さて、「なぜ呼ばれているのか?」シリーズの第2弾です。
第1弾は「梅雨はなぜ「梅」「雨」と呼ばれているのか?」
なお、ここで説明するのは、あくまで一つの「説」です。
その説の中に、ぉぅぇぃなりの解釈も含まれていますので、
参考程度に抑えていただけましたら幸いです。
さて、「日」「食」ということで、言葉の表面的な意味で見ると、
「お日様」が「食べられた」のような印象を受けます。
もちろん、実際に太陽が食べられるわけはありません。
で、なぜ「食べられる」という表現になったでしょうか?
「日食」の英語は「eclipse」ですが、
日本で使われている「日食」は漢字であり、
元を辿ろうとしたら、中国に行っちゃうのですね。
事を遡って数千年前、「太陽が消える」という現象が起こりました。
無論、これはそこそこレアな現象で、
人々は科学知識の無い中、自分を納得させるために、
「ああ、お日様食われちまったよー」という解釈を生み出しました。
(*その時代では、何か消えることは、食べられた…というのが一番多かったのかも?)
同じ類のものとして、たとえば地震というのは、
「地牛翻身=地下に眠っている巨大な牛が寝返りをした」のもあります。
(*日本では、巨大なナマズが暴れるせいですね。)
人は、自分が理解できない現象を、
自分が理解できる事象を使って無理やり解釈しようとするのは、
昔も今も同じですね。
「食われた」という解釈は広く受け入れられたのですが、
で、「誰が食った?」という話になった時、
「天狗」という巨大な犬の仕業だ!という話の流れになりました。
(*「狗(ゴウ)」というのは、中国語の「犬」です。)
何せ、古来から犬というのは食いしん坊な生き物…という印象があったりします。
この「天狗」というのは、いわゆる日本の人型妖怪の「鞍馬天狗」とは全くの別モノです。
↓食いしん坊の犬のイメージ画像
(*冷蔵庫に潜入した我が家の黒パグ犬です。言うまでもないが、これは天狗ではありません。)
この「天狗」とやらはいろんな書物に現れます。
たとえば「山海経」。
この「山海経」は秦の時代あたりで書かれたと言われた書物です。
この本は、当時の人々が認識している物事を記載していますが、
現在では、記載されている内容は神話レベル…と認識されています。
で、この本の中に、
「其中多文貝,有獸焉,曰天狗,其狀如狸而白首,其音如榴榴,可以御凶。」
のような記載があり、
「天狗」というのは狐(狸ではない)のような生き物で、頭(首ではない)は白く、
鳴き声はルルー♪って感じで、「凶」を抑えることができる動物です。
あるいは「史記・天官」の章の中では、
「天狗状如大奔星,有聲,其下止地類狗,所墮及炎火,望之如火光,炎炎沖天。」
天狗の見た目は大きく走る星。声があり、犬のように降りてくる。
降りたところは燃えてしまい、見るとまるで天に届く炎と光だ。
こっちの「天狗」というのは、彗星や流れ星のようなものになっています。
で、天狗が降りてきたら、禍が起こる…という感じですね。
で、この天狗とやらは、なぜ「日」を食べるとされたかというと、
もともと空にあったお日様を食べるのは、食いしん坊な悪いやつに違いない…ということで、
わざわいをもたらすとされる「天狗」と、食いしんぼうの「犬」のイメージの相乗効果で、
その悪いやつの候補になって…といった展開じゃないかと想像できます。
で、天狗が日を食べる様を、「天狗食日」と呼ばれます。
「天狗食日」の英訳は”Sky dog eat sun.”(ウソです。)
で、この太陽を食べる天狗ですが、実は月も食べます。これは「天狗呑月」と言います。
「天狗呑月」の英訳は”Sky dog drink moon.”(無論、これもウソです。)
先に月を食べたのか、あるいは先に日を食べたかは、定かではありません。
「呑月」のストーリーは、伝説の勇士「后羿」と、その美人妻である「嫦娥」と関わっています。
昔々、堯の時代で、本来なら一日一匹しか出かけない金烏(太陽)10兄弟が、
連日毎日仲良く一緒に出かけてきたせいで、毎日暑くて暑くて、
植物が生きていけなくて、人間も食べ物を見つからない。
このことは、「淮南子·本經訓」に記載されています。
「逮至堯之時,十日並出,焦禾稼,殺草木,而民無所食。」
(堯の時、太陽10つ一緒に出て、穀物を焦がし、草木を殺し、民は食べ物がない。)
まあ、当時に何かしらの気象の異常があった…ということじゃないでしょうか?
