頼家の後を継いだのは12歳の実朝、兄とは全く違って素直な少年でした。幼年のため実権は祖父時政、母政子、叔父義時、ようするに北条氏ですが、三浦義村、大江広元なども幕府の中枢にいます。実朝は政治・軍事には無関心だがプライベートなことでは頑固で、妻は有力御家人からでなく、都から迎えたいと言い出す。そして大納言の姫君がお輿入れとなり、華美な京文化が入ってきます。政子としては、不満はあるが、娘の入内問題でこじれた都との関係が改善されてまぁいいかというところ。ともかく平和な時代になり、東国は幕府が、西国は朝廷がという共存体制ができました。実朝は上洛はしませんでしたが、京への憧れ甚だしく、武芸になじまず和歌を作って藤原定家に添削してもらったり。後鳥羽上皇へ献じたり・・・武家の棟梁とはいえないですね。それだけでなく、官位叙任を願い出て、異常な若年で昇進します。24歳で権大納言・中将、広元が諌めるのも聞かず。そして26歳で内大臣ついに右大臣(いわば副首相です)。もちろんタダではありません。幕閣はウンザリ、でも祝賀の儀式はやらねばなりません。1219年1月の雪の中、鶴岡八幡宮拝賀が挙行されました。神拝を終えて退出の最中、彼は暗殺者の刃に倒れてしまうのです。 以下次項