☆ヒミコの墓?

 奈良県桜井市にある巨大な古墳である箸墓古墳のできた年代が西暦240~260年ころと測定されたそうです。まさにヒミコの没年ころ、これで邪馬台国は奈良という説が有力になってきました。箸墓にいったことはあるが大きい、あそこにほんとにヒミコは眠っているのか?
 ボクは邪馬台国は北九州にあったと思っていますが、その根拠は日食です。天文計算によると247年3月24日の日食の日に彼女(日巫女)は死んだ。そして後に太陽の女神アマテラスとして崇められるようになった。

箸墓古墳、240~260年築造 卑弥呼の死亡時期と一致 炭素年代で判明(産経新聞) – Yahoo!ニュース
ヒミコの日食

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☆観望会中止


 本日花山天文台で開催される予定だった第1回 花山天体観望会 「土星」は中止になりました。残念ですが仕方ないですね。次回は2ケ月後の7月29日ですが、その前に講演会がある。6月21日(日)です、ぜひどうぞ。講師は・・・下記をご覧ください。

NPO法人 花山星空ネットワーク 平成21年度 第1回 花山天体観望会 「土星」
NPO法人 花山星空ネットワーク 第4回 講演会

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☆皆既日食まであと60日

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 7月22日の皆既日食まで60日となりました。11時ころ太陽は8割くらい欠けますが、どのくらい暗くなるのか?実は子供のころ大日食を見たことがあるが、いつのことか思い出せない。昼間、周りが相当暗くなった学校の校庭で見たような、というおぼろげながらの記憶(あまりあてにならない)です。気になって過去の日食をいろいろ調べてみたところ、それらしきものが見つかりました。もしそれが1958年4月19日のものなら.87%欠けたことになる。
 ついでに過去2000年間の大日食を探してみると975年8月10日のはスゴイ、京都で皆既。これは安倍晴明が見て予測か報告かを書いているのです。その時、帝をはじめ文武百官は謹慎状態、日食が終わるのを自分の席でじっと待っていたそうです。そして恩赦が行われてました。すべて天の怒りを解くためです。
 図は日食シミュレーションソフトEmapWinから作成しました。横に伸びているゾーンが皆既が見られた地帯です。韓国南部から中国地方~関東地方さらに太平洋上で眺められたはずです。

このソフトはWindows版 古天文ソフトにありますが、セミプロ用で解読が難しい。

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☆H1N1は新型インフルか? 

 京都大学 保健管理センター:新型インフルエンザに関する緊急情報(第2報) — によると

歴史的に見ると、今回と同様のブタ・インフルエンザは1976年に米国で小流行しています。また1977年に極東やアメリカで流行したソ連型インフルエンザも同じH1N1という抗原型を持っています。それらによって当時の人々が免疫を獲得したせいか、発症者は圧倒的に若い人に多くなっています。免疫を持っていない集団の中にいったん病原体が持ち込まれると、瞬く間に広がっていくのです。

また

薬局やスーパーでディスポのマスクが手に入らなくても悲しむ必要はありません。昔風のガーゼ・マスク(手製でもOK)を一日の終わりに洗い、熱湯かアイロンをかけて消毒すれば何度でも使えます。

だそうです。

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☆スカイプ会話

 昼休みにオブ脳さんとスカイプ会話しました。海外とは思えないほど明瞭です。久しぶりに元気な声を聞きました。カメラを付ければより楽しく話せるはず。皆さんもぜひskypeをインストールして有効活用しましょう。各種ミーティングにも自宅待機している学生さんへのメッセージにも

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☆新型インフルに気をつけよう

 新型インフルエンザ総合コールセンター(専用電話相談窓口)は新型インフルエンザに関する相談について、24時間、対応しているそうです(土曜日・日曜日・祝日含む)
電話番号:075-414-4726
または京都市保健医療課(24時間対応)
電話番号:075-222-3421
うがい手洗いマスク・・・

今日さらに広がりそう

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☆○○コの日食-2

『古事記』・『日本書紀』には
アマテラスは弟スサノオの乱暴にほとほと手を焼き天の岩屋戸という洞穴に籠もってしまった。日の女神が隠れたのだからこの世は真っ暗になった。困り果てた神々は協議し,安の河原でとんでもないどんちゃか騒ぎを開いて彼女を引き出した。
これの意味するところはまさに日食です。アマテラス事件の元は日食に違いないということは江戸時代いやもっと以前から知られていました。
 また3世紀前半のわが国のことを記した『魏志倭人伝』によると
邪馬台国の女王ヒミコが没し、後継の男王が立ったが争いが収まらず、内乱状態になった。そこでトヨという少女を女王に押し立てて争いは収まった。」とあります。
248年9月の日食はヒミコの死やアマテラス事件を表しているという着想は確かにすばらしいが、247年3月の日食も皆既ではないからといって除外せず、併せて考えるべきでしょう。すると邪馬台国九州説に有利になるという副産物も生じます。続けて起こった2つの日食状態を考えると

