頼朝に従わない最後のひとつ、それは奥州藤原氏です。当時陸奥の砂金の産出量はすごかったそうで、藤原秀衡は世界指折りのお金持ちだったでしょう。平泉(このたびの地震の震源地近く)の金色堂は後世、松尾芭蕉も絶賛していますね。軍事力よりも経済力で京都も鎌倉も手が出せない。でも当主秀衡はすでに老齢ですから、待てばよい、義経はいずれ平泉に行くに決まっているから、一挙に攻め込もう・・・と考えて義経を追い込んだようです。そしてそのとおりになりました。義経は蝦夷地に逃れ大陸へわたって、ジンギスカンになったとか言う話がありますが、いずれ別項で。1189年の夏、頼朝は奥州征伐には自ら大軍を率いて出征しますが、これはデモですね。1ケ月もかからず終着します。そして秋にはついに上洛します。29年ぶりの帰還ですが、頼朝自身も、また彼を迎える公家衆にも複雑な気持ちがありました。 以下次項