自分は死なないと思っているヒトへ―知の毒 (だいわ文庫)
今日はこの本を読んでなかなか面白かった。本論とはややそれますが、自然特に森の破壊について数回述べられています。西ヨーロッパの平野は人工的に作られた、中世末~19世紀にかけて彼らは森を破壊し町を作ってきた。森には狼や魔女が住むオソロシイところ、それを子供に教えるための童話がヘンゼルとグレーテルであり赤ずきんちゃんであると。アメリカはもっとドライに自然破壊します。いわゆる西部開拓というスローガンのため中西部の森は荒地に変わり、野生動物は瀕死状態になった。メソポタミアや華北についてはまた別項で書きますが、今、砂漠やステップという痩せた土地もかつては緑豊かな森だった所が多い。
その点、日本では珍しく森が残っていますが、それは森に住むのがコワイ悪魔ではなく、となりのトトロだからなのです。 これはcastor説
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☆ Discount shop @ 百万遍
先日、百万遍の南西角に新しい Discount shop がオープンしました。食料文房具薬品雑貨さまざま並んで開店セールでお客がいっぱい。2Fはなんでも100円ぽっきり。しかも深夜11時までやっているそうです。
ここらにはセーバーあり、99ショプあり、コンビニあり・・・・。サテ生き残るのはどこ?
大垣と芭蕉
先日、岐阜の大垣へ行ってきました。全国専門学科情報科研究協議会、つまり専門情報を実施している高校の研究会です。すばる☆さんの代理で生徒の発表・先生の発表などを見学してきました。
内容はさておき、会場校の校長先生、歓迎のあいさつでやたらに芭蕉の話をしていましたが、実は大垣は奥の細道の終着地とか。江戸から奥州へ、日本海側を回ってたどり着いたところで、大垣といえば芭蕉というくらい、ここでは名士らしい。な~るほど、萩といえば吉田松陰、札幌といえばクラーク、そして 津といえばサスペンダー というようなものかと納得しました。
☆ 昔、地球は暑かった?寒かった?(4)
小氷期の前には中世温暖期があります。約1000年前のこと,バイキングが活躍してグリーンランドを発見しました。そこは緑の大地で,彼らはさらにカナダまで渡ったそうです。しかし入植者たちは次の小氷期のため撤退全滅してしまいました。日本では平安時代の後半から鎌倉初期ですが、暑かったという証拠は見つかっていないそうで、ひょっとすると北大西洋あたりのローカルな現象かもしれません。この温暖期には世界的な戦争や大帝国がないのは,食料が充足してそんな必要がなかったからかも?
その前,4世紀~8世紀ころ寒冷期があり、その時は北ユーラシア全体で民族大移動が起こっています。匈奴が西へ移り、それに追われてフン族がさらにゲルマン諸族がローマ領内へ侵入しついにはローマ帝国が滅びてしまう。これ、元はといえば寒さのせいです。
でも最大規模の民族大移動、世界帝国の出現は13世紀のモンゴルですが、そのころモンゴルの草原・ゴビ砂漠は寒かったのかどうかは知りません。
以下次項
☆ 昔、地球は暑かった?寒かった?(3)
過去の気温変動ではデータの信頼性が問題にされますが、15世紀後半~19世紀前半(特にその後半)は寒かったようで Little Ice Age(小氷期)といわれています。:2000年間の気温変動 – Wikipedia 日本では江戸時代ですが、その影響は西欧のほうが顕著です(北にあるからアタリマエ)。テームズ川が凍結したり、雪に覆われた村など、絵でわかります。ナポレオンはロシアと戦争では負けていないのに寒さでやられました。
その原因は太陽活動の低下であるという説は天文屋間では有名です。小氷期の中頃の17世紀後半から18世紀初にかけて(ニュートンのころ)太陽黒点がほとんど観察されないのです。太陽黒点活動が低下したこの期間をマウンダー極小期とよんでいます。1800年前後(アメリカ独立・フランス革命・ナポレオンのころ)も少ない。
しかしこの寒冷期に人類の盛んに活動し、科学技術文明は進歩しました。人類は寒さを克服できたのです。というより克服できた人間が生き残ったというべきか。実はそれよりもずっと前に人類は寒さを克服して進歩しているのです。
以下次項
☆暑さも和らぎ
☆マラソン
オリンピックもそろそろフィナーレのマラソンですね。はだしのアベベなんて覚えている人は少ないでしょう。ところで、そのころから不思議に思っている未解決問題があります。マラソンの起こりは、むかしむかし、ギリシアがペルシアの大軍と戦って勝ったとき、それを知らせる伝令の兵士がマラソンからアテネまで42.195kmを走ったことだとか。この兵士なんでまたひたすら走ったのでしょうね。馬でいけば早くて楽なのにごくろうさんです。
40年間の謎をどなたか物知りの人、解いてください。
昔、地球は暑かった?寒かった?(2)
地球温暖化が問題になったのは1990年代になってからで、70年代にはむしろ寒冷化の議論がなされていました。最後の氷河期が終わった12000年前から現代まで、気温の大きな変化としては、約7000年前に高温のピークがありその後は徐々に温度は下がっています。もちろん小規模な変動はたくさんあります。その中で温暖期には人間の活動が盛んで、文明が発達するといわれていましたが、そうでもないようです。四大文明の発生期や西欧人が世界の海へ繰り出していく時期はむしろ寒冷期です。
またアフリカで発生した人類が、アメリカ大陸まで行けたのは、明らかに当時は陸続きだったからで、海面が低かった氷河時代のことです。まさかアメリカ大陸まで海を泳いで行ったわけではないですね。これは数万年前のことで、日本列島へ来たのはもう少し前の寒冷期らしい。最後の氷河期が終わってからは海面が上がり孤立しますから、船が発明されるまで渡来はないはず。
われわれの先祖は寒さをどのように克服して来たのは次項で
昔、地球は暑かった?寒かった?(1)
去年の今頃40度を越す猛暑だったのと,その後天津でヒマだったのがきっかけで,長期的地球の気温変化に関心をもち,いろいろ調べています。生命が生まれて30億年あまり,何回も絶滅の危機に見舞われました。地球全面が氷雪に覆われたこともあり,小惑星の落下で天下無敵の恐竜があっけなく全滅したこともあります。人類も何種類かいたのに,数万年前にはホモサピエンス以外はすべて滅びました。
数千年前サハラ砂漠には川や沼がありカバが住んでいました。一方,北ヨーロッパは寒くて人が住めるところではありませんでした。1000年前グリーンランドは緑の島でした。ナポレオンの時代は寒冷期だったので、ロシア遠征は失敗でした。
人類の歴史を動かしているのは神、天才、英雄たちの力でも、経済生産の力でもなく、気候の変化が最重要という説が有力になりつつあります。そしてこの源は地球の軌道変動、太陽活動、さらに銀河宇宙線・・・と話は広がります。
送り火の苦い思い出
大文字送り火には苦い思い出があります。もう20年も前のことですが、大文字の送り火を見に、そばまで行ったことがあります。家族4人で比叡中腹から登りChappyさんの写真の「大の字」のところまで。そこで無病息災のおまじないとか何とかで、燃え残りの小さな木を持って帰りました。
ところが、それから20日後の9月初に、なんと夜の山道ですべって右足を骨折して2ケ月入院する羽目になったのです。厄除けどころか厄招きやないか!迷信撲滅すべし。
でもね、骨折ですんでよかった、命に別状はなかったのだから・・・変なこと思い出したもんです。