台湾のお受験とフランスのバカロレア(?_?)

台湾の学生は基本的に7月卒業、9月入学に成っています。

毎年、暑くなりつつ7月上旬になると、

思い出すのは、台湾の「聯考」です。

最近はいろいろ変わってきましたが、

昔の台湾の進学試験は、基本的に「聯考(連合考試)」という、

統一国家試験のみに成っています。

学歴社会の台湾では、毎年一回のこの試験で、

ほぼ人生が決まってしまう…ことは、多数の人に認識されています。

この試験は筆記試験のみで、口添えなどは有り得なく、

フェアではありますが、非常に過酷なものになっています。

もちろん、事前に試験問題の漏洩もありえません。

聯考の季節が来ると、

試験委員会に選ばれた方々は、

医者、料理人などとともに、監禁生活に入ります。

一切の出入りが禁止されるのはもちろん、

外部との通信は全て断絶され、

携帯、ウェブ、電話、手紙の往復も有り得なく、

まるで囚人のような十日間を過ごすことになります。

有名な都会伝説ですが、

急性盲腸炎になってしまった先生は警察の監視のもとに、

室外のテントで、お腹以下だけをゲートの外に出され、

手術されたとか…。

まあ、本当かどうかは分かりませんが、

それだけ厳しい…ということですね。

各学校が独立で入学試験を行う日本式で進学してきた日本の皆様は、

やや違和感を感じるじゃないでしょうか?

さて、ちょっと前、フランス帰りの友人から聞いた話ですが、

フランスに似たような試験システムがあり、

しかも台湾人が聞いてもビックリするほど、

さらに過酷なものだそうです。

その名は、「バ カ ロ レ ア」という。

語感はちょっとバカぽいけど、実はかなりすごいらしいです。

「バカロレア(baccalaureat)」というのは、

毎年の6月あたりに開催されるフランスの国民的なイベントらしいです。

そして、その中でもっともすごいのは、「哲学の試験」だそうです。

おフランスの哲学の試験は、3つの問題のうちから一つ選択して、

3時間を使って文章で論述する…という良くある形ですが、

すごいのは「問題」自身です。

哲学なだけに、問題は非常に抽象的であり、

正解がありません。

毎年、試験問題が出されると、

新聞などで著名人に回答してもらったり、

解説してもらったり、大いに盛り上がっているそうです。

今年のテーマをウェブ上でさがしてみたら:

*「仕事は我々に何をもたらすのか?」

*「肉体労働と頭脳労働の比較はどんな意味があるのか?」

*「欲望は現実の中から満足を得られるのか?」

*「人は、国を必要としているのか?」

などがあったようです。

頭の中に、ピンクの「???」で詰まりそうですね。

過去問について、ウェブ上で探してみると、

やっぱり面白いテーマが一杯ありました:

*「自由を拒絶する権力としてみなすことができるのか?」

*「世論に許してもらえる真理とはなにか?」

*「芸術は言語の一種であるか?」

*「法律を従わないのは理性的な行為なのか?」

*「全ての問題は国によって解決するべきなのか?」

*「あなたなら、広島や長崎に核爆弾を落とすのか?」

*「我々の現実に対する認識は、科学知識の制限を受けるべきなのか?」

*「経験は何を表せるのか?」

*「我々は、あるIT製品の奴隷に成りうるのか?」

*「幸福のためなら真理を放棄してもいいのか?」

*「哲学は他の科学を考察せずに完結できるのか?」

*「芸術作品の美しさを他人に根拠を示しながら説得できるのか?」

*「人は自分にウソをつくことができるのか?」

*「人は何によって出来事を歴史的であると認識するのか?」

*「人間の自由は労働の必要性によって制限されるのか?」

*「人は知識なしに技術を持ちうるか?」

*「法律を適用するだけで、正義の支配を実現することができるのか?」

*「他人に対してのみ義務はあるのか?」

*「時間から逃れようとすることに意味があるのか?」

*「文化の価値を客観的に評価することは可能だろうか?」

*「特定の文化が普遍的な価値の担い手となり得るのか?」

*「芸術作品は背徳的であってもよいのか?」

*「無償の行為は可能であるか?」

*「情熱と理性は共存できるか?」

*「人は美を判断するのか、あるいは感知するのか?」

*「法律は我々に何をするのが正しいかを示しているのか?」

これらの問題は何れも非常に興味深く、

深く考えることで、脳の活性化に繋がりそうです。

(場合によって、頭から煙出そうですが…。)

私の高校生の時は、まさに詰め込み教育プロセスの真っ最中で、

これらの問題を聞かれても、まともな解答ができないような気がします。

そういう意味では、フランスの高校生はめちゃすごいかもしれません!

これらのテーマを追及することは、

人格の育成や、アイデンティティの確立に、

大きな意味を持っているような気がします。

ただ、これらのテーマのもっとも大きな問題は、


「実生活に、何の役も立たない…」じゃないでしょうか???

一部では、フランスの哲学の勉強は、

「貴族のお遊び」と言われているのは納得してしまいますね。

ただ、京コンも教育機関として、

このようなテーマを学生を考えさせるのも、

一つの使命じゃないかと、ちょっと思ったりします。

教育機関として、「仕事が出来るロボット」の生産ではなく、

「自分で考えることが出来る人間」の育成が大事だからね。

さて、このブログを見てしまった皆様も、

これらのテーマに興味がありましたら、これらのテーマから一つピックアップして頂き、

コメントトラックバックして、自分のご意見を述べてみませんか?

短めの論述はコメントで、長めの論述はトラックバックかな?

ちょっとした、おフランスの哲人気分を味わえるかもしれませんよ!!

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