筆者の高校時代の友人がイチオシ。とろりとしながらあっさりしたスープで,まったりとしていて,好きな人には受けるのだが,やや甘い。麺は硬めで,チャーシューの煮方が上手である。甘いのはたまねぎを入れてあるからだそうだ。ちょっと化学調味料が多いようで,それで酔うからスープは残す。化学調味料に強い人には,最高のラーメンのひとつだろう。
昔から,薫り高い柴漬けの細切れを付け合せに出してくれる。店構えも,粋やねぇ♪
関係ないけど,この店からすこし西に行った丸太町沿い,平安神宮の北側に,美味いたこ焼屋さんがある。ラーメンのデザートにどうぞ。
炭水化物で腹いっぱいになったあとは,平安神宮の庭を見に行こう。入場料が必要だが,特に紅葉の季節と,桜の時期には絶対に行くべきである。庶民的で心配りの行き届いた美味いものをはらいっぱい食べて,悠久の歴史と高尚な文化に触れる。この対比を実現できる街は,そう多くは無い。学生時代を送るなら,やっぱり,京都やデ。若いときに,京都に住んでみてほしいね。その後の人生が豊かになるはずだ。
京都も秋が深まり山々が彩られて,空気が透き通ってきた。こういった光景も風の匂いも,京都の味覚に影響すると思う。美しい街,廉いのから高いのまで美味しいもの,文化の深遠と広大,ええなあ~,京都は。世界中で一番,好きやなぁ~。京都が一番!
月別アーカイブ: 2007年10月
みよし–京都ラーメンLegend
「博多長浜ラーメンみよし」,と言う。三条木屋町を下がったところにあって,先斗町や木屋町で一杯飲んでラーメンで締めるときはここになる。京都式のセオリーから見ると,麺とスープの調和が弱いように思われるが,これはコレで,博多式。
ミュージシャンのGackt=ガクトが好み,東京に支店を出したそうだが,結局撤退したらしい。いくら博多式豚骨ラーメンとは言っても,やはり京都文化の影響は強く受けていて,スープがはんなり甘口で上品なのだ。なんでもだだ鹹い東京では,この味わいは雑踏の中に雲散霧消してしまうだろう。京都にいなければわからない,味覚の深遠というものがあるんだよ。
豚骨ベースの嫌味は皆無である。麺は硬麺で,スープとはあまり混ざり合わないけれど,それを補うトッピングが色々自由に選べるのがいい。トッピングは,定番の紅しょうがや高菜から,胡麻,天カス,牛スジの煮込み,果てはカレー粉まである。
スープと麺がそれぞれ独立している上に,様々な関連性のないトッピングをあれこれ色々入れて楽しんでいると,だんだん訳がわからなくなって来て,豚骨スープが混沌として「豚混カレー」になる。最後は「激辛胡麻入り天麩羅カスドロドロ紅ショウガ色牛スジカレースープ,ラーメンの切れ端入り」とでも命名したいような料理の残骸が丼の底に残り,結構豪華なディナーを終えたような気になる。先斗町で飲んだあとの締めの一杯にするにはもったいないくらい,フルコースな高級料理なのではないかと思った・・,のは酔っ払っているせいだったか。
シラフで食べたことが無いので,イマイチ論評しにくいのだが,皆美味いと言っている。
横綱–京都ラーメンLegend
国道171号線を大阪へ行く途中,吉祥院に横綱の本店がある。昔はここ一店舗で営業していた。自転車で行くには,一番遠いラーメン屋であった。イマイチ個性に欠けるのだが,固く練ったニンニク唐辛子を混ぜて,葱をてんこ盛り乗せて食べると美味いので,よく行ったものだ。
近年はどんどん支店ネットワークを拡大しており,京都市内に多くの支店が点在しているのみならず,大阪や愛知県の東端あたりで評判になっているらしい。へぇ~と思ってググってみたら,なんと,ラーメンの通販もしているし,さらには,千葉の松戸にまで支店を出している。頑張れ京都のラーメン。
最近,市内の某支店に行ったのだが,牛丼の吉野屋と同様に,夜は店内が蛍光灯で白々とやたら明るい。煌々と明るすぎるねん。夜中に一人で,あの輝光と有線の演歌の響きに包まれて,ラーメンを啜っていると,しみじみ美味いなあ~と思うんだが,同時に,心にシメ~っと哀愁が漂ってくる。「夜中の吉野屋」と「夜中のなか卯」と「夜中の横綱」は,いつも,腹いっぱいにはなるのだけれど,淋しさと哀しさで,胸いっぱい,涙ほろり。辛いなぁ,人生は…。
