ターニングポイント~6~

 踊り場でくの字に折れた階段の下では、3人が依然として立ったまま会話を繰り広げている。
 それを見下ろしながら、首をかしげる佐織を残して。

 「あずさ、何でシチューだってわかったんだろ?」

 すると、まるでその独り言が聞こえていたかのようなタイミングで。

 「はい、おばさん」

 あずさが曖昧な笑みを浮かべつつ、手首にぶら下げていた買い物袋を差し出す。その態度を一瞬だけ訝しがった後、お母さんは口元をおさえた。

 「あら、これ…」

 「これ、車庫の前に置きっぱなしにしてあったよ」

 受け取りながら、お母さんは口元の手を頬へと移動させる。

 「やだわ。さっき車から降ろして、そのまま忘れていたのね」

 そういえば―と、階段の手すりに頬杖ついて佐織は思い出す。

 『お母さん、さっきまで外にいたんだっけ。お友達に会って買いものに行くとかで』

 そう、あれは確かお昼過ぎだったろうか。佐織が資料を読み漁っているとき、玄関から声をかけてきたっけ。

 「帰りに夕飯の材料、買ってくるから。あ、今日もドーナツいるー?」

 とか、なんとか。
 それで佐織は、大げさに顔を引きつらせつつ返事したのだった。

 「もういいよぉ~…。これ以上食べたら、ドーナツになっちゃう~!」

 ここ何週間か、ずっとドーナツ屋さんに通っていたから。
 数週間前の学校帰りに、ちょっと足を伸ばして通りかかったお店で、景品として店頭に出たスケジュール帳に一目惚れしてしまって。

 その日からドーナツを食べて、食べて、食べつくして。
 そうやってついには家族まで巻き込んで、ポイントを集めていたのだ。

 そして無事、お目当ての黄色いそれを手にして…気分はまさに感無量。

 『このぶんだと来年はいい年になりそう♪』

 そう思いながら、大事に大事に抱きかかえてお店を後にしたのだった。

 って……あれ―?

 「ん、今何の話してたんだっけ?」

 どうやら何分か脱線していたみたい。
 
 またやっちゃった・・・。
 話を聞くために、こんなにコソコソしているのに―と、佐織は頭をぽりぽりかいた。 

 そして当然のごとく、階下の話題は進んでいた。

 「ちょっと失礼~」

 お母さんの照れ笑いがひと段落したところで、実佐がお母さんの手にある買い物袋を拝借して、中身をチェックしていた。

 直後―。

 「やっぱりね」

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべて、買い物袋を返却した。

 「やっぱり…ないね、ジャガイモ♪」

その言葉を耳にして、佐織はある感想を抱いた。

 『し…しつこい…』

 もう終わった話だったと思っていたのに。どうやらまだ、あきらめていなかったらしい。

 そんな妹の頭のてっぺんに、“買物”の2文字が浮かんでいるように見えた。

 「そうねぇ~…」

 お母さんが困ったようにちらりと、靴箱の上に飾られた時計を見る。

 実佐のカバンはいつの間にか玄関の上がりかまちの隅に、本人の指先はドアノブにかけられていた。
 そのまま体をひねるようにして、上目づかいに輝く瞳を向けてくる。

 「ねーぇ?」

 瞬間。
 佐織は息をのんだ。

 「うわ、久しぶりに来たよ…………!」

 昔から実佐は、甘えん坊で―…おねだり上手だった。
 それもそんじょそこらの女子にはかなわないほどのレベルの―。

 「いこーよぉー、おかーさぁん♪」

 さすがは、実佐。
 町から離れようとも、全寮制の学校へ入れられようとも、ちっとも衰えてなんかいない。

 辺りの雰囲気を変え、自分に注目させ、そして望みを叶えさせる”おねだりスマイル”のパワーは―。

 あーあー……。
 もう、ダメだ。お母さん、ほほがゆるんでいるし。あずさはかろうじて理性を保っているようだけれど、あいかわらず存在感消しているし。

 まあ、“人のイベントは蜜の味”な彼女が、騒動(?)の矢面に立ってくれるとも思えないけれど。

 現に今も。

 「あらら~…」

 なんて、優等生スマイル浮かべてるし。
 そんな親友に佐織は、

 「楽しまないでよ、もう。お夕飯が遅くなるでしょっ?」

 と、注意したいけれど、階段の上と下では聞こえるはずもないし。いまさら、降りていくのもちょっと気まずいというか・・・。

 久しぶりに会う娘の必殺技に、あっけなくやられてしまったお母さんはほうっとため息をついた。

 「もう、仕方ないわねぇ…。30分だけよ? それを越えたら、絶対に帰ってくるわよ?」

 30分?
 あの実佐を連れて?
 ショッピングセンターに行って、帰ってくる?

 そんなの無理無理! 絶対ありえない!

