『魏志倭人伝』には不可解な数がよく出てきます。有名なのは朝鮮半島から邪馬台国へいたる道程で「水行十日、陸行一月」などを加えていくと。邪馬台国ははるか九州の南方海上になるということが、すでに江戸時代から言われています。次に邪馬台国の人口ですが7万戸と書かれています。当時は大家族で1戸に10人くらいは同居していたので、人口は100万にもなる。これは邪馬台国だけでなく倭国の総人口だという話もあるそうです。ちなみに奈良時代の人口は推定600万~700万人とか。また倭人は長命で、百歳か、八、九十歳の人が居るという記載もあります。
これらどうみても変ですね。人間の記憶は数が一番あてにならない、数字は忘れやすい。これは現代の我々もよく体験することで、11桁の電話番号なんて覚えられるもんじゃない、歴史で年はゴロ合わせで覚えた、事件が起こった日なんかほとんど忘れている・・・etc。 かといってすべて無視しては話が続きません。何らかの根拠があるのでしょう。
当時の倭人はどんな数え方をしていたのか?10進数で数えていたのでしょうか?暦はまだありませんから、1年の概念は今と違うかもしれません。歳を数えるのが1年に1回ではなく半年で1回では?少なくとも年末行事は6月末にも行われていた(晦日とはもともと三十日なんです)。年齢をすべて半分にすれば、妥当な数になります。ヒミコも平均寿命+αまで生きた。
古代には100歳を超える天皇も珍しくなく、みんな長生きです、奈良時代以降は早死に。もっとも日本に限ったことではありませんがね。