地図で見ると九州から中国へ渡るのは華南の方がずっと近いですね。北の洛陽の都よりも南との方が交流が多かったと考えられます。倭国と中国との中継地として重要な匡があります。それは百済(朝鮮半島西南部:地図の光州あたり)で、たくさんの渡来人、さまざまな文化がやってきました。そして百済は江南地方と密接な交流がありました。華北の戦乱時代(4世紀~6世紀)には特にそうでした。漢字の読み方の呉音もこの経由といわれています。漢音は中国が隋唐によって再統一されて7世紀以降に入ってきた新しい読み方です。
呉音 漢音
日 ニチ ジツ
男 ナン ダン
人 ニン ジン
韓国では百済といっしょに呉音も滅んで漢音だけになったが、わが国ではずっと2通りの読み方が続いています。