 だけど。
 佐織はうつむいた。

 「ジャガイモ・・・・・・欲しいよね・・・」

 とろけるようなあまーいシチューに、ほくほくのジャガイモがあるのとないのとでは大きな違いがあるわけで。

 お母さんが作ってくれるシチューと聞いたときから、体はもうジャガイモを食べるスタンバイを完了しているわけで。

 「ん~~………どうしよぉ~~……」

 特に意見を求められたわけではないけれど、佐織はひとり、頭をかかえた。

 ここは姉として、妹に注意すべきなのだろうか。
 きっちり、しっかり、たっぷりした尊厳を持って。

 階段を下りながら、

 『実佐、あなたはジャガイモを買いに行ってはいけないのよ』

 なんて、歌劇団ばりの発声で雄々しく、美しく降りていった方が―・・・。

 「……って、何、そのリアリティのないセリフは~~!?」

 考えて考えて結局何も出来なくて。

 「うぅ~・・・・・・」 

 佐織は壁にもたれて、ずるずるとしゃがみこんだ。
 尊厳あるセリフなんて、1個も思いつかない。これでもお姉さんなのだ。 

 久しぶりに会った妹に、そこんとこビシッと言ってやりたい。

 でも、だけど―。

 と、悩みに悩んでいたところへ再び玄関の扉が開いて、また1人、家族が帰ってきた。

 「ただいま戻りましたよ」

 ゆったりした優しげな声は…間違いない、おばあちゃんだ。
 孫の自分が言うのも何だけど、とても優しくてそれでいて厳しい、素敵なおばあちゃんだ。佐織が将来、こんな人になりたいなーって思うくらいに。

 「あら、実佐ちゃん。おかえり」

 シワだらけの顔をさらにくしゃくしゃにして、おばあちゃんが微笑む。

 こちらは名づけて“癒しのスマイル”―。
 年を重ねて得た深みと、慈愛のパワーを持っている。

 その中でたっぷりの愛情を向けられて、実佐は必殺技の最中なのを忘れていつも通りの弾けんばかりの笑顔を浮かべた。

 「ただいま、おばあちゃん♪」

 「あっちは寒くなかったかい?」

 「大丈夫。施設はお金がかかっているみたいだから、山奥の割には底冷えもないし」

 「そう。それは良かったねえ」

 「うん♪」

 のんびりしたやりとりに、辺りがおだやかな空気でいっぱいに……なったところで。

 「あ、そうそう」

 おばあちゃんは何か、ガサガサとビニールの買い物袋のようなものをお母さんに差し出した。

 「はい、佐和子さん」

 「ま、お義母さん、これは…?」

 ガサガサと広げて、お母さんは思わず、あっと声を上げる。おばあちゃんがにこにこと付け加えた。

 「お友達のヨネさんちの畑で取れたらしくてね。おすそ分けしてもらったんだよ」

 「・・・・・・」

 実佐の沈黙が、何かを予感がさせる…。

 どうやら佐織の出番はなさそうだ。ゆっくりとその場から離れて、静かに自室に戻る。

 そっと閉めたドアの向こうから、お母さんの言葉が響いてきた。

 「美味しそうなジャガイモ。さっそく今日の夕飯に使わせてもらいますね」

 こうして、実佐の小さな野望は砕けて散ったのだった。

       次回”ターニングポイント7”に続く

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ターニングポイント~5~

 「たっだいま~♪」

 懐かしい声が、耳に届く。
 思い出しかけたことに蓋をして、佐織はつぶやいた。

 「…あ、実佐だ」

 口にして、それがずいぶん久しぶりなことに気がつく。
 別にケンカをしているわけでも、気まずい仲なわけでも何でもないのに。

 なんだか変な気分―。

 佐織はふと指を折って、数えてみた。

 「私が中学2年…3年…1年…2年……3年…。5年かぁ…」

 実佐が家を出て、約5年。
 佐織は自分が、彼女を抜いた家族4人の暮らしに、すっかり慣れてしまっていることに少しばかりショックを受けた。確かに最初は、さびしいと思う気持ちがあったはずなのに。今はそれすら忘れてしまった、というか―。

 「なんだかちょっと・・・・ひどくない・・・私?」

 妹なのに――。

 ベッドの上でゴロゴロしながら、白い壁に“みさ”と書きながら、かけがえのない妹のことを思い出していた。

 神崎実佐、17歳―。
 彼女は佐織と同じフワフワの毛質で、背中まで届く長い髪を結わえたポニーテールがトレードマークの高校2年生だ。まあ正確には、今、通っている学校では規則上、5年生という扱いになっているらしいけれど、それはおいといて。

 彼女はどちらかといえば保守的な姉とは違って、流行やファッション、それからお菓子大好きのいわゆる“ミーハー”で。付け加えるならば、貯金という言葉を知らない。

 …と、この時点で、姉である自分とはあまり共通の話題がないように思えるわけだけれど、さらに性格も違っていて。

 基本的に甘えん坊で、なおかつ、おねだり上手。
 
 それらの特性を生かして昔から自分の望みを叶えるために、しょっちゅう両親や祖父母の家を回って、お小遣いをおねだりし続けていた。

 そしてしまいには、親戚巡りなんかも始めちゃって。
 そうやって、お金の遣い方をどんどんエスカレートさせていったので、お父さんもお母さんもものすごく焦って、考えたのだ。

 「このままじゃ、とんでもない大人になってしまう…」

 って。

 それでああでもない、こうでもないと策を練り上げた末―。
 2人は、彼女を県境にある全寮制の中高一貫教育校に入れることにしたのだ。

 「制服がすごく可愛いのよ~。ほら、このパンフレット見て♪」

 とか、

 「校舎も改築したばかりでキレイよね~。いいなぁ、カッコイイわ~」

 なんて殺し文句並べて、実佐の気持ちをどんどんヒートアップさせて。

 そうやって頑張って勉強した甲斐あって、彼女はめでたく合格した…のだけれど。

 「う、うそ…」

 入学式のその日、実佐は愕然とした。

 可愛い制服に袖を通した彼女を迎えたのは、確かに真新しくて洗練されたデザインの校舎で。いかにも、実佐の好きそうなドラマに出てきそう…だったんだけれど、周辺は、ひたすら豊かな自然ばかり。

