五代目の三遊亭円楽さんが死去

結構好きだったんだよね…、円楽師匠の大喜利。

落語家の三遊亭円楽さん死去 「笑点」で司会者

落語家として一世を風靡(ふうび)し、人気テレビ番組「笑点」の司会で親しまれた三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名=吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)さんが29日午前8時15分、肺がんのため死去した。76歳だった。喪主は妻、和子さん。

 東京・浅草の寺に生まれ、1955年、六代目三遊亭円生さんに入門。62年真打ちに昇進し、五代目円楽を襲名した。志ん朝、談志、円鏡(現円蔵)と「落語界の四天王」と呼ばれ、朗々たる太くまろやかな声で語る人情噺(ばなし)は迫力満点。名工「浜野矩随(のりゆき)」の涙を流しながらの熱演で強い印象を残した。

 全国区の人気者となったのは66年に始まった日本テレビ系「笑点」の大喜利メンバーに参加してから。「星の王子様」を自称して人気を集めた。77年、師匠の円生の言葉に従い、「笑点」を含む10本のレギュラー番組すべてを降板し77年に「藪(やぶ)入り」で芸術祭優秀賞。その後、83年に司会者として「笑点」に復帰。長年、茶の間の人気を保った。

笑いのネタとして、お墓や死去ネタが時々使われてきたが、

その日というのは、いつかやってくるものですね。

よく考えましたら、円楽師匠が笑点の司会を降りてから、

私も昔ほど笑点を見なくなったような気がします。

大学院生だった頃、ほとんど毎週日曜日夕方に笑点を見ていたな…。

しかし、気のせいかどうかは、分かりませんが、

今年は名実ともビッグな有名人の訃報が多かった…のような気がします。

統計的な数値を見たら、それほど差がない…かもしれませんが、

亡くなった方の中に、自分にとって影響力がある人・インパクトの強い人が居たのは、

それを強く感じさせた理由かもしれません。

あるいは、年が重ねてきただけ…かも?

訃報を聞くたびに、思うことがひとつあります。

亡くなった人を悲しむよりも、後悔の無いように、生きている家族や友人のため、

自分は何かできるかを考えたほうが、ポジティブかもしれませんね。

まあ、円楽師匠はお空で高い座布団を座って、ワハハと笑っているかもしれませんし、

辛気臭いのもアレなので、感傷に浸るのはほどほどにしましょう。

ご冥福をお祈りいたします。

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