トン…トン…トン…
降りたときとは、まるで真逆―。
そんなゆっくりした足取りで、階段を上がっていく。
できるだけ自然に、いつも通りに聞こえるように。それでもってなおかつ、早く自室に戻れるように…。
胸に抱いた封筒に、ぎゅっと力をこめて。
ソロソロ上がって、踊り場を経て、またソロソロ上がって。
そんなゆっくりした動作を経て、佐織は自室の扉の前に立ち、そして後ろ手にそれを閉める。
無意識のうちに、ため息がもれた。
「ふぅ~~、危なかった~~!」
ようやく自分だけのテリトリーに来て、ほっと力が抜けていくのを感じていた。
そりゃあ確かに資料を請求したときは、自分以外の人が受け取るかもしれないなーって思ったりしたけれど…まさかそれが本当になるだなんて。
久しぶりに血の気が引いたというか、心臓が飛び出しそうになったというか。とにかく、佐織はかなり焦っていた。
というのも、12月も残すところあと数日の今日―。
今のところ佐織を知る人すべてが確実に、彼女は系列の大学へ進学するものと思っている。
いや、佐織自身もそう思っている。
けれどあのときから、どうしても気になったというか、引っかかったというか…。自分の中に、そう簡単には解せなさそうな何かが浮かんできたから。
それを確かめたくなったのだ。
まあ、あのとき、呆然と立ち尽くしている佐織を見つけて、パーティ(?)の関係者らしき学生さんたちが話しかけてきてくれたから…、あのときそこにとどまれば、その“何か”が見えてきたかもしれないけれど。
けれど、そこから先へ進むことができなかったから。確かに何かを感じたのだけど、それが何かわからない以上、先に進むのが怖かったから。
だから思わず、頭だけ下げて帰ってきたのだ。
目的だった、星を渡すことも忘れて。
それで星は今、自分の机の上に置いてある。もうクリスマスは終わってしまったから、ここに飾ってあるのもおかしな話なんだけど。
「さて、と」
引き出しからハサミを取り出す。
封の隙間にそっと差し込むと、中には思いのほか、いろいろなものが入っていて、傷つけないように切るのに少しだけ時間がかかった。
パチン…
端まで切って、中を開く。
少し厚めの冊子が2冊に、薄いのが1冊。それからプリントのようなものが何枚かと、ハガキが1枚。
「わぁ」
あまりにたくさんあったものだから、ひとつずつベッドに並べてみた。
「へえ~。結構、あるじゃない」
つぶやいて、一番分厚い冊子を手に取る。
真っ白い表紙が、あの建物を思い出させた。
「さーて、何が書いてあるのかな?」
一文字一文字、きちんと目を通していく。根っからの文系だからIT用語なんて、あんまり知らない。というか、実は苦手意識の方が強い。
でも、あの日、あの人とあの学校に初めて出会って。それで気になってしまったから。
そのモヤモヤした気持ちをクリアーにしたい。
その一心で、机のそばにあるノートパソコンの電源を入れる。
ごくたまにネットサーフィンするくらいにしか使ってないから、検索サイトにたどり着くにもそれなりに時間はかかったけれど、それも楽しい。
そうやって1つずつ1つずつ、わからないことがわかっていくのが心地よかった。
その動作を繰り返しながら、どんどん読み進め、そして―。
ベッドに広げたすべてをサイドボードに積み上げた頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。
封を開いたのはお昼過ぎだったのに。
椅子から立ち上がりながら、佐織は頭をかいた。
「これでちょっとは、IT専門家に近づけたかな?」
ちょっとテレて、窓を開ける。暖房で火照った体に冷たい風が心地よい。そのゆるやかな外気に身をまかせながら、佐織はつぶやいた。
「どうしよう・・・」
目前に広がる、18年間暮らした景色。
これまでもこれからも変わらずそばにあり続ける、そう思って疑わなかった景色が、今、そこにあった。
ふと、佐織の顔から笑みが消えた。
「…。どうするんだろう、私…?」
見慣れた町並み、道、家々―。
ずっと遠くには、今通っている学校もある。これまで通った中学校も、小学校も、幼稚園も。みんなこの町の中にある。そしてこれから通おうとしている大学も。
だけど―。
佐織はため息をついた。
あの学校は…ここには、ない。
電車を何度も乗り継いだ、遠く離れた町にあるのだ―。
今日の午後からずっと資料を読み続けて、そこがどういう学校なのかということはわかった。KCGというのが、京都コンピュータ学院の略称ということから、学科のこと、キャンパスライフのこと、その他いろいろなこと ―それから…。
そのKCGが、なぜだか、どんどん気になる存在になってきているということも。
『けれど…』
佐織はうつむく。
自分には未来があった。
誰もが信じて疑わない、自分の未来が。文字通り、目の前に広がっていた。
それを投げ打って、まったく予想もしてなかった未来へ…進めるのだろうか?
パソコンのパの字も知らない自分が?
つい最近まで、電源の入れ方も切り方も間違えていた自分が?
それが遠く離れたITの学校へ行く?
「うぅーん…どうしよう………」
ダメだ、想像もつかない。
心のモヤモヤがふくらんで、なんだか押し潰されてしまいそうだ。
でも自分には、時間がない。
年が明けて新学期になったら、内部進学の締め切りが来る。進路を変えるなら、…未来を変えるなら、それまでに担任の先生に頼んで、休み前にしておいた申し込みを取り消さなければならない。
「どうしよう…」
目を閉じる。
旅行から帰って、3日。
迷いの中で何かが、大きく変わり始めていた。
次回”ターニングポイント~3~”に続く
イラスト・藤崎聖