 コンビニ、ショッピングセンター、雑貨屋さんなどなど…。

 実佐の大好きなものはどれも、バスと電車をいくつも乗り継がなければたどり着けない場所へと遠ざかってしまっていた。

 入学してから初めての休みに、実佐が戻ったとき。

 「”深窓の令嬢”みたいじゃない。きっと将来、モテモテになるわよ」

 なんて、お母さんが慰めていたのが忘れられない。目にいっぱい涙をためていた実佐の、ものすごーーく凹んだ姿も。

 「それをいうなら、”深緑の令嬢”でしょ。まわりに家一軒ないのよ。本当に何もない。まるで巌流島よ!」

 あわれ、妹よ…。
 というか、巌流島なんて言葉を知っていたんだね。宮本武蔵と小次郎が対決したあの島の名前を。いつも流行とファッションの話ばかり話題にしているから、そんな名前知らないかと思ってたよ、お姉さんは。

 なんて、もらい泣きしたのも今や懐かしい話で。

 5年目になると要領もよくなってきたのか、最近は図書委員会に入るなどして委員会活動に勤しんでいるらしい。もちろん、人様のために便利な施設を…なんていう大層な考えは微塵もない。

 冬休みだったか、帰省してきたときに言っていたっけ。

 「私が好きな雑誌を図書館に置いてもらったの。でね、貸し出し記録を見て、同じ趣味の子たちと友達になって、サークル作って情報交換してるんだ♪」

 今の環境で出来る楽しみをしっかり見つけ出して、実佐は日々を謳歌している。
 まったくちゃっかりしているというか、なんというか…。

 そんな妹が、冬休みを迎えて家に戻ってきたらしい。

 「あずさお姉ちゃん、久しぶり♪」

 はずんだ声が、数ヶ月ぶりに玄関に響く。
 7箱目の段ボール箱がもたらした重苦しい空気が、一気になごやかなものへと変化した。

 「あら、早かったわねー。お母さん、駅前まで迎えに行って、一緒にお買い物しようかと思ったのに」

 “お買いもの”の言葉に、実佐が小さく歓声を上げ、そのまま即答した。

 「いいよ。行こう」

 カバンを持ったまま、玄関のドアノブに手をかける。もう、今すぐにでもドアを開け放して飛び出して行ってしまいそうだ。

 そのあまりのわかりやすい態度に、お母さんが苦笑いする。

 「言っておくけど、駅前のスーパーしか行かないわよ? ジャガイモ欲しいだけだから」

 すると実佐は露骨にテンションと、ついでにカバンも一緒に床に落としてしまった。

 「えーーー…。ショッピングセンターにしようよー」

 ちなみに駅前のスーパーより、ショッピングセンターは1キロほど遠い。お母さんはきっと車で行くのだろうから、どちらにするかは…まあ、微妙なところだけれど、今回のケースなら、どう考えても前者に決まりだろう。

 なぜって、同伴者が実佐だから。

 久しぶりに町へと戻った彼女がショッピングセンターなんか行ったら、もう大変。自動ドアの向こうに足を踏み入れた瞬間から、ジャガイモのことなんて忘却の彼方にいってしまうこと間違いなし。

 閉店間際まで何時間もうろつくはめになることは目に見えている。

 心の奥底で我慢していた何かを覚醒させて、大喜びで歩き回って―。

 「わーっ。これ、超可愛いーー♪」

 とか、

 「やだ。あれ、カッコよすぎー! 着てみるー♪」

 とかいう具合に、あちこちひたすらウロウロウロウロ。

 そして―。
 そう思ったのは、どうやら、いつの間にかドアに耳をつけて様子をうかがっていた佐織だけではなかったようで。

 「駄目よ。早く買って帰って、夕飯を作らないと。今日はお父さん、実佐に会うために早く帰ってくるって言ってたし。おばあちゃんだって、もうすぐ戻ってこられるはずよ。…あ、あずさちゃんも食べていけるわよね?」

