先日紹介した、姑獲鳥の夏ですが、
この日曜日、久しぶりに読み直しました。
うぅ、救いようがないゼ、セキさん。
罪のない赤ちゃんにあんな…(;´д⊂)
というわけで、なんだか軽くウツ状態になってしまったぉぅぇぃです。(´・ω・`)
いや、なんか、こういう気分になってしまうのは、
ミステリーの宿命かもしれませんね。
昔読んだことありましたので、
オチは大体覚えていますが、
演出とかウマイので、
ついつい京極ワールドに引き込まれていって、
謎解きのプロセスでエキサイトになり、
最後の「そして、誰も居なくなった」という結末でブルーになってしまいます。(@_@)
非常に面白いのですが、読後感はなんか澱んでいるような感じなので、
あんまり頻繁に読むものじゃないな~ということを、
思・い・出・し・て・し・ま・っ・た。(;゜ロ゜)
いや、正直、このシリーズはずっと本棚に置いていて、
もう4~5年くらい読み直していません。
「面白かったのに、なんで読まないんだろう」っと、
最近の自分も思ったりしました。
つまり、京極堂的に言うと、
こういう不快な記憶を自分の中に閉じこんでしまった…ということですね。
エキサイトした!楽しかった!の記憶は強く残され、
ブルーになった、ショボンした部分は時間と共に忘却されるのは、
「人間」かもしれません。
でも、まあ、「姑獲鳥の夏」は次の「魍魎の匣」と比べたら、
また全然軽いよね…。
アレはさまざまな方がおのおのの理由で、
ほかのさまざまな方をバラバラ…だったというディープな展開でした。((((゜Д゜;))))
でも、こう言っちゃなんだけど、
「魍魎の匣」の完成度は「姑獲鳥の夏」よりずっと高かった…、
という記憶があります。(@_@)
ちなみに、トロステを見て知りましたが、
なんと、「魍魎の匣」は映画化されたらしい。
(*意外と情報源に成りうるトロステ…。)
(*というか、ぉぅぇぃのムービーアンテナ弱すぎって説も?)
出来はどうかはまったくわかりませんが、
DVD出たら見ようかと思います。
いや、嫁を映画館で見ようっと誘ってみましたが、
「なんでお金を出して怖い思いをするの?シンジラレナイ~(*^-^*)」、
みたいな感じで却下されましたとさ。(´_ゝ`)