6000年前、海面は高かった

 最後の氷河が溶けて人類が自由に活動できるようになったのは約12000年前、それから今日まで最も高温期は約6000年前、エジプト、メソポタミアなどで農耕社会生活が始まったころ(もっと前からという説もある)、わが国では○さんの故郷近くの三内丸山遺跡に代表される縄文時代です。当時の海岸線は貝塚の分布からわかりますが、かなり内部に入り込んでいて、海面は今より3~4m高かったらしい。大阪平野はほとんど海原で、△さんの邸宅は海の底。大和盆地、山城盆地も沼の多い湿地帯だったでしょう。ところで2番目の高温期は現代という話ですが、近い将来こうなるのでしょうか?サモアやツバルの消滅は人事ではありません。
 日本のメガポリスで水没しないのは京都のみ!

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200年前は寒かった

 地球の気温は19世紀後半から上昇していますが、18世紀末から19世紀初に短期的な寒冷期があります。なんでもテームズ川で氷上スケートをしたり、ニューヨーク湾が凍結したという記録があるそうです。日本では天明の大飢饉という冷害が起こっています。世界的な低温化で飢饉のためにフランス革命が起こった、ナポレオンはロシア遠征に失敗した・・・(ナポレオンは戦いに負けたのではない)、イギリスはアメリカを手放した。
この原因は浅間山(1783)とアイスランドの○山の大噴火だと言う説があります。東西の火山大爆発、おそるべし。富士山の大噴火が起こったらどうなるでしょう?

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今年は特別暑かった?

 スーパー40度が3日連続という8月も終わりますね。今年は特別暑かったのでしょうか?いやそうではなく過去2000年間で最近の気温は図のように急上昇しています。 ここをご覧ください。この調子だと来年も再来年も覚悟しなければ・・・。ところで2000年間の2番目の高温時代は約1000年前、日本では平安時代で紫式部や清少納言など才女が活躍したころ、十二単暑かったでしょう。ヨーロッパでは暗黒の中世ですが、バイキングの大航海時代です。以前から「アイスランドの北にグリーンランドがあるのはナゼ?」かなぞでしたが、グリーンランドはこの高温期に発見され、そのころは緑の大地だったのでは?・・・なんて珍仮説を考えました。
また17世紀の低温期はヨーロッパ人の大航海時代ですが、寒いので食糧難のため南へ進出したのかも??

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珍説 日中文化の流れ-1

 中国に来てからますます考えていることですが、わが国の中国文化は華北からではないようです。ここは乾燥した地域で米は余りよく育たずむしろ麦麺中心の食文化です。それには羊肉や豚肉を伴います。米と魚という食文化はわが国と気象環境が似ている湿潤な華南です。長江流域に中華文化が広まったのは春秋時代(詳しくはサスペンダーさんのご推奨の十八史略を)と言われていますが、実は最近長江中流に米作文化史跡が発見されました。黄河文化に滅ぼされ、中国正史からは無視されてきましたが、彼らは文字を持たなかったため文献は残っていません。彼らはどこに行ったのでしょうか?一部は南のタイへ、また一部は東の海を渡って倭国へ逃れた、そのとき米作技術をもってきた・・・という説があります。紀元前数百年のことです。華北の文化が伝わったのは秦漢時代(前200年ころ)からでしょう。
 固有の縄文文化の上に華南米作文化が載りさらに華北文化が重なったと考えるといろいろ面白いです     以下後日 
 

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天津より-5

蓮

 蓮の花が・・・といっても極楽ではありません。国際交流中心(宿舎)の前の池に咲いているものです。今週から新学期で、構内は学生で溢れかえっています。日本人より若く(幼く)見えます。
 お茶もコーヒーもメチャ甘い。料理はモチロン油がふんだん、朝からです。

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天津より-4

1stclass

 最初の授業で全員(51名)日本語で自己紹介をしてもらいました。趣味はサッカーと漫画、そして日本へ行きたいという学生が多かった。
右端で立っているのはTAです。なかなか優秀で通訳、ファイル配布や実習助手をしてくれます。受講生は新3回生で、ITと日本語が2大重要科目のようです。
 夕方から雨で月食は見られませんでした。胸像のなぞはまだ解けていませんが、祖沖之さん、このあたりの出身らしい。

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天津より-3

sochushi

 今日から授業開始です。欠席者1人、他のクラスでは全員出席もあります。今日はイントロで本論は明日からですが、やはりネックは言葉です。これについては徐々に話していきます。
ところで構内にこんな胸像を見つけました。この人1500年前の数学者・天文学者なんです。詳しくはここに。名前は祖沖之,πの値を小数第7位まで求めた、これはヨーロッパより1000年早い。また暦を作ったり機械を設計したり、かなりの大物です。身分は宋の太史令(天文官)で、活躍地は南京ですが、天津科技大学とどんな関係があるかわかりません。

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天津より-2

 天津市は直轄都市で人口は1000万(大阪市+京都市くらい)という話ですが、面積がメチャ広く京都府と大阪府を合わせたくらいあります。外国の都市の人口はこの点、要注意です。天津からまっすぐ東へ行くと、秋田・盛岡あたりで結構北にあります。北京からバスで来る途中、夜でよく見えなかったが、高い山はなく広大な平地でした。天津は古代史には登場せず、清代に北京の外港として作られた中国では比較的新しい都市です。ここから緑の山は見られません。今日は雨が降っていますが、この雨雲は2日後くらいに日本に行くのでは。

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天津より

天津科技大

 6人とも無事に着いて、大学の宿舎に入りました。大学そばの陸橋から撮った写真です。4年前よりずいぶん大きくなっています。ネットはつながったけどやはり遅いです。まずはご報告を。なお表示される時刻は1時間の時差があります。

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処暑

shosho

昨日も今日もスゴイ夕立でした。これで涼しくなるといいですが。今日は暦の上では処暑、暑さが処理されるころです。太陽と地球のなす角度は春分の瞬間から150度。あと30度進めば秋分・・・暑さ寒さも彼岸までですね。さて明日の今ころは・・・

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