九州にあった邪馬台国の女王で太陽神に仕える巫女であったヒミコは,亡くなる頃に起こった壮絶な日食により,死後は太陽神アマテラスとして崇められるようになった。その事件は長く人々の記憶に残り,後に岩屋戸隠れ伝承のもととなった。
247年3月 ヒミコが没し内乱始まる      アマテラス岩戸に隠れる
248年9月 トヨのもとで平和がよみがえる  アマテラス岩戸から出てくる

とするのが妥当ではないでしょうか、多少の無理は承知の上。

 なお「卑弥呼」とは『魏志倭人伝』の作者が当てた字で,いわばAmericaをアメリカとか亜米利加と書くようなもの。わが国でいえばむしろ「日巫女」とすべきでしょう。筆者はどちらの漢字も使わず.ヒミコと記すことにしています。
○○に入る文字はおわかりですね。

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☆○○コの日食-1

 日食の話を続けます。
わが国にも平安時代には日食の記録はたくさんあります。安倍晴明さんも日食の予報を出しています(これは975年 8月10日に全国的皆既)
 247年3月23日と翌年9月5日の日食は日本古代史に重要なヒントを与えてくれます。前者はアフリカから朝鮮半島まで皆既がみられますが、わが国では太陽が沈んだ後です。しかし部分食は日没前に始り、その欠け具合は西にいくほど大きいです。近畿では日没時に半分足らずですが、九州ではもっと欠けます。地平線あたりで欠け始め,細くなりながら没する太陽、明日はもう昇ってこないのではないかという不安を駆り立てるかなり壮絶な光景です。また後者の皆既ゾーンは能登半島から北関東さらに太平洋上に長く延びています。昇って来るのは黒い太陽、しかしすぐに復円が始まり、7時にはすべて終了します。近畿でも九州でも90%以上欠けます。これを見た当時の人々は太陽の復円の過程を見てホットしたことでしょう。これら2つの日食をあなたが眺めたとしたらどのように感じますか?
 これらの日食はPCで再現できますが、記録や伝承は残っていないでしょうか?あります、あの有名な伝承が・・・

つづく

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☆次回の日食

 54年後(2063年!)にはまた日本で見られるはず、と書きましたが、この時の皆既ゾーンは津軽海峡を挟んで青森北部、北海道南部らしいです。しかし京都でもやはり8割くらい欠けます。そんな遠い先のことではなく、もっと近未来にないのか、あります。2012年5月21日の金環食外縁は輝いているが中は真っ黒と誰かが言った、です。これは西日本各地で 京都でも7:30ころ見られます。わずか2分足らずですが。来年 1月15日にもありますが、日本では日没後。
 皆既日食はコロナやプロミネンスの物理状態・加熱機構の研究のため欠かせない天文現象でした。しかし人工衛星が地球の外から太陽を観測し常時コロナが見える現在、わずか2~3分のためにわざわざ遠路皆既日食観測に出かける必要はあるのでしょうか?専門家には怒られそうなこの質問に対してスバラシくも
そりゃあんた、皆既日食を見たことがないからや。いっぺん見たらやみつきになりまっせ。今度一緒に行きましょ。」  ・・・なるほど、しかしそう言ってくれた大阪のK氏はすでに故人。

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☆日食の周期

 日食の周期は 6585と約1/3日(約18年10日8時間)で、後世サロスの周期と呼ばれました。1サロスごとに太陽と地球と月が相対的にほぼ同じ位置に来るため、ある日食または月食から1サロス後にはほぼ同じ条件で起こります。ただし1/3日という端数のため地球上で1/3日の時差(経度にして120度)の地点で見られます。そして3サロス(54年1ケ月)後にはまた同じ地点で見られます。こんなことをバビロニアの占星術師はどうして知ったのか?星座の起こりもバビロニア、彼らの天文学はギリシアやインドに伝わっていきました。
 今回の日食より1サロス前の日食は1991年7月11日にハワイやメキシコで見られ、1サロス前の日食は2027年8月2日でアフリカ大陸北部などで見られます。3サロス後(2063年!)にはまた日本で見られるはず、でもその時はもう・・・。

だれか見てください。

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