衆議院議員総選挙に行こう!神様と羊と虎と狼のお話

今日でいよいよ決まりますね。

台湾人のぉぅぇぃは日本での選挙権も被選挙権もありませんので、

他人事と言えば他人事ですね。

しかしまあ、選挙の結果によって、ぉぅぇぃの生活にも色々と影響が出ますので、

完全に他人事とも言えないのですね。

と言っても、大勢はほとんど決まっているらしい…のが現状のようです。

台湾でもそうだったのですが、

選挙権を持っているのはいいけれど、どの候補者を選ぶべきなのか、

どのようなポリシー、方針で選ぶべきかの方法論の教育はあんまり浸透されていません。

「この政見はないだろう!」とか、「これがマスコミの言い分か?」「真剣に考えている?」など、

日々思うことがあります。

選挙といえば、大音量で名前を連呼したり、街角で握手したり、

普段見たことないのに、選挙期間になった時だけ、駅前に来て、

「今日もお勤めご苦労様でした」と笑顔で挨拶してきたり、

こういう活動で「有権者はそれで投票してもらえる」と判断しているのは、

ぉぅぇぃ的に、なんだかちょっと…ね…って感じです。

っとまあ、色々不満があるけれど、それでも、「選挙」によって生まれてくる力学は、

国家社会をより良い方向に導く…とぉぅぇぃは思います。

他にもっと良い方法があるかもしれませんが、

今のところ、選挙よりも優れている手段は編み出されていません。

二年前の選挙、一ヶ月前の選挙日程決定の時にも同じような内容を書いて、

これで3回目になりますが、二年前の選挙の時に、

ここで書いたたとえ話の記事をもう一度貼ります。

良かったら、読んでみてください。

選挙は大事!(・ε・)@2007-07-29 20:48:11
(*若干の加筆をしました)

さて、選挙ですね。

民主国家は、選挙は一大イベントであり、お祭りでもあります。

最近の日本では、投票率は低下しているようです。

これについて、少し危惧しているぉぅぇぃは、ちょっとお話でもしようかと思います。

台湾の友人との雑談から聞いた、あんまり話の出所はっきりしない話ですが、

このような例え話がありました。

==

昔々、あるところ、2つの羊の群れがありました。
ここは簡単に「群れA」と「群れB」としましょう。

彼らは幸せに暮らしていましたが、
ある日、神様がやってきて、こんな話をしました。

『申し訳ないが、生態のバランスを考えて、あなたたちに「天敵」を用意する必要がある。
天敵と言うのは、二種類があって、「虎」、もしくは「狼」だ。』

『「狼」を選んだ場合、1匹の狼を用意しよう。
あなたたちの群れの中にこの狼は自由に暮らしますので、
彼は思うようにあなたたちを食い散らかすでしょう。』

『「虎」を選んだ場合、2匹の虎を用意しよう。
この場合、あなたたちにその中の1匹を選ぶことが出来る。
あなたたちの群れに暮らす虎はやっぱり一匹です。
もう一匹の虎は、私のところで繋いでおこう。
ただし、現在の虎に不満を思ったら、いつでも交換することができます。』

『しかし、いずれにしても、天敵の種類を選んでしまったら、
チェンジすることが出来ないので、慎重に考えるように。』

そして、群れAの羊たちは、
「虎は狼よりもずっと怖い…、だから狼を希望します」

しかし、群れBの羊たちは、
「虎は狼よりも怖いけど、交換できる権利があったほうが安心、
というわけで、虎コースを希望します」

そして、神様は羊たちの希望通り、虎と狼を配置しました。

狼は体が小さいので、そんなに羊を食べません。
群れAに入った狼は、一匹の羊を狩って食べれば、数日おなか減りませんので、
狩りは数日に一回だけ。

羊たちは、「狩りの無い日」の時だけ、
つかの間ですが、平和の日々を過ごしていました。

群れBは、2匹の虎から適当に弱そうな1匹を選びました。
しかし虎は狼と違って、体が大きく、一杯食べる。
ほぼ毎日のように狩猟し、一日1匹の羊を食べました。

群れBの羊は、毎日毎日恐怖の中で過ごしていましたので、
数日間後、「こりゃかなわん!」ということで、
神様に虎交換の要望を出しました。

それでマシに成るかと思いきや、
数週間まともな食事をとらなかった虎はめちゃハングリーで、
狂ったように羊を食べ散らかした。

羊たちは、一刻のゆとりも無く、いつも恐怖の中でした。

群れAの羊たちは、
「我々の英知により、群れBの羊たちよりもずっといい生活している!(´∀`)」と、
自分たちの選択を感謝し、

群れBの羊たちは、
「こ、こんなはずでは…(;´д⊂)」と…。

そして、ビビリまくった群れBの羊たちは、
知恵を絞って、虎交換のタイミングを変えたり、期間を変えたり、
何とかして犠牲を少なくしようと頑張ったが、
しかし、どう頑張っても、
群れBの虎は、群れAの狼よりもずっと多くの羊を食べました。

