今日は少しプログラムから離れてクソゲーの話。
「クソゲー」という言葉があります。ゲームの紹介をする授業を担当したとき,反面教師として,というかネタとして,そんなゲームを買い集めた時期がありました。どんなゲームであろうと,ひとたび世の中に出るほどのゲームであるから,ゲームを作った人はきっと命を削る思いをして作り上げただろうに,クソとは何ごとか!と思わないでもないのですが,つい,興味の赴くまま買ってしまいました。
たいていの場合,クソゲーは操作性が悪いのです。見たとおりに動かない。区別すべき敵味方が良くわからず,自分がやられたかどうかすらわからない。基本的な部分でこのようなストレスがかかるとすぐにやる気がうせてしまいます。よいゲームはごく最初は戸惑っても,少しずつなれれてきてやりこむと指の動きがキャラクターと一致してるような,大げさに言えば自分の身体の延長になったかのような気にさせるものですが,そんな気すらさせないうちにあきらめてしまう。考えてみると,
簡単すぎでもなく難しすぎでもなく,
時々壁に当たり乗り越えるとさらなる達成感が待っている
というような要素の基本となるのはヒューマンインタフェースがよいことと思います。逆にココがダメだとルールがどうだとかグラフィックスがきれいかどうかとか言う以前に「クソゲー」になってしまうのでしょう。
私が京都コンピュータ学院に来たてのころに,アメリカの大学と単位互換な「対話型システム」という名前の授業(元はHuman Computer Interaction,直訳すると人間と計算機の相互作用)を担当したのですが,いろいろ勉強するうちに,ゲームはヒューマンインタフェースの最先端なのだと思いました。よいゲームとは何かを考えてみるとき,ヒューマンインタフェースの勉強は役に立つと思います。