振り返れば道程は長く,父が鬼籍に入ってからもう22年目になる。
晩年,父はよく日清の焼きそばを食べていた。仕事しながら夜中には自分独りで作ったりして,それなりに美味そうに,食べていた。当時,家にはいつも,これがあった。
高度経済成長期の中心にいた人たちにとって,インスタントラーメンは,普通に,食事の一種だったのだと思う。父は一年中,朝起きてから寝るまで仕事一筋で,食事は単にエネルギー補給のためであった。栄養の偏るようなものばかり食べていたから,健康を害して夭折したのかもしれない。
バブル経済はその後に来た。80年代後半から,グルメという概念や行為が普及し,人々はより美味いものを求めはじめて,そして値段の高低にかかわらず,美食が当たり前になった。それ以前は,以後に比すると,日本の食生活はあまりにも貧困であったと思う。すき焼きどころか,店屋もののカツ丼や天丼が日常生活における「ご馳走」であったり,近所の鮨屋の出前の「盛り合わせ」が「最上級のもてなし」であった。そして,インスタントラーメンは,「普通の」食事だった。
昭和という時代,高度経済成長期の日本に生涯を全うした父と,父が日常食べていたものを思い起こすにつけ,胸が痛む。これはこれで悪くはなく,それなりに美味いものではあるのだけれど,もっと,豊かで幸せな食生活がその後に来たのに。
もうすこし,長生きすればよかったのにな,親父。
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