金ちゃんラーメン-京都ラーメンlegend
ここはラーメンも美味いのだが,鶏の手羽元のから揚げで超有名になった店である。ここのから揚げを食べずして,京都のから揚げは語れない。学生時代は,このから揚げを一人で6本(二皿)食べていた。
ラーメン目当てで行く友人も多かったが,自分はから揚げであった。ビールとから揚げで機嫌よくなって,締めにラーメン,というコースである。鶏がらと豚骨のブレンドが絶妙で,こってりとあっさりを足して二で割ってあっさりを足したような?絶妙な味わいで,つるつると入っていく。チャーシューも美味い。チャーシュー麺を食べて,から揚げをお持ち帰りという手もある。
新福菜館–京都ラーメンLegend
終戦直後から延々繁盛し続けている老舗である。黒っぽい色のスープで,関東式の醤油ラーメンなのだが,食べてみるとさほど塩辛くはない。時々東京が懐かしくなったとき,やたら食べたくなる。見た目はバリバリ醤油ラーメンなのだが,関東の醤油系とは明らかに違う。醤油が押し出してこないのだ。あくまでも,京都式に奥ゆかしく,奥深い。関東を思い出すための京都ラーメンとでも言うべきか。
焼き飯も名物で,ラーメンと一緒に頼むと,腹いっぱいの晩飯になる。これもフランチャイズなのかなにか知らないが,支店がいくつかある。もちろん,本店の味が一番である。
第一旭–京都ラーメンLegend
京都駅の東側(京都コンピュータ学院は駅の西側)に,後述の新福菜館と隣りあわせで,それぞれ異なる味で勝負している。京都人の中では,どちらが好きかという話題になることが多い。いわゆる京都ラーメンぽいという意味では,第一旭だろうか。しっかりとした出汁なのだが,あまり脂っぽくはないので,朝でも食べられる。実際,朝からオープンしている。学生時代は,夜更かしした朝に食べに行って,満腹になって,帰宅して寝るということが何度かあった。
麺は細めで葱は京都の九条葱である。フランチャイズかどうか知らないが,支店があったように思うが,やはり本店が一番。筆者は新福菜館と二軒両隣のどちらかと言われると,こちらを押す。
東京ラーメン–京都ラーメンLegend
京大医学部の西の鞠小路通りにある。店の名は,開店前に東京でラーメンの修行をしてきたからこその命名なのだという伝説がある。東京式ラーメンだと言われるが,あくまでも京都のはんなり滋味ある奥深さを有しており,東京で同様の味に出会ったことはない。
鶏がら以外に,昆布など和風だしの原料も多量に入れているようで,結構複雑な味でありながら,決してしつこくない。突出したところもなく,すべてが綺麗にまとまっていて,しかも軽妙,そして円熟の極み。昼ごはんには丁度良いラーメンである。夜はあまり遅くまでやっていないのも,この味であるからこそか。もやしラーメンとか玉子ラーメンなど,色々バリエーションがあるのだが,正当派は並。それも昼飯時に。
男前でダンディな親父が演歌を鼻歌しながら造るところが渋い。滋賀県に嫁に行った娘も美人で素敵な人ある。
天々有(天天有)–京都ラーメンLegend
ますたに,天下一品,そして天々有(天天有,てんてんゆう)が,京都で30年以上君臨し,顧客を三分している老舗の御三家である。京都コンピュータ学院洛北校から,北東に歩いたら20分くらいだろうか。高野の交差点を北上すること10分くらいのところにある。
鶏がらベースに豚骨を効かせたラーメンで,ますたにが「表はんなり」,天下一品が「裏こってり」だとすると,見事にその境界領域を押さえている。まったりした味ではなく,こってり過ぎず,シャープで上品である。昔から,各三軒それぞれのファンは,一番美味いのはここだと三軒のうちのひとつを挙げ,決して譲らない。
「硬い目,鹹い目,葱は多い目」が美味いのだと福岡出身の友人に教えてもらった。それ以来,いつも,その学生時代の友人が言ったように,麺をすこし硬い目に茹で上げてもらって,スープは少し塩辛い目,葱はたっぷりと入れてもらうようにリクエストする。麺を硬い目にしてもらっても,麺はスープと分離することなく,綺麗に絡み合うところが,鶏がらのゼラチン質である。豚骨系のこってりさが強いとと,麺が独立してしまうのだ。
夜中までやっているので,夜中に行くことが多いが,夜遅いほうがスープが煮詰まってくるのか美味いように思う。