 話をふられて、あずさが答える。

 「ええ。おばさんのシチューって美味しいもの」

 優等生モードで、この場にふさわしい回答をするあずさ。どうやら無難なことを言って、この場から存在感を消す作戦に出たようだ。
 
 …もちろん、お母さんは赤ちゃんの頃からあずさを見てきたわけだから、それも見抜いているはずで。

 「ありがとう。そう言って貰えると、作りがいがあるわ」

 妨害されないと確認して、余裕たっぷりに笑っている。

 それを聞いて、佐織は小さく手を打った。

 「やった。今日はシチューかぁ♪」

 お母さんのレシピはかつて、あずさのお母さんが作ったというとっておきのものだ。ちなみに、すごーくまろやかで程よい甘さで・・・何よりすっごく美味しい。

 それを思い出して気分が上がったついでに、佐織はなんだか様子が気になって、ついにドアをゆっくりと開けて、手すり越しにこっそりと下を見、首を傾げた。
 
 『あれ…、そういえば。お母さん、今日の献立がシチューだって言ってたっけ?』

 踊り場でくの字に折れた階段の下では、3人が依然として立ったまま会話を繰り広げていた。

       次回、”ターニングポイント~6~”に続く

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ターニングポイント~4~

 その日の夕ご飯前―。

 「こんにちは、おばさん♪」

 「あら、あずさちゃん。いらっしゃい」

 階下で、2人の話し声が聞こえてくる。
 耳になじんだはずの声が、一瞬、誰だかよくわからなかったのは、たぶん、意識がハッキリしなかったせい。

 現実なのか、それともまだ夢の中なのか―?
 どこか虚ろな気分のまま、佐織は寝返りをうった。

 「ふわぁ~、あずさが来はのね~」

 自然と出たあくびに包まれて、奇妙なつぶやきを漏らしてしまう。
 あぁ、ほんのちょっと休憩するつもりだったのに、なんだかウトウトしてしまったみたい。

 ころんと寝返りを打った視界に机上の携帯電話が飛び込み、ふと佐織は先ほどのメールに、まだ返事を送っていないことを思い出した。

 “今…なにしてる?”

 という、短い内容に対する返事を。
 
 まあ正確には、一度メールを打ちかけたんだけれどね。そこでいろいろなことに気がついて、あわてて取りやめて。それでそのままになっていたのだ。

 ――と。

 そこまで振り返って、佐織は一瞬、今すぐにでも起き上がってメールしようかと身構えた。

 …のだけれど…。

 それだとちょっと変。…というか、慌てて返事をしたのがまるわかりだ。今、すぐそこに迫っているから、とりあえず返事だけしましたよって―。

 さて、どうしよう――?

 再び横になって、ころころと寝返りを打って。

 「うん」
 
 佐織は一人、小さくうなづいて結論を出した。

 「とりあえず、放置」

 さっくりと声に出して言いきったら、意外とスッキリしてしまった。これで一件落着、みたいな―。
 
 そんなふうに納得してしまったので、佐織はもう少しごろごろすることにした。別に心配することはない。メールの返信が遅れたからって、気まずくなる間柄でもないし。

 玄関から2階が吹き抜けになっているからだろうか。聞くともなしに、階下のやりとりが耳に入ってきた。

 「兄がみかんを送ってきたので、おすそ分けに来ました」

 ドサッと何かを置くような重い音がして、段ボールのこすれる音がする。お母さんのちょっと控えめな歓声が続いた。

 「あら、みかん。今度は敬一郎さんかしら? 確か今回はまだ、送ってきていなかったわよね?」

 だんだん声のトーンが下がっていくのは、正直言って、あまり嬉しくないから。

 どうやらあずさは、みかんを箱ごと持ってきたようだった。

KCGウェブ小説ログイン(三倉あずさと佐織母)

 「うへぇ~~…本当に?」

 ガックリと枕に顔を埋めたのは、2階の自室にいる佐織。やっと終わったと思った日々が、また戻ってくると思ったら…愕然としない方がおかしいだろう。

 それはお母さんも同じらしく。

 「あらあら・・・」

 困惑以外の何物でもない言葉を発している。
 すると、持ち込んだあずさ自身も、その反応は予想済みだったらしく、パチンと手を合わせて懇願した。

 「ごめんなさい、おばさん。これで全員だから…。協力して、ねっ?」

 「もお…」

 沈黙と一緒に、微妙な空気が流れていく。

 …というのも、先日。
 つまり、2人が旅行に出ていた間のこと。
 家人のいない三倉家の代わりに、お隣の神崎家には特大サイズのダンボール箱が次々に届けられていたのだ。

 その数、なんと6箱。

 差出人はすべて、あずさのお兄さんたちだった。ちなみに彼らは全員で7人いるから、あずさが家を留守にした間に、そのほぼ全員がこぞって送ってきてくれたことになる。

 その理由は――あずさが推測するに、こういうことらしい。

 「旅行前の電話でね。『風邪が流行ってるから気をつけて』って言われたの。それで私、『大丈夫。風邪予防にみかんを食べているから』って答えたの。柑橘系、好きだし。で、たぶん、こうなったんじゃないかなーと…」

 旅行から戻った当日のこと。
 出迎えてくれた段ボールの山に圧倒されつつ、苦笑いするあずさの解説を拝聴して、佐織は納得したのだった。

 「また、このパターン…ですか………」

 …と、カバンを取り落としながら。

 まあ、別に珍しい話ではないんだけれどね。

 というか、日頃から、こういうことはよくあった。

 『元気にしているか?』

 『何か欲しいものはないか?』

 『どこか行きたいところはないか?』

 などなど…。数え上げればキリがない。
 ほとんど家にいないお父さんと暮らす妹のために、お兄さんたちは常に妹を気遣い、その望みを叶えようとしてきた。

 …なんて、それだけ言うなら、よくある美談で終わってしまうかもしれないけれど、三倉家の場合はちょっとレアなケースで。
 
 お兄さんは7人。 
 だから、贈り物も7つ届けられるのだ。

 そういうわけでこうして、贈り物がかぶってしまうことも少なくない。…というか、かなり多い。
 まあ、完全なるご厚意なわけだから、贈られるあずさはいつもニコニコと受け止めているけれど…余波を受けることになる身としては、ちょっとくらいやんわりと断ってくれたらなーと思わないわけでもない。

