中で~4~

 そんなことが起こっているとは露知らず。

 腕にぶら下げた紙袋をガードしながら、器用に人ごみの中をすり抜けつつ――実佐は笑みをこぼした。

 「ふふふふふー…」

 頬はゆるみまくりで紅潮させて、唇はわずかに残った理性で一文字に結んで、なんとか笑うまい…ここは人通りの多い場所だから…って何度も何度も言い聞かせた上で――。

 けど、どうしても…どうしても抑えられなくて。
 それでついつい、笑ってしまったのだ。

 「ふふふふふー……」

 って。

 ――といっても、いつまでもニヤけながら歩き続けるのも…その、アレなので。

 「えっと」

 人の流れを避けて、比較的、静かなお店のショーウィンドウに身を寄せる。

 ズレ落ちたバッグを肩にもどすついでに、その外ポケットから携帯電話を抜き出し、二つ折りのそれを開いて。
 実佐は可愛らしい外国のキャラクターが微笑む待ち受け画面の隅に表示された、現在時刻を確認した。

 そろそろ、お昼過ぎ―。
 昼食ラッシュが過ぎるまで、あと少しといったところだろうか。

 「もうちょっと時間を潰すことにしますか…」

 予定を決め、まだ回っていなかったお店をピックアップしながら、携帯を折りたたむ。

 すると。

 「あ」

 携帯の下で揺れる、いくつものストラップたちの中で。

 女子高生らしく、流行りもの好きな実佐らしく、きらびやかで可愛いらしいキャラクターのものばかりの中で――なんだかミスマッチなそれを見つけて、実佐は懐かしむようにホッと息をついた。

 ゆるんだ付け根を何度も修繕したような、古い時計を象ったキーホルダー。それはかつて実佐が中学に入るときに、機械オンチの姉に半ば強引に携帯電話を持たせたとき。

 『お姉ちゃん、これだけちゃんとメールの仕方を教えたんだから。ちゃんと使ってよね。これ、約束のしるしだからね』

 と、お揃いでくくりつけたストラップだった。

 離れても、別々のところで暮らしても、私のこと忘れないでねって願いながらも、口に出せないままで。

 「ふぅ…」

 いったい何をやってるんだろう。
 こんなにぎやかな場所で、楽しみにしていたショッピングの時間に感傷に浸ったりして。

 気を取り直して、くるりと振り返ったショーウィンドウを見て、実佐は目を見開いた。

 「あ…」

 あまり流行りすたりのなさそうなセーターの上から、丈の短いダウンジャケットを纏い、下にはジーパンとスニーカー。

 今頃、家でのんびりしているはずのお姉ちゃんが、そこにいるみたい。もちろん、今、実佐の目の前で照明に照らされているのは間違いなくマネキン人形で、自分と血の繋がったあの人ではないのだけれど。

 そして実佐は、いつも思っていた。

 お姉ちゃんって、こういうのは似合わないのに――と。

 もちろん、物事をずけずけ言い放つタイプの実佐は、折に触れてはその格好について苦言を呈し続けてきた。

 「どうしていつもジーパンばっかりなの?」

 とか、

 「スカートを1枚も持ってないって、どういうこと?」

 とか、

 「お姉ちゃんには絶対、女の子らしいのが似合うのに」

 とか―。

 数え上げればキリがない。
 それくらいちょくちょく、携帯メールでのやり取りや、たまに帰省したときなど――何度も何度も提案し続けてきたのだ。

 たとえばつい最近、卒業旅行で京都に行くというとき、

 “京都の女子はスカート率が、とんでもなく高いらしいよ”

 なんてメールしたりして。
 
 まあ、昨日のジーンズと力の抜けたトレーナー姿を見たら、それも無駄だったみたいだけれど。

 それでも実佐は信じているから。

 お姉ちゃんはきっと、スカートが似合うはず。
 彼女に合う装いにしたら、もっともっと可愛くなれる。
 
 だけど、お姉ちゃんは。 
 今のお姉ちゃんは前に進む可能性に目を向けることなく、やる前から諦めている。
 
 それが悔しいし、勿体無い。
 そう思うから、ついつい言ってしまうのだ。しつこくて、余計なお世話なのは重々承知の上で。

 だけど、肝心の本人はというと。

 「だって私、背が低いから。ジーンズの方が足が長く見えるような気がするから…」

 いつも同じ言い訳をして、決まってこう続ける。

 「実佐はスタイルいいし、キレイだし。私が似合わないぶん、いっぱいいっぱい可愛くすればいいよ」

 …どうしてなんだろう、勿体無い。
 
 まあ確かに、自分はお姉ちゃんよりもすらりと背が高いし、顔のパーツも基本形は似ているけど、少し離れたり細くなったりと大人っぽくなっているし、………こう言っては何だけれど、胸もあるけれど。

 自分でも結構、イケてる方だと思うけれど。

 と、実佐はショーウィンドウのガラスに映る自分に、一瞬だけ見惚れる。

 「うん。今日の私も素敵だわ」

 あごを上げて、目を細めてみたりして。
 服装もスタイルもそれなりに気を使って、常に自分の可能性を探っているのだから、当然なのだけれど。

 心の中でうんと自画自賛する。
 これでもかっていうくらいに賛美する。
 それも美を保つ秘訣の1つだと思うから。

 「えへへ」

 ウィンドウを見つめながら、実佐の意識は少しだけ調子に乗り始めた。

 これだけイケてるんだから、可愛いんだから。
 女子高を出たらきっとモテモテの大学生活が待っているに違いない。
ムカデと戦うことも、一目で蛇の種類を見分けてしまう知識と動体視力を頼りにされる日々ともまったく無縁な日々が。

 自然は嫌いではないけれど、まだまだ若いもの。
 実佐はそろそろ町の風に当たってみたいと、願い始めていた。

 町での生活。
 オシャレなカフェに行ったり、デザートバイキングに行ったり、お洋服を見て回ったり、やりたいことがいっぱい出来る毎日。

 そして、ひょんなことで出会う運命の人。
 たとえばどこかの街角で、出会いがしらにぶつかったりして、それがキッカケで人生が大きく変化しちゃったりして。

 でもって最終的には、その人と―――。

 「なんちゃってなんちゃってなんちゃってー!!」

 ウィンドウのガラスに“の”の字を書きながら、照れ笑いをする。

 女子高育ちであんまり異性に免疫のないから、たまに少し夢見てしまうのだ。

 「こほん」

 閑話休題とばかりに指を止めて、実佐はマネキンを見上げた。ウィンドウの向こうで、照明に照らされているマネキンは――たぶん、服によって姿を変えるわけで。そうなると印象も雰囲気もガラリと変わるわけで。
 
 そしたら…そしたら…――。

 「お姉ちゃんも変われる、んだよね……」

 目のはしを人々が流れていく。
その喧騒の中で実佐はしばし、寂しさとも悲しさともつかない表情でウィンドウを見つめ続けていた。

       ~次回”迷いの中で~5~”につづく~

 ↓神崎佐織のラフスケッチ~決定分~

 

神崎佐織ラフスケッチ決定分その3
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