で、それを見かねた勇士の「后羿」は民のために、九つの金烏(太陽)を弓矢で撃ち落としました。
これは「后羿射日」と言います。
最後の1匹の金烏(太陽)は、それに怯えて、毎日真面目に働くようになりました。
めでたし・めでたし。
っと、ハッピーエンドの後に、ストーリーに続きがありました。
そこに西王母(王母娘娘、瑤池金母)という中国古代の女性の神様が、
「后羿」のスバラシイ働きにご褒美をあげようとしたら、
「后羿」は最愛の妻「嫦娥」と永遠と一緒に暮らしたいために、
「不老不死の薬を、2個ください」ということで、
不老不死の薬を2粒もらって、家に戻りました。
で、「嫦娥」さんは、何を考えているのか、
(まあ、悪いやつから薬を守る説や民を守る説など、いろいろな説がありますが)
「后羿」が出かけた隙に、この不老不死の薬2粒を、飲んでしまうのですね。
不老不死の薬は、1粒飲んだら不老不死になり、
2粒飲んだら、仙人になれる…という効能だったらしいので、
それで、仙人になった「嫦娥」さんはふわふわ~っと空に飛んでいきました。
その様子を見た「后羿」の番犬の黒犬は、残った不老不死の薬の残りかすを舐め尽くすと、
なんと、一緒に空に飛んで行き、「嫦娥」を追っていきました。
で、「嫦娥」は追手の黒犬を見ると、怯えてヒラヒラっと月に駆け込むが、
それを対抗しようと、黒犬はプルプルと巨大化し、
「嫦娥」も含め、月を丸ごと飲み込んでしまうのです。
で、玉皇大帝という神様のリーダーと西王母は、
「なに!?月が犬に食われただと!?」ということで、
天兵天将(天界の兵隊)を派遣して、最終的にこの黒犬を捕獲しました。
そうしたら、西王母は「あら、お前さんは后羿とこの番犬じゃないの?」ということで、
「お前も大変だな…。じゃ、お前も仙人(仙犬?)になったわけだし、天界に就職させましょう。
『天狗』という名で、天界の南天門の門番をやってください」。
それで喜んだ黒犬の天狗さんは、月と「嫦娥」を吐きだし、元に戻った…ということになりました。
で、「嫦娥」は薬を盗んだ…ということで、
罰として、さびしく月で暮らしなさいーという裁きを受けました。
「嫦娥」は元の世界に戻るために、
不老不死の薬を作る兎と一緒に暮らしている…という話があるのですが、
実は、この「兎」は、もともとはヒキガエルだったりします。
まあ、おそらく別の伝承で、月面のイボイボを見て、
「これはヒキガエルだな」という昔の中国人の想像(?)から始まった話かもしれません。
昔々中国では、ヒキガエルというのは、「顧菟」と呼ばれていたのですが、
この「菟」の字は、兎(兔)と似ていますので、
「月のヒキガエル」よりも「月野のウサギ」のほうが人のロマンを刺激する…ということで、
薬を作っているのはウサギ…ということになったかもしれません。
後、そうですね、仙人になって、めでたく天界に就職した天狗は、
「哮天犬(吠える天の犬?天に吠える犬?)」という別名も持っています。
この「哮天犬」は、中国の神話の中に出てくる
「二郎神」という神様と共に戦う犬…みたいな扱いになっています。
「二郎神」に関してはいろいろな伝説がありますが、
「西遊記」や「封神演義」は一番有名ですね。
いずれにしても、「哮天犬」は「二郎神楊戩」と共に活躍していました。
「西遊記」の中では、「哮天犬」はあの齊天大聖孫悟空と戦ったり、
「封神演義」の中では、「哮天犬」はやっぱり「二郎神楊戩」とともに、
数多くの妖怪魔物を退治していきます。
天狗=哮天犬は日や月を食べる悪者だけではなく、
色々なお話の中で、普通に活躍したりしていますね。
おっとと、話しは著しく長くなってしまいましたが、
中国の神話や伝承を交えて、
『日食(日蝕)はなぜ「日」「食」と呼ばれているのか?』を簡単(?)に説明させていただきました。
消えたのは「(天狗に)食われた」のような認識となり、
それで、星空に飾る何かが消えたら、「○食」という呼び方になったかもしれません。
日食まではあと数日です。
実際に日食を鑑賞する際に、単なる科学の視点ではなく、
数千年前の人たちの神話や伝説を思い浮かびながら楽しむのも、
一つの風流かもしれません~