 実際、言えないけれど。

 誰も言わないのなら、何かが勝手に変わるということはあり得ない。

 そういうわけで、時代は流れ続けて…それが今回は、みかんだったと―。そういうわけなのだ。

 「ふう…」

 ごく近い未来を想像しつつ、げんなりしながらもあずさの解説を聞いたあと。佐織は落ちたカバンを玄関の上がりかまちに移動させて、2人並んで靴を脱いだ。

 「いつもと同じだね」

 「そう。同じよね…」

 言葉とは裏腹に淀んだ瞳のままで―。

 『あぁ、どうするのよ…みかんって、熟すの早いのに!』

 なんて抗議したい気持ちを抑えて、顔を上げ、段ボールのふたをあけて中身をのぞきこむ。
 無意識のうちに声が漏れた。

 「あぁーーー…、ちゃんといっぱい入ってるぅー……」

 というわけで、今回も、戦いが始まった。

 佐織が旅行の荷物を片付け、いったん家に戻ったあずさも共にすることになった夕食の前―。
 
 ダイニングテーブルで、お母さんが電卓で計算したノルマは、1人15個だった。もちろん、トータルではなく1日の量である、念のため。

 「多っ!!」

 思わず悲鳴を上げた佐織に、お母さんが壁にかけられたホワイトボードを指し示す。
 
 普段は買い物リストとか、ちょっとした用事が書いてあるのがすっかりキレイにされて、代わりにはぎっしりとご近所さんの名前と、渡す数が記されていた。

 「さすが…。おばさん、仕事が早い…」

 目を丸くしているあずさに、お母さんが腕まくりして微笑む。

 「ありがとう。こういうときのために、ちゃんとリストを作っているからね。お裾分けする人とその個数の比率と。計算が出来上がってるから、すぐに数が出せるのよ」

 「さっすがー!」

 「うふふ♪」

 すっかりその気になっているお母さんに、佐織は挙手した。

 「先生、質問」

 「はい、神崎さん。どうぞ」

 「…って、お母さんも神崎さんじゃない。ま、いいや。ねえ、この計算が完璧なのはわかってるけど…その…やっぱり、1日15個って多くない…?」

 「多くないわよ」

 ズバッと切り捨てるお母さんに、佐織はなおも食い下がる。

 「せめて10個にしない? いや、出来たら5個とか……もっと出来たら1個とか…。その、ねぇ…?」

 上目遣いで手を組み合わせて、祈るように見上げる。なぜって、佐織は柑橘系が苦手だから。
 まあ、食べれないことはないんだけどね。好んで口に入れるほどでもない。幼稚園児だった頃、冬のとっても寒い日にお風呂に浮かんでいた柚子をかじって以来、ちょっと苦手になってしまったのだ。

 そしてそれは、ここにいる2人も知っている………はずなのに。

 「15個にしましょう。あずさちゃん?」

 「そうしましょ、おばさん」

 「え、え、え?!」

 動揺する佐織を置いてけぼりにして、ホワイトボードの隅に書き込んでいく。

“家族は1日15個ずつ、食べること”

 「ひどいーーー…」

 涙目になる佐織をよそに、食後、みかんはきっちり15個、それぞれの前に配られたのだった。

 それから数日後の今日―。
 ようやく食べきり、配りきり、なんとかみかんバトルから生還した神崎家に、またもや新たな箱がもたらされた、と。

 つまり、そういうことなのだ。

 「あははははー・・・。ね、お願い。おばさん♪」

 あずさの苦笑いが、階下の空気をさらに微妙なものにする。

 その足元にはおそらく、段ボール箱があるはずだ。みかんがいっぱい入った7箱目の。
 
 「えーっと・・・」

 お母さんが半ば、うなるようにしてつぶやいている。
 そりゃあ、いくら柑橘系が好きだからって、正直うんざりするだろう。いや、うんざりを越えて、もはやしんどいと言ってもいいかもしれない。

 でも、あずさの家には、ほかに食べる人がいないから。お父さんは仕事で留守がちだし、お兄さんたちは独立してそれぞれの場所に住んでいるし、それにお母さんは―。

 「…あ」

 ベッドから体を起こして、壁にかかったカレンダーを確認する。
 一昨日はあずさの誕生日。そして明日は…確か―。

 「おばさんの…」

 思い出しかけたことを、階下の物音が吹き飛ばす。
 玄関のドアが開いて、数ヶ月ぶりにあの子の声が響いたのだった。

 「たっだいま~♪」

       次回、”ターニングポイント~5~”に続く

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ターニングポイント~3~

 ぶるぶるぶる……

 「ひゃっ!」

 奇妙な物音に現実へと舞い戻る。

 机の上―。
 広げられた本の下から、一定のリズムを刻み終えた携帯電話がちょこんと顔を出していた。

 「あ…。なんだ…」

 ほっと胸をなでおろして本を閉じる。
 折りたたまれた携帯の小さなディスプレイに“Eメール受信”の文字を確認して、ささっと開く。

 差出人は、あずさだった。

 “今…”

 というシンプルなタイトルのあとに続く本文は。

 “なにしてる?”

 と、これまたシンプルな内容。

 それに応じて、こちらも返事を打っていく。

 “RE:今…”

 とのタイトルで、状況を文字に起こしていく。

 “今はね…。頼んでいた資料が届いて、今、見てるところ。ほら、旅行で寄った学校があったでしょ。そこにね資料を”

 と、そこまで親指で打ち込んだところで。
 佐織ははたとその動きを止めた。

 「え?」

 ちょっと待って、私。
 心の中で自分に呼びかけてみる。

 「もしかして今……私、妄想特急ってなかった……?」

 携帯電話をパタンと閉じ、両手を頬に当てて凍りつく。

 ちょっと待ってよ、私。
 いったいどこへ進もうとしているの???