「もういいや…」と、半分諦めた群れBの羊たちは、
面倒くさいことを辞めて、しばらく虎の交換を控えました。
「食べたいなら、思う存分食え」っと。

そして月日が経ち、神様の下に繋がれた虎が死にそうになったら、
ようやく虎の交換を申し込みました。

この痩せた虎は、長い不自由な時間の中で、
「ここから出たら食ってやる!地獄を見せてやる!」っと、
なかなか交換してくれない羊たちを恨んでいながら、
その時を待っていた。

しかし、いざ外に出て、怯えている羊たちを見ていると、
餓死を怯えている、何も食べれない自分を思い出した…。
「もうあそこに帰るのはイヤヤ!(;´д⊂)」っと。

「どうしたら、戻されずに済ませれるのか!?」と、虎は悩みました。
「とりあえず、この羊たちに選んでもらうしかない!」っと。

そのため、どうすればいいのか?

痩せ虎は、羊たちに自分の誠意を見せることを決めた。
「生きるために、私は羊を食べなければならない」
「しかし、あなたたちの怯えも良く分かる」
「だから、これから病気の羊や老年の羊だけを食べよう」っと羊たちに伝えた。

それは、まさに群れBの羊たちにとって、幸せの日々が続く保障でした。

あんまりにも幸せだったので、
「もう、ずっとこの痩せ虎に居てもらおうよ!」っと提案する羊さえ出た。

しかし、お年寄り羊はこう言いました。
「よく考えてみ、今この虎が優しいのは、交換させることを恐れているからだ。」
「もしもう一匹の虎が餓死してしまったら、コイツはもう何も恐れる必要がないのじゃ」
「そうしたら、痩せ虎も、元の獰猛な虎に戻るかもしれない。」

この意見は羊たちに広く受け入れ、もう一匹の虎が死にそうになった時、
優しい痩せ虎を神様の元に戻した。

もう一匹の虎も、なぜ自分はこんなに長く飢えていて、
なぜ羊たちは、痩せ虎をなかなか交換しなかったを、神様のところでずっと見ました。

「なんかやらかしてしまったら、スグ交換されてしまいそう、
それだけは避けなければ(;´д⊂)」と。

そこで、彼は羊たちにこう言いました、
「あの痩せ虎は酷いやつだ。病気や老齢なら、生きている羊も食べていましたが、
私は生きている羊に手を出さず、亡くなった羊の遺体だけを食べます!」
「もう追いかけまわったりするも辞めます!」

もちろん、羊たちは大喜びで、
まさか自分は虎にこんな風に扱われうとは思いませんでした。

このように虎交換するたびに、優遇スパイラルが続き、
最終的に虎たちは羊を見るだけで道を譲り、お辞儀し、敬語を使う。
羊のために、病気の羊の看護や、牧草の面倒まで見るようになりました。

「めでたし、めでたし」です。

さて、この時、群れAの狼はどうなったか?

恐れるものが無い狼は、どんどんエスカレートしていきました。

お食事も、最初は皮から骨・頭からしっぽまで食べていましたが、
気がついたら極上カルビ、極上ロースだけを食べるようになりました。
毎日のお食事だけで、5匹くらい羊を殺さなければならない。
さらに、レジャーのお遊びとして、
毎日数十匹の羊を殺すのも日課になりました。

「こ、こんなはずでは…(;´д⊂)」と…、
群れAの羊たちは、
「選択しないこと」の自分たちの選択を後悔しながら、
苦しい日々を、永遠と過ごすことになりました…。

==

まあ、こういう話は、何かしらの価値観やバイアスが入っていますので、

「100%!」とは言えないかと思いますが、

参考レベル…、なら、そこそこいい話じゃないかと思います。

「誰」を選ぶことも大事ですが、「選ぼうとする」行為自身だけでも、十分に意味があります。

というわけで、皆様も、

もっと自分の「選べれる権利!」を大事にしましょう!

 

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