花山星空ネットワーク主催の
講演会を 6月6日 on Twitpicに開きます。(このポスター重いな)
「銀河の誕生と宇宙の一番星」
太田耕司氏(京都大学理学研究科教授)
「地球以外にも知的生命は存在するか?-地球生命史からの考察」
大野照文氏(京都大学総合博物館館長)
今回は天文宇宙だけでなく地球の生命史についてお願いしました。
会場は京大理学部(百万遍の東北)です。ぜひどうぞ。
花山星空ネットワーク主催の
講演会を 6月6日 on Twitpicに開きます。(このポスター重いな)
「銀河の誕生と宇宙の一番星」
太田耕司氏(京都大学理学研究科教授)
「地球以外にも知的生命は存在するか?-地球生命史からの考察」
大野照文氏(京都大学総合博物館館長)
今回は天文宇宙だけでなく地球の生命史についてお願いしました。
会場は京大理学部(百万遍の東北)です。ぜひどうぞ。
やっぱり古文や漢文は縦書きで表示したいですね。三十一文字を横書きにしても和歌の感じは出ない。そこでCSSの応用問題でこんなページを作りました。
縦書きで
杜甫の漢詩、島崎藤村の詩、琵琶湖周航の歌、百人一首などあります。
大地震がハイチ、チリ、中国へと移動し、大噴火がアイスランドで起こり、ガイアの怒りにふれたようです。
アイスランドはIT先進国ですが自然の災害には弱いもの。ニュースでは飛行機が飛べないことばかりですが、気温低下さらに酸化硫黄化合物が飛来し動物や植物はこのガスを吸い込むことが深刻です。
最近では1991年のフィリッピンのなんとか火山の爆発で日本でも冷害米不作が起こり、タイからコメを輸入しましたね。歴史的に有名なのは1783年ほぼ同時期に起こったアイスランドのラカギガル火山と日本の浅間山の噴火は世界中に冷害をもたらし、フランス革命や天明の大飢饉の原因になった、まさに歴史を変えたのです。
下記にある画像を是非ご覧ください(本来天文のサイトですが)。
APOD: 2010 April 19 – Ash and Lightning Above an Icelandic Volcano
やっぱりいたんですよ、酸素なしで生きてるやつが。しかも今もこの地球に。
asahi.com(朝日新聞社):まるで地球外生命? 酸素なしで生きる多細胞の動物発見 – サイエンス
見つかったのは地中海の海底の堆積物からということだが、多分太平洋にも瀬戸内海にもいるでしょう。もともと酸素は酸化、燃焼などを起こす危険な物質です。地球最初の生命は酸素のない時代に生まれた。酸素はその後、植物によって作られた。
1250年にも前、東大寺には100mのツインタワーがあったそうです。平氏の南都焼き打ちなどで焼失,その後再建されたが、鎌倉時代に落雷で再び焼けたとされるものを再建しようというニュース。
東大寺、高さ100m七重塔再建へ…650年前焼失の東塔 : ニュース : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
それにしても東大寺はあの金属鋳造仏像も当時世界一、大仏殿は木造建築として世界一
よくもまぁ、こんなでかい物作ったもの。聖武天皇って誇大妄想症?
時代は下がりますが、白河法皇は岡崎法性寺に80mの塔を、足利義満は相国寺に100mの塔を作りました。どちらも落雷や戦乱で焼失、日本の塔は地震では倒れません。
ということで、今後近い将来、始業終業時刻を早めようという運動が起こるのではないでしょうか。深夜の1時間を早朝の1時間に移すことの省エネ的なメリットは明らか。
CO2を削減し、無駄をなくす、・・・を標榜する政府はこのようなキャンペーンをするでしょう。そしてそのような社会活動を支援するでしょう。早寝早起きは美容と健康にいい、○○大学合格者の朝4時起き勉強法、夜更かし喫煙は寿命を縮める・・・なんてNHKあたりがやりそう。
とはいえ、低血圧で夜型人間なので個人的にはハンターイなのですが、みなさんどうおもわれますか?
今、無駄をなくしエコ生活を進めるには生活時間帯をオテントサマとつきあって本来の時間帯に戻すことでしょう。電気ガス代は大幅に節約できるはず。朝5時半に起きて6時半に家を出て、8時に始業、4時遅くても5時には終業、・・・できないことはないですね。
といっても実行は非常に難しいです。そこでこれをサマータイム導入という外圧でやろうという案もあるそうな。でも夏時間冬時間の切り替えなんてメッチャ大変なので、いっそ1年中夏時間、すなわちすべて1時間繰り上げようという案もあるそうです。日本標準時は世界時と10時間の差となる。すると日本標準時の基準地が太平洋の中になってしまい、明石・西脇・網野の人々は猛反対でしょうね。でも東経135度というのは日本列島では西に偏り過ぎです。国民の約2/3は正午にはすでに西にいる太陽を見ているわけですから。京都ではほとんど感じませんが、関東人はそうかも。
なぜ明石になったのかは知りません。大日本帝国時代の版図の名残というわけではないようです。