鮨とは何か-その歴史

 歴史を遡ると,鮨とは,西南中国からインドシナ半島にかけて,魚肉を飯といっしょに漬け込み発酵させた,水田耕作民の始めた保存食のことである。今では,琵琶湖の鮒鮨や和歌山のなれ鮨などに,その伝統が残っている。
 すしは,鮨,鮓,寿司,寿し,など様々な漢字が当てられるが,各々に歴史がある。古来の「鮨」は,西南中国からインドシナ半島にかけて古くから分布する,魚を飯と塩で漬けて発酵させた食べ物のことである。 飯と塩で魚を漬け込み,発酵させた食品を意味する「鮓(サ)」は中国の戦国時代に「鮨(シ)」と混同して使われだしたまま,日本に伝わったという。 「寿司」は江戸時代に縁起を担いで当てた字である。
 時代が下がって,炊きたての飯に酢と塩を混ぜ合わせ具を添えるという,発酵食品であった鮨の簡易版が考案された。これが現在一般に普及している鮨という料理方法の原点であると考えられている。腐敗を防ぐためにも押し鮨が一般的であった。これは全国に普及し,各地で様々な料理が考案され,現代に伝わっている。大阪の押し寿司,九州の寿古寿司などもその類である。
 江戸時代文政の頃(1818~1830年),江戸(東京)の両国にあった「輿兵衛鮨」の花屋輿兵衛という主人が,炊きたての飯に酢を合わせ,さらに東京湾の豊富な生魚を乗せてすぐに食べるという,江戸前握りを始めた。江戸文化の華やかな頃で,天麩羅やうなぎの蒲焼などが普及し始めたときでもある。それから四半世紀後に記された「守貞漫稿(1853)」には,すでに江戸には押し鮨の店はなくなり,大阪にも江戸風の握り鮨を売る店が増えたと書かれている。
 ファストフードとして町の屋台で供される鮨は,魚の新鮮さを保つためにも,調理時間の短いことが重要であった。鮨屋の威勢の良さは,魚を新鮮なうちに美味く食べさせるために仕事を急ぐところに由来する。江戸時代から明治の文明開化を経て,多くの鮨屋の栄枯盛衰を経ながら,本当に美味いものを追求する粋人の情熱と,それに応えようとする鮨職人の心意気に支えられて,江戸前鮨は連綿と続いて洗練されてきた。これは,新鮮な魚を美味く食べるために,最も合理的な技術や手法を追求し続ける,日本的な技術向上心の結晶たる食べ物である。発酵させたり,煮たり,あるいは急いで運んできたりしながら,食材が本来持つ美味さをさらに磨き上げて供するところに,鮨の真髄がある。当然のことながら,単なるレシピの伝授には終わらない,文化的意味の諸々を含むので,以下に総体としての日本の鮨を記述していく。
 ここでは,伝統的な「鮨」という字を用いることとする。ただし,京都の鯖寿司は,祝いの意味を含有するので「寿司」という字を当てる。
(参考;石毛直道 食いしん坊の民俗学 平凡社 1979年)

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