 愕然とする脳裏で、この数日の出来事が蘇った。

 「えっと……整理しよう…」

 椅子に腰かけて、携帯を机上に置き、佐織はあごに指をかける。
 携帯の下で古いストラップが光ったのを見つめながら、佐織は記憶をたどり始めた。

 資料を請求したのは………、そう。旅行から戻った翌朝だった。

 旅行で訪れた京都で、ひょんなことである人に会って。その人は推定20代前半で、黒のふちがついた眼鏡に、肌はちょっと白めで、でも体型はほっそりしているわけではなくて、ちゃんと筋肉ついてますって感じで。結構、頼りがいのありそうな人だった。

 「えへへー……」

 顔を赤くして、再び両手でほほを包み込む。

 ………って…あれ?

 「あぅ…」

 考え始めて数分もたたないうちに脱線したのに気がついて、ガックリとうなだれる。

 でも、ここで自己嫌悪に陥っていても仕方がないので…先に進む。

 えっと、…そうそう。
 その彼との出会いがキッカケで、佐織は観光地とはかけ離れたところへ行くことになった。

 その名は京都コンピュータ学院。
 略してKCG。京都、コンピュータ、学院だからKCG。
 …って、それ自体は、資料請求をする段階になって初めて知ったのだけれど。

 その時、つまりひょんなことで校舎の入り口に立った時は、そんな知識はまったくなく。

 とりあえず、人々が楽しそうに何かのイベントの準備をしていて、サンタさんの格好をした人がそこにいて、それで思ったのだ。

 『楽しそうだなー』

 って。

 「ん……?」

 そこまで振り返ってみて、佐織は首を振った。

 ううん、それだけじゃない。
 ふと、気になったのだ。何ていうか……気持ちの中にドキドキするような…それでいてちょっぴり緊張するような“何か”が生まれたというか。

 そう。
 それが何かを確かめたくなったのだ。
 飾り付け前の寂しげなツリーに重なったはずのものも―。

 …とは言っても。

 京都にある専修学校と、内部進学でN大学へ行く自分とは、どう考えても道筋が交わるはずもないけれど。そんな学校に、資料請求するのはいろいろな意味でちょっと後ろめたかったけれど。

 確かめたいからこそ、申し込んだのだ。

 それが2日前のことだった。

 なのに、それがいきなり、“あの学校はここには、ない。電車を何度も乗り継いだ、遠く離れた町にあるのだ―。”ですって?

 「なにをぶっ飛んだことを考えてるのよ~~~」

 へなへなと膝から崩れ落ちて、向きを変えてベッドに突っ伏す。柔らかい感触と、太陽の匂いがふんわりと顔を包み込んだ。

 自分はN大学に行くのだ。
 だって、系列の女子高にいるし、地元が好きだし。この街も人々も家族も、みんなみんな大好きだし。
 離れる理由なんてない。

 …のだけれど。

 「あ」

 一瞬、心に浮かんだあの景色に、佐織が眼を見開いた。

 クリスマスツリーに飾り付けをするあの人と、その周辺にいる人々の笑顔―。
 本当に楽しそうで……そしてあの寂しげなツリー―。

 「まいったな…」

 つぶやいて、佐織は顔を横にした。
 自室のドアを見つめながら、しばらく頭を空にして。

 「よいしょっと…」

 女の子らしからぬかけ声とともに起き上がり、のろのろとベッドに乗り上げる。

 「休憩、休憩♪」

 いろいろ考えることや、見つけたいことはあるけれど、それもこれもこう疲れていては、たどり着けないはず。

 佐織はそのまま横になって、ベッドサイドにあった読みかけの文庫本を開いた。

       次回、”ターニングポイント4~へ続く

↓神崎佐織のラフスケッチ(髪型変更前) 藤崎聖・画

神崎佐織ラフスケッチ(髪型変更前)
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ターニングポイント~2~

 トン…トン…トン…
 
 降りたときとは、まるで真逆―。
 そんなゆっくりした足取りで、階段を上がっていく。
 
 できるだけ自然に、いつも通りに聞こえるように。それでもってなおかつ、早く自室に戻れるように…。

 胸に抱いた封筒に、ぎゅっと力をこめて。
ソロソロ上がって、踊り場を経て、またソロソロ上がって。

 そんなゆっくりした動作を経て、佐織は自室の扉の前に立ち、そして後ろ手にそれを閉める。
 無意識のうちに、ため息がもれた。

 「ふぅ~~、危なかった~~!」

 ようやく自分だけのテリトリーに来て、ほっと力が抜けていくのを感じていた。

 そりゃあ確かに資料を請求したときは、自分以外の人が受け取るかもしれないなーって思ったりしたけれど…まさかそれが本当になるだなんて。

 久しぶりに血の気が引いたというか、心臓が飛び出しそうになったというか。とにかく、佐織はかなり焦っていた。

 というのも、12月も残すところあと数日の今日―。

 今のところ佐織を知る人すべてが確実に、彼女は系列の大学へ進学するものと思っている。

 いや、佐織自身もそう思っている。

 けれどあのときから、どうしても気になったというか、引っかかったというか…。自分の中に、そう簡単には解せなさそうな何かが浮かんできたから。

 それを確かめたくなったのだ。

 まあ、あのとき、呆然と立ち尽くしている佐織を見つけて、パーティ(?)の関係者らしき学生さんたちが話しかけてきてくれたから…、あのときそこにとどまれば、その“何か”が見えてきたかもしれないけれど。
けれど、そこから先へ進むことができなかったから。確かに何かを感じたのだけど、それが何かわからない以上、先に進むのが怖かったから。

