幻の女王ヒミコ、彼女は1000年以上も日本人を惹きつけ、また悩ましてきました。もちろん出典は『魏志倭人伝』、その本格的研究は江戸時代からですが、すでに『日本書紀』の成立前後、奈良時代から行われてきました。彼女がいた邪馬台国は北九州だ奈良盆地だというだけでなく、日本中いたるところにさらには海外までも多数の候補地があります。卑弥呼とは中国での当て字でこの字にこだわることはありません。わが国的には日巫女でしょうが、ここではヒミコと書きます。Americaにアメリカとか亜米利加とかいう字を当てるようなものですから。
『魏志倭人伝』は文字数2000字、その解釈のネタはもう尽きたでしょう。そこで別サイドから考えてみます。それは数についてと当時の天体現象についてです。ヒミコはいつごろの人か?生年はわかりませんが、没年は247年か248年らしい、この年に魏から来た使者の記録です。また後漢の桓帝・霊帝の治世の間(146年~189年)に倭国は大いに乱れ、その結果、卑弥呼という一人の女子を共立して王としたという文章は魏志以外にも多数の中国の史書に書かれています。この期間の末期に即位としても在位は60年にもおよび80歳か90歳まで長生きしたことになってしまう。当時の平均寿命はせいぜい40歳くらいでしょうから、どうも変ですね。
この疑問から出発して、かなり独善的ながら面白い結論が得られました。それを先日A先生に話したところ、なんと同じような考えでした。