ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する
こんな本を京大生協で見つけました。中身は見ていませんが、タイトルが気になって。
やばい数学も復活せねばなりませんね
「学問・資格・読書」カテゴリーアーカイブ
ムシマルの法則 続々
13個のエレメントはこれでいいでしょうね。
(マ、ム)(ツ、シ)(ラ、ル)(リ、ニ)(ソ、ン)(レ、フ)(ロ、ロ)
(リ、ニ)はやや苦しいが。これより17文字になる文字列は13の17乗(~10の19乗)個ありますが、そのひとつに
マルムシニツロリムシマツンルリシラ
どう、のどかでしょう、むしまるくさん。かつてはこのような風景が眺められたことでしょう。これぞ理系文系の融合文化!
ムシマルの法則 続
12個見つかりました。考えてみれば偶数個ですよね、ペアになっているはずですから。(マ、ム)(ツ、シ)(ラ、ル)・・・・というペアです。
この12個からr個選んでできる文字列は12Crで、その
r=1から12までの和は2の12乗-1.。
これらの文字列に例の写像を施して意味のある言葉になるようにするわけです。
2語3語だけでなくもっと長いのも探してみます。
ムシマルの法則
これは幼き日のむしまるくさんによる大発見です。 数学的にいえば
ある集合に属するエレメントxの f による写像 y=f(x) はまたその集合に属している、 f は反転と回転との合成写像で2次の正方行列であらわせる。これだけなら騒ぐこともないが,x はカタカナであり,y は意味のある日本語なのです。そのようなxは11個あることを確かめました。うち4つがム、シ、マ、ルです。
11個のエレメントより文字列が(2の11乗ー1)個できるはずですが、すべては y になりえません。「ムシマル」は1例で,他に「シラ」「マニ」などを見つけました。
この集合は群をなすかどうかはご本人の今後の研究によりますが
可逆であり可加性であるようです。単位元が存在するかどうかは不明。
みなさま、12番目のエレメントを探すことも含め,ぜひこの法則を活用してください。レオナルド・ダビンチは鏡文字が得意だったといわれていますが、むしまるくさんもこの法則もを完成すれば、あの大天才と同じレベルに到達できるかも
googol?
Googleとはgoogol(グーゴル)という語のスペルまちがいに由来するそうです。さらにグーゴルとは数の単位で10の100乗のことらしいです。ここを参照
こんな大きな数を使う場合があるか?確かホーキングが全宇宙のブラックホールが蒸発してしまうのに要する時間がこのくらいと言っていたような。。。嗚呼
珍説 日中文化の流れ-6
漢字の訓読みから始まりましたが、なにやら前回で、現段階の結論らしきものが出たので、この話はこれで中断します。文献はないしWikipediaは重すぎのためか見られないしで限界です。徐福さん王仁さんなど渡来者というより亡命者についても帰ってからで。
ところでやっぱ日本語は七五調がいいですね。
もしもし亀よ 亀さんよ
月が出た出た 月が出た
われは海の子 白波の
蛍の光 窓の雪
ここでの授業も2/3が終わりました。
まったく関係ないが、scilabで統計解析のプログラムできた!
珍説 日中文化の流れ-5
呉音は4世紀~5世紀に華南から、漢音は飛鳥・奈良時代以降に華北から伝わり、さらに鎌倉・室町時代に唐音が伝わりますが特殊な用語以外にはあまり普及しなかったようです。そして今、中国では別の音になっています。
呉音 漢音 現代中国 訓
日 ニチ ジツ ri ひ
男 ナン ダン nan おとこ
人 ニン ジン ren ひと
文 モン ブン wen ふみ
どうもわが国には中国の各時代の読み方が入ってきても、以前の読み方はなかなか捨てなかったようですね。いちおう、漢音が正統的とされたようで、明治以降できた言葉はほとんど漢音だそうです。思えばわが先祖はこんなややこしいことをよくも続けてきたものですが、古いものをすべて捨て去ることをしない民族かもしれません。中国では頻繁だった前王朝を否定する革命は経験していませんから。これも縄文からの和の精神では・・・と日文研のどなたかが言っていました。
珍説 日中文化の流れ-4
地図で見ると九州から中国へ渡るのは華南の方がずっと近いですね。北の洛陽の都よりも南との方が交流が多かったと考えられます。倭国と中国との中継地として重要な匡があります。それは百済(朝鮮半島西南部:地図の光州あたり)で、たくさんの渡来人、さまざまな文化がやってきました。そして百済は江南地方と密接な交流がありました。華北の戦乱時代(4世紀~6世紀)には特にそうでした。漢字の読み方の呉音もこの経由といわれています。漢音は中国が隋唐によって再統一されて7世紀以降に入ってきた新しい読み方です。
呉音 漢音
日 ニチ ジツ
男 ナン ダン
人 ニン ジン
韓国では百済といっしょに呉音も滅んで漢音だけになったが、わが国ではずっと2通りの読み方が続いています。
珍説 日中文化の流れ-3
さて徐福というと中国では第1級の詐欺師であると正史ではそうなっています。詳しいことはサスペンダーさんにお任せしますが、始皇帝をだまして不老長寿の仙薬を探しに行くといって、帰ってこなかった。彼は始皇帝の圧政を逃れ3000人を連れて日本へ渡ったのです。しかもその費用はすべて始皇帝から出させたという痛快な詐欺師です。徐福が着いたと言われるところは九州・紀伊・東海・富士・丹後さらに秋田まで全国いたるところにあるそうです。始皇帝をだますくらいだから、かなりの学識はあったはずで、農業や土木の新技術だけでなく、文字(紙はまだ)や貨幣なども持ってきたのでは・・・彼らは新文化をもたらした大規模な移民です。
ところで過酷な圧政を逃れ新天地に旅たつとは、これより1800年後にイギリスのピューリタンがアメリカへ渡った話に似ていますね。そう、徐福船団はメイフラワー号のさきがけなんです。。。
氷河時代はも暑い日はあった
では12000年より前の地球は?いわゆる氷河時代ですが、決して世界中が氷河に覆われていたわけではありません。氷河は主に北半球の北部。氷河時代の気温は現代より約5度低かったそうで、30度を越す日もあったわけです。よく、京都の気温は札幌なみだったといわれますから、日本は氷河といってもピンと来ない。ただヨーロッパはホントに寒かった。ヨーロッパはそもそもずいぶん北にあり、人が住めるようになったのはメキシコ湾から暖流が入り込んできてからで、それはポスト氷河時代、わずか12000年前なんです。ですから彼の氷河への恐怖心は非常に大きい。
氷河時代は今より海面が低く、日本は大陸と陸続きだったので、北から西から南からヒトもシカもゾウもやって来ました。まさかゾウが海を泳いでくるわけはない。また、シベリアからアラスカに歩いてわたった人々はアメリカンインディアンの先祖・・・氷河時代は人類の全世界進出のチャンスでした。
また氷河時代のスター雪原のマンモスというのは大きな誤解です。あの大きな体を支えるには大量の草木が必要で、雪原にはありません。彼らには寒さに耐えられる毛皮はあるけど、草原に住んでいました。愛地球博にはそんなマンモスが展示されていましたネ。