 だから思わず、頭だけ下げて帰ってきたのだ。
 目的だった、星を渡すことも忘れて。

 それで星は今、自分の机の上に置いてある。もうクリスマスは終わってしまったから、ここに飾ってあるのもおかしな話なんだけど。

 「さて、と」

 引き出しからハサミを取り出す。
 封の隙間にそっと差し込むと、中には思いのほか、いろいろなものが入っていて、傷つけないように切るのに少しだけ時間がかかった。

 パチン…

 端まで切って、中を開く。
 少し厚めの冊子が2冊に、薄いのが1冊。それからプリントのようなものが何枚かと、ハガキが1枚。

 「わぁ」

 あまりにたくさんあったものだから、ひとつずつベッドに並べてみた。

 「へえ~。結構、あるじゃない」

 つぶやいて、一番分厚い冊子を手に取る。

 真っ白い表紙が、あの建物を思い出させた。

 「さーて、何が書いてあるのかな?」

 一文字一文字、きちんと目を通していく。根っからの文系だからIT用語なんて、あんまり知らない。というか、実は苦手意識の方が強い。
 でも、あの日、あの人とあの学校に初めて出会って。それで気になってしまったから。
 
 そのモヤモヤした気持ちをクリアーにしたい。

 その一心で、机のそばにあるノートパソコンの電源を入れる。
 ごくたまにネットサーフィンするくらいにしか使ってないから、検索サイトにたどり着くにもそれなりに時間はかかったけれど、それも楽しい。
 そうやって1つずつ1つずつ、わからないことがわかっていくのが心地よかった。

 その動作を繰り返しながら、どんどん読み進め、そして―。

 ベッドに広げたすべてをサイドボードに積み上げた頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。

 封を開いたのはお昼過ぎだったのに。

 椅子から立ち上がりながら、佐織は頭をかいた。

 「これでちょっとは、IT専門家に近づけたかな?」

 ちょっとテレて、窓を開ける。暖房で火照った体に冷たい風が心地よい。そのゆるやかな外気に身をまかせながら、佐織はつぶやいた。

 「どうしよう・・・」

 目前に広がる、18年間暮らした景色。
 これまでもこれからも変わらずそばにあり続ける、そう思って疑わなかった景色が、今、そこにあった。

 ふと、佐織の顔から笑みが消えた。

 「…。どうするんだろう、私…?」

 見慣れた町並み、道、家々―。
 ずっと遠くには、今通っている学校もある。これまで通った中学校も、小学校も、幼稚園も。みんなこの町の中にある。そしてこれから通おうとしている大学も。

 だけど―。

 佐織はため息をついた。

 あの学校は…ここには、ない。
 電車を何度も乗り継いだ、遠く離れた町にあるのだ―。

 今日の午後からずっと資料を読み続けて、そこがどういう学校なのかということはわかった。KCGというのが、京都コンピュータ学院の略称ということから、学科のこと、キャンパスライフのこと、その他いろいろなこと ―それから…。

 そのKCGが、なぜだか、どんどん気になる存在になってきているということも。

 『けれど…』

 佐織はうつむく。
 自分には未来があった。
 誰もが信じて疑わない、自分の未来が。文字通り、目の前に広がっていた。

 それを投げ打って、まったく予想もしてなかった未来へ…進めるのだろうか?

 パソコンのパの字も知らない自分が?

 つい最近まで、電源の入れ方も切り方も間違えていた自分が?

 それが遠く離れたITの学校へ行く?

 「うぅーん…どうしよう………」

 ダメだ、想像もつかない。
 心のモヤモヤがふくらんで、なんだか押し潰されてしまいそうだ。

 でも自分には、時間がない。

 年が明けて新学期になったら、内部進学の締め切りが来る。進路を変えるなら、…未来を変えるなら、それまでに担任の先生に頼んで、休み前にしておいた申し込みを取り消さなければならない。

 「どうしよう…」

 目を閉じる。

 旅行から帰って、3日。
 迷いの中で何かが、大きく変わり始めていた。

       次回”ターニングポイント~3~”に続く

KCGウェブ小説挿絵1回目

       イラスト・藤崎聖

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ターニングポイント~1~

 ブロロロロ…

 旅行を終えた数日後。
 閑静な住宅地に立つ神崎家の前に、一台のトラックが止まった。

 「今日こそ!」

 と、部屋の窓を開けて、外を見下ろす。
 車体の側面に、宅配便の文字と可愛らしいキャラクターが走っているのを確認して。

「よし!」

いてもたってもいられずに窓を閉め、階段を駆け下りる。

 ダダダダダダ…

 連打に近いリズムを経て、無事、玄関に着地…っと……あれ?