最近,レトルトのパックが高速道路のSAなどで売り出されているが,店の子に訪ねたら,その商品の存在すら知らなかった。もちろん店にも売っていない。謎である。
天下一品–京都ラーメンLegend
今や京都ラーメンの大御所と言うべきか。賛否両論両極端で,熱烈なファンと,一度食べて敬遠する人と二通りに別れる。今から20年以上前に東京にも支店を出した。京都市内にも近県にも,多くの支店・チェーン店があるが,それぞれ微妙に味が違う。やはり北白川の本店がダントツで美味いと思う。最近はあっさりスープなど,様々な選択枝が用意されているが,伝統のこってりスープを置いて他にない。
鶏がらと野菜ベースのスープだと喧伝しているが,豚骨,豚皮などが入っているようで,ちょっと豚の匂いがきつい。スープはビックリするほどドロドロで,濃いぃ。ラーメンに慣れていない関西人が食べたら,三日間胸焼けが治らなかったとか,色々な逸話がある。
ニンニクは絶対入れてもらうこと。葱も多い目が良い。スープと薄いチャーシューと柔らか目の麺が,強烈なニンニクで混然一体となって,口中は怒涛が渦巻く。食べているうちに,混沌の中に一筋の光明が見えて,とても満足する結果になる。「なんだかわからんが美味いもんを腹一杯喰って満腹だぁ!」と叫びたくなるような,とてつもない満足感が残るところが凄い。一点,昔から気に入らないのは,店の前のちょうちんに,「焼豚鉢一面」と書いてあるくせに,並にはペラ一枚しか入っていないことなのだが,怒涛と混沌の過程を経ているうちに,そんなことはどうでも良くなってしまう。
この店が出現して以来,多くのラーメン屋がドロドロこってり系のスープを真似しだしたが,天一(テンイチ=天下一品の略称・愛称)は,どこにも真似できない究極に達しており,他の追随を許さない。無頼派革新系完成形京都ラーメンとでも言うべきか。
京の都の夜遅く,東山三十六峰にかかる霧を遠目に,唯ひたすらこってりスープに包まれて腹いっぱい,さて,帰って寝るか,と思いつつ。これも京の都,裏こってり。
ますたにラーメン–京都ラーメンLegend
44年の伝統と実績を誇る京都コンピュータ学院の白河校(もとの浄土寺校舎)を北上すること5分。銀閣寺道の交差点の西北に,50年以上の伝統と実績を誇る「ますたに」がある。店の前には桜の木があって,春は美しい。
この「ますたに」を食べずして,京都のラーメンは語れない。麺を盛った後に,どんぶりに豚の背脂でを金網で散らすという技法はここが発祥と思われる。親父の麺の取り方も一流で,一回でぴったり一人前を網に掬ってどんぶりに盛る。どんぶりに盛ってから箸で麺の量を調節するなんてことはしない。プロなのである。昔から,店舗の規模の割に従業員が多く,皆がのんびりと接客しているように見える。そのせいか,ベテランのおばちゃんは愛想が良く,接客が上手い。
チャーシューとメンマ,そして多い目の葱が盛られて,背脂が散りばめられている。見た感じは脂っぽいのだが,食べると存外あっさりしている。どこにも尖がった個性がないのだが,すべてが上手く調和している。あまりにも丸く収まりすぎていて,一回食べたくらいでは,その完成度は理解できないと思う。なんとなく美味いなあ~と思っているうちにスープまでも無くなってしまっていて,「あれ,もう無くなったのか」,と思う。そして,美味いもので満腹になって,とても幸せになったんだけれども,なにか物足りないような,なにか後ろ髪を引かれるような想いで,帰ることになる。そこが凄いところで,何杯食べても飽きないような,胃さえ満杯で無ければもう一杯食べたいと思うような,絶妙な加減に出来上がっているのだ。
何が突出して他の店に勝るのかというと,指摘しにくい。麺もチャーシューもスープも,もっとインパクトのある店は他にいくらでもある。しかし,まったりと,それでも適度にシツコク,適度に濃いィ味で,柔らかく歯に残らない麺が,舌を撫でて喉の彼方に消える。改良の余地など微塵もない,すべてが綺麗にまとまって完結している,正当派保守本流完成形京都ラーメンである。
京の都の昼下がり,紅葉の季節のやわらかな陽射しに包まれて,おおきにぃ~,の声を聞きながら帰途に着く。嗚呼,京の都,表はんなり。