ダンスパーティの夜

京都 社交ダンス

ダンスパーティの夜
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そうだったそうだった,昔からの親友にまたお誘いを受けていて,直前になって思い出して,ダンスパーティに出席したのである。
友の後ろを静々と追う。ろくに踊れないくせに偉そうに円卓に着席する。
しばらく経ってから,胸ポケットに仕込んでいた,ネクタイと軽く色を合わせていたシルクのポケットチーフを思い出して,粛々と引きずり出して,チョイと飾る。壁の花,ならぬ,テーブルの背伸びオヤジ。

若い頃は,年配の方が社交ダンスが趣味だという話を聞くと,「いい歳したオジサンやオバサンが,なんだかな~」と言うようなイメージを抱いていた。

長じて実際に参加してみると,愚かな偏見であったことを恥じるばかりであった。実際社交ダンスのパーティを見てみると,想像とは全く違う世界が繰り広げられていたのであった。大人の世界である。若い人はどちらか言うと少なくて,中年からお年寄りまでが大半なのだが,皆,活き活きしている。そして,人生を楽しんでおられるのだ。

年に一度のお祭りに,日頃しないような晴れ姿。「美容院行ってきました髪型」に,綺麗なドレスに身を包んで,そして,その晴れ舞台に参集している。

青二才の男女が大勢寄り集まると,生臭過ぎて鼻息が荒いのがよく見える。ここまで艶やかにはなるまい。若いととても到達できないレベルの世界である。大人なんだな。色気づいて,ではなくて,それを若いころに全部全うした円熟の大人が,その次に到達する世界である。

あの年齢で,あのように大人で,あのように上品に振舞いながら,社交を楽しむのは結構おしゃれなものだ。齢を重ねて初めて解ってくる,大人の楽しみ。大人にならないと,楽しめない,もうひとつ上の世界である。

おじいちゃんやおばあちゃんも多い。みんな,一所懸命,年に一度の祭りを祝い,祭りに参加し,祭りを楽しむ。見ていてとても微笑ましい。

京都 社交ダンス

そして,最後のトップクラスのプロたちのデモンストレーションを見ると,これはもう,圧巻の一言に尽きる。スポーツであり,肉体の鍛錬の賜物であり,そして,芸術である。本物の踊りというものは,凄い。

男が輝くということ,女が輝くということとは,つまり,人間の全存在が輝くということだということがわかる。男も女も,何歳になっても自身が人間であることを自覚し続けることが大切なのは自明であるが,男であり,女であることを忘れるべきではないことは,もっと大切なことなのだろう。枯れずに,自分を鍛えることの尊さを見せてもらえるひとときであった。

家に引っ込んで晩酌傾けるのもいいし,馴染みのスナックでママ相手に愚痴るのもいいけれど,運動して発散するのも,もっと良い。
炬燵に入ってテレビを見て家族団らんも良いけれど,週に一度はお稽古ごとに通って,年に一度は教室主催の祭りに参加することができたら,そりゃあ,良いことだ。

とはいえ,相変わらず,テーブルに座り込み,むしゃむしゃパクパク食べてばかりであった。
さて,ローストビーフ。
イギリスが本家の牛肉料理。中心まで,色が変わってしまわない程度に美味く焼いて,中まで火が通ったその刹那に,切り分ける。血が変色したかしないかくらいが良い。
付け合わせはジャガイモとインゲンであった。
ドイツでは,ナイフとフォークでジャガイモを食べるとき,ナイフは使用しないのがテーブルマナーである。銀食器を使うとき,銀がジャガイモの持つ成分で変色してしまうからである。銀食器が出てきたときは,ナイフでジャガイモを切らないように。
今日はステンレスだったけど。食べることは二の次のパーティだもんね。

京都 ローストビーフ

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