 「さ、佐織…」

どうやら、自分で意識しているよりも、かなりな勢いで来てしまったらしい。お母さんは伝票にかざしたハンコをそのままに、一時停止しているし、お兄さんはお兄さんで、箱を持ったまま、ほほを引きつらせているし。

 完全に2人を凍りつかせてしまったみたいだ。

 これはちょっと、まずい。佐織は遅ればせながら、笑顔を付け加えてみた。ついでに小さく片手を振ってみたりして。

「ど、どうも~」

その一言に、場の空気が氷解して。
お母さんがほうっとため息をついた。

 「佐織。何をそんなに急いでるの。家でも壊す気?」

 「お母さん、ごめんなさい。ところで…」

 ハンコを片手に軽く睨まれたので、軽く頭を下げ、一息にしゃがみこむ。床にひざをついて、そこに置かれた段ボール箱の伝票に目線を走らせながら、先ほどの勢いを復活させつつ、たずねた。

 「その荷物、どこからっ!?」

 動揺する脳裏に、2日前の出来事が蘇る。

 あれから―旅行から戻ってからさんざん迷って、考えて。
 それでようやく部屋の机にある、めったに使わないパソコンの電源を入れてあちこちグルグル回りながら、やっとたどり着いたホームページで、またさんざん迷って、考えて。
 
 そうやってようやく、申し込みのボタンを押したのだ。
 
 ドキドキしない方がおかしい………と思う。

 そして今。
 
 「すぅ…」

伝票を前に、佐織はまぶたを軽く閉じて、深呼吸をする。
それから、床に置かれた段ボール箱のてっぺんを確認した。

 “△△通販サービス”

ガッカリの4文字が、脳天を突き抜けていった。

 違う、これじゃない!
 これは一昨日の夜、お父さんがテレビショッピングを見て一目惚れした健康器具だ。あの、何て商品だったっけ…確か1日15分続ければたるんだお腹も元通りっていう…あの…うぅーん、思い出せない。

 あのシリーズ、全国的にも流行っているらしいしね。そういえばあずさのお父さんも、出張中にあれで体を鍛えたりしてたって言っていたっけ。

 小さいとはいえ、仕事先まで持って歩くのはそれなりに大変だと思うけれど。

 …というか。

たっぷり1分くらい静止しつつ、脱線して、佐織はようやく気がついた。

 違う。
 今、待っていたのはそれじゃない。

 さくっと頭を切り替え、前を見据えて、扉に手をかけたお兄さんに詰め寄っていった。

 「今日の荷物、これだけですかっ?!」

 そのあまりのド迫力に、お兄さんがオロオロと手を振った。

 「今のところはそうですけど。もしかしたら別の時間で配達があるかもしれません。夕方とか夜間とか…」

 「えぇー……」

 思わずへたりこむ佐織にホッとしたのか、お兄さんはお母さんに向かって会釈して、コソコソと扉の向こうへ去っていった。

 「まったく…もう…」

 うなだれて立ち上がる我が子を見て、お母さんは頬杖をついて首をかしげた。

 「変な子ねぇ。昨日からそればかり。何か待っているものでもあるの?」

 聞かれて、思わず心臓が飛び出しそうになる。

 「い、い、いや、そ、そんなこと、ちっとも、ない、よ!」

 どう聞いても、“ちっともないことはない”声…。佐織は心の中で、自分に駄目出ししていた。

 絶対にバレたくないのに、何やってんのって。

 『だって…』

 声に出さずにつぶやく。

 だって、この件はまだ誰にも言っていないから。気持ちとか考えとか、その他イロイロ。
とにかく自分でもどう感じているかあまりわからなかったから、きちんと整理しておきたかったのだ。

 人に思いを伝える前に。

 と、その決意を新たにしたところで、勢い余って靴箱を叩いた…はずだったが。

 「ん?」

 何か柔らかい。

 いつもの天板の感触じゃない。恐る恐る目を向けたとき、ちょうどキッチンに行ってしまったお母さんから声が届いた。

 「そういえばー。さっき、あなた宛の宅配便が届いてたわよ。京都なんたらなんたらって所から」

 「えっ!! な、な、な、な、なんで教えてくれなかったのよ!!」

 驚きと緊張のあまり、変なキレ方をすると、お母さんはのんびりと返してきた。

 「だってあなた、さっき、焼きいも屋さんのクルマを追いかけていったでしょう、あのお気に入りのおじさんの。今年はまだ食べてなかったーとか言って。そのときね、今とは別の宅配屋さんから届いたのよ」

 「えーーーーーーーーー!!!」

 思わず声を張り上げる。申し込みをしてから2日、かなり玄関での動きには注意を払っていたのに、油断してしまった。

 たった3本のお芋が、こんな事態を招いてしまうだなんて。

 「後悔、大後悔…!!」

 なんて悶絶をし、一人、片手を空に向かって震わせていると。

 「何?」

 いぶかしげにキッチンからお母さんが顔を出してきた。

 「あ、あ、いや、何でも! ところでお母さん、これ見た?」

 「見るわけないでしょう、あなた宛よ。いちいち娘への届け物をチェックするほど、お母さん、暇じゃありません」

 「そ、そうだよね~~。あ、あはは~~~」

 顔を出すお母さんと目が合いそうになって顔をそむける。そそくさと上がりかまちに上ると、パンパンに膨らんだA4封筒を抱きしめて、佐織は足音をひそめて階段を上がっていった。

 「お騒がせしました~~」

 なんて、静かに謝りながら。

 その様子を再び階段のそばまでやってきて、見送ったお母さんはふとまゆをひそめた。

 「なぜ今、専門学校に資料請求なんかしたのかしら…。進学先は決まっているのに…」

       次回”ターニングポイント~2~”に続く

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