ガリレイの晩年は不遇です。1616年(52歳)のとき、地動説について一旦は無罪だったのに、1633年(69歳)のとき再びローマ法王庁で宗教裁判にかけられ有罪判決を受けるのです。その2年前に発行された『天文対話』という本が問題になって、高齢だから減刑ということで終身軟禁という刑でした。役職はすべて剥奪、著書は発禁、異端者だから葬儀も禁止。さらに数年後には彼に不幸が襲ってきます。それは失明、もはや望遠鏡をのぞくこともできません。それでも口述筆記によって『新科学対話』という本を著すという不屈の精神力、やっぱ並みの人ではないですね。この2冊とも岩波文庫にあるはず、昔読んだようだけどすっかり忘れた。
ガリレイの偉業は科学の世界では、生前から評価されていましたが、法王庁がやっと裁判見直しを始めたのは20世紀末になってからです。1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオ裁判が誤りであったことを認め、ガリレイに謝罪しました。ガリレイは実に死してなお350年間も抵抗勢力と